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映画『屍者の帝国』を観てきた。

映画『屍者の帝国』。
この「映画」である部分。ここが重要です。

映画『屍者の帝国』を観て、それから諸々レビューを見回ってきて、少しもやっとしたものを感じた+この感情を言葉にしておきたい(雑日記では収まりきらなかった)ので、勢いで書き残して置きたいと思います。

あんまり原作読み込んでない状態で映画観たんですけど、だからこそ思うこともあったというか。
そんなわけで、自分用記録に書き残す。

 

原作は、夭折の作家・伊藤計劃(34歳で早逝されております)とその親友である円城塔の共作です。
伊藤計劃は『屍者の帝国』の冒頭30頁だけを遺してこの世を去りました。
そのあとを引き継ぐかたちで円城氏が書き上げたものが原作小説『屍者の帝国』です。

純粋に「伊藤計劃の作品なのか?」と問われれば「違う」って答えるし(『ハーモニー』と『虐殺器官』読む限り、これは違うと感じる)、じゃあ「円城塔の作品か?」と聞かれるとそれも「違う」と思う。

だから、これは読んだ(観た)人がなにかを感じたら、それが「その人の『屍者の帝国』という作品である」と思うんです。

読む人全員が作者たちの関係性を知っているわけじゃない。
伊藤計劃のファンなのかもしれない。彼の遺作とも言えるのだし。
いや、円城塔のファンなのかもしれない。話の大部分は彼が書いたものだし。
いや、それでもなく、ただ映画になるって聞いて読んだのかも。

事前情報が在る無しで表情が変わる作品だと思います。
特に映画だと、登場人物の関係性が。
登場人物の名前の小ネタもかな。

今回は映画『屍者の帝国』について書きたいので原作は割愛。

(以降、ネタバレもあるかと思うので要注意です)

 

 

話は19世紀末。
"屍者技術"が発達し、死者を蘇生し労働力として活用する世界。
工場の生産も、生産物の運搬も、はたまた戦争までも、その全てに屍者が活用されている。

ロンドンの医学生ジョン・ワトソンは病により早逝した親友フライデーの墓を暴いて遺体を盗み出し、屍者技術によって彼の蘇生を試みる。
それは生前のフライデーとの約束でもあった。

人間は死亡すると生前に比べて、
体重が21グラムほど減少することが確認されている。
それが霊素の重さ。いわゆる魂の重さだ。

現状の屍者技術では魂の蘇生まではできず、屍者はプログラムされた行動しか出来ない。
自分で思考し、言葉を発する。それができない。

生前のフライデーとワトソンの願いは、その魂の在処を探すことだった。

そのために親友の死体を蘇生し、屍者としたワトソン。
しかしそれは違法行為であった。イギリスの諜報機関のトップMにそれを知られたワトソンだが、彼はMにその類いまれな屍者技術と魂の再生の野心を見込まれ、ある任務を命ぜられる。

それは「ヴィクターの手記」の捜索。

「ヴィクターの手記」とは最初の屍者を生み出したヴィクター・フランケンシュタイン博士が遺した手記。
ヴィクターは意思を持ち言葉を話すという屍者、ザ・ワンを生み出し、そしてその技術を手記に記したとされている。

親友フライデーとの約束である魂の再生。
そして、ワトソンの願いは屍者フライデーに魂を宿すこと。

そして、「ヴィクターの手記」に記された究極の屍者技術を追って、ワトソンとフライデーの旅が始まる。

 

まず、このワトソンとフライデーの関係性。

原作だとそもそもこの二人、親友でもなんでもない。

ここを親友にした意味。
やっぱり作者である伊藤計劃と円城塔の関係性は無視出来ないですよね。
ワトソンは円城塔、フライデーは伊藤計劃。
二人を重ね合わせて観てしまう。
そして、それは制作側が意図されたことですよね。

でも、ストーリー上で云えば、なによりもワトソンが魂の再生に必死になる意味合いが変わってくる。
親友のため。約束のため。
動機が明確になる。

原作だと登場人物は皆、なかなか理性的な人たちなんです。
感情に振り回されるというよりは粛々と物事に向き合っていく感じで。
でも、映画は違う。
ワトソンはフライデーに向けている親愛と渇望に振り回される。自分の身勝手な感情をないがしろにはできない。

小説なら文字情報でいくらでもどうにでもなる部分ってあると思うんです。
文字も膨大なら情報も膨大。
ワトソンが旅に出る理由に尺を割くこともできる。

でも、映画は2時間に納めなきゃいけないわけで。
始まりに掛けられる時間はわずか。
大切な友人の再生のため、半強制だけども自分の意思で旅に出る。分かりやすい。

あと、やっぱり親友っていう理由があることでワトソンが魂の再生に懸ける想いも、フライデーに執着する感情も良いですよね。
良い意味で狂ってる。
この狂気があとの展開に関わってくる。

そして、ワトソンにとって(フライデーを通したことにより)屍者が道具ではない、ということ。
これは大きいかな、と。
この世界では屍者は意思がない人形で、ただの労働力。ただの道具でしかない。
それが、当たり前。
でも、ワトソンは屍者にも魂は在って、それはフライデーにもあるから、彼は甦ると信じている。
屍者の魂を信じて旅に出る。

旅の途中、ワトソンは屍者を使った戦場に出くわします。
そこで当たり前に消費される屍者たち。
それを「酷いものだ」と評するワトソンと、「戦争にはストーリーが必要だ(それを演出する登場人物も)」と馬鹿馬鹿しい戦場を評する、旅に同行するロシアのエージェント。
この世界ではこのロシアのエージェント・ニコライの言葉が普通なのでしょう。

でも、かつては同じ人間であった屍者を道具として扱う"普通"と、死者でしかない屍者に魂を再生させようとする"異端"のワトソン。
"普通"ってなんだ?
どれが正しいんだろう?

死者に囚われて生者をないがしろにしがちなワトソンも大概なのですが、かつて人であった"モノ"を道具にする割り切りも怖い。
この世界の人々が屍者を受け入れた理由は冒頭でしっかりと明かされてはいるのですけどね。
(最初は忌み嫌われた技術でしたが、まずは夫や息子を戦争で喪いたくなかった女性たちが受け入れました)
どっちも歪だ。
とはいえ、屍者を道具にした理由も(敢えてそう見る理由も)分かるし、屍者の魂を諦めきれないワトソンの理由も分かる。
 

ワトソンの旅の目的となる「ヴィクターの手記」に残された、意思を持ち言葉を発する屍者の蘇生技術。
これを用いて、ロシアのカラマーゾフ博士は屍者の国を作り上げようとし、アメリカは卓越した屍者技術で世界の覇権を得ようとし、ヴィクター・フランケンシュタインに作られた最初の屍者ザ・ワンはすべての屍者の魂を蘇らせようとする。
ワトソンはもちろんフライデーを再生させるため「ヴィクターの手記」を求めます。

究極の屍者技術を巡って、それぞれの登場人物が自らの野望を叶えようとする意思のぶつかり合いと、それによって揺らぐワトソンの願いの行方が映画『屍者の帝国』である。
そう思います。

正義とかじゃない、譲れない意思のぶつかり合いの果て。
いったい、屍者であるフライデーに魂は再生したのか。
その答えはエンドロールにあるので、是非最後までじっくりと観て、聴いて欲しい映画です。
最後の語り、ワトソンが求めた先にあった"答え"を「フライデー自身」が教えてくれます。

 

観て欲しいなぁ、この映画。
原作知らない人にこそ観て欲しい。

原作知ってると、逆に原作との違いに足を取られそう。

私は原作冒頭のシーンばっさりカット(このせいで伊藤計劃が書いたシーンは映画から消え去ったw)と、ワトソンとフライデーの関係性の違いに、

「あ、これ名前は『屍者の帝国』だけど、あれとは違う作品だ」

と悟ったので、映画『屍者の帝国』に向き合おうと思って観ましたが、映画じゃなく"映画化"と思って観ると、ストーリーは早足だし、色々ばっさりカットされてるし、物足りないんじゃないかなぁ、と。

なので、私は小説とは違う作品として、映画『屍者の帝国』が好きです。

特にワトソン、フライデーの関係性の改変は良かったと思っています。
物語のギミックとしてすごく面白いよ、これ。

だからこそ「BLみたい(笑)」と評する感想がいただけなかったわけですが……
BL、つまりボーイズラブということなんだが。
違うって。そうじゃないって。
なんでもかんでも恋愛にすりゃ良いってもんじゃないし、「BLみたいにしやがって……」みたいな男性の感想もいただけない。
ワトソンとフライデーの関係はそんな簡単に片付けられないだろう、と。

同じ夢を見て、共にそれを追い掛けた二人。
その片方が欠け落ちたあとの、残された者の再生に懸ける想い。
それでも再生できなかった大切なモノ。
その再生という夢が詰まっているかもしれない「ヴィクターの手記」という存在。
それを空っぽの、フライデーというカタチをした屍者と共に追う旅路。
屍者の奥に見え隠れするかつての友の意思。

旅路のなかでワトソンが生前のフライデーを回顧することで、初めは約束を叶えることが大きかったけれど、自分の中にあるフライデーへの身勝手な執着が無視出来ない大きさまで膨れ上がっていくように感じました。
純粋なものだったはずなのに、ワトソンのなかでエゴが生まれて行くのが大きい、と。
愛情ですらなくなっていく、ワトソンのフライデーへの想い。
これを恋とか、簡単に言えるものにはできないと思うんだ。

親友に向けた友情と親愛と、研究者としての尊敬と、置いていかれたことによる憎悪と執着と 、目の前にあるのに手に入らないもどかしさ。
旅のなかだからこそ深まっていくワトソンのフライデーに向ける葛藤と深い愛は、簡単に言葉にしていい関係性じゃないよ。

 

ストーリー展開という観点で観ると、オマージュとしてフランケンシュタインの物語も関わってくるので(「花嫁の再生」という部分でがっつり)、そこらへんのストーリーも知ってると、最初の屍者ザ・ワンの暗躍と意図がすんなり理解できるかと思います。
多くの野望が絡み合ってくる分、割りと難解なストーリーなので。
登場人物自体は多くないんですが。

映画は「親友の再生」という一本の芯がある分、観やすい気もするけど。

でも、そうですね……
場面転換が多いので(イギリス→アフガニスタン奥地の屍者の国→日本→イギリス)、場所を変えるごとに揺らぐワトソンの思いに注目すると分かりやすいのかな。
行く先で起こる事件に、フライデーしか見えていなかったワトソンの執着が少しずつ揺らいでいくのも、人間らしい揺らぎだと思ったので。
原作にはなかった揺らぎ。

 

 

……わりと真面目に書いちゃったからなんか恥ずかしいぞ!

最後にあれですね。
オタク的見処もメモっておきますかね(笑)

まずは、屍者フライデーの光のない瞳。
生者と屍者の違いでもある描かれ方なわけですが、これが美少年(少年って歳でもないけど……)だと、これがまぁ、なんとも背徳的に美しいですよね。
本来生き生きとしたものである少年の姿に漂う死の気配。
生前の好奇心に満ちたフライデーの爛々とした瞳との対比も良い。
……これはわかるひとにしかわからん萌えな気もするが。

次にハダリー・リリスの火炎放射器のシーン。
これは文句なしで見処でしょう!!
「ヴィクターの手記」の技術を用いて屍者の国を作り上げたカラマーゾフを追うワトソンたちが殺意を持つ屍者の大群に襲われるシーン、そこに颯爽と現れる白いドレス姿の美女!
その手に持つのは火炎放射器。馬車の上からド派手にゾンビじみた屍者の大群に火炎放射をぶちかます美しきお姉様。
そして、火炎放射でゾンビ大群を退けて、ワトソンに一輪の白き花を残し、現れたときと同様、颯爽と去る……惚れるわ。
戦うおねえさんは好きですか……?
私は好きだ。

そして、これも忘れてはならない名(迷?)台詞。
ワトソンの用心棒(見張りだったはずなんだが途中からただの相棒だぜ)、バーナビーの「下着じゃないから恥ずかしくない!」発言。
……分かります?
これをね、可愛い女の子が言うならそこまで萌えないんですよ……いや、萌えるけど。すごいテンション上がるけど。
しかし、これを『屍者の帝国』では筋肉隆々な軍人のおっさんが全力で言ってくれるんです! ……褌姿で。
「下着じゃないから恥ずかしくない!」
せやな!!

あとあれかな。「撮影」。
アニメの「撮影」っていうと、原画さんから上がってくる人物の絵やら美術さんの背景を合成してアニメーションとして完成させることなわけですが。
あとエフェクト追加も撮影さんのお仕事かな。
会社も、担当がProduction I.Gさんでしたね。エンドロールを見間違えてなければ。
production I.Gって言ったら、最近だと「進撃の巨人」「黒子のバスケ」「PSYCHO-PASS」 、そして、忘れてはならない「攻殻機動隊」「BLOOD+」……迫力あるシーン演出で私も大好きなアニメ制作会社さんなわけです。
道理で屍者が襲ってくるシーンとか、ド迫力なわけだ……ただのゾンビ映画だったよ。こわいよ。
まぁ、そもそも『屍者の帝国』の制作が子会社の 「WIT STUDIO」なのだし、協力がI.Gなのも頷けますな。

声優に触れると、フライデー役の村瀬歩さん。
言葉を発せないフライデーという役どころでしたが、呻き声ひとつとっても苦しみや葛藤、憎しみが滲み出る演技をなさっていて、すげぇな、という言葉しか出ませんでしたね。
特にフライデーは美少年然とした役どころなので、村瀬さんの中性的な声と作画が絶妙でした。
あんな美少年、しかもあんな挑発的な表情するやつ、もう一度呼び戻したくなるわ。
村瀬さん自身の地声聴くと、どこの美少女だよ、って感じの声なのですが、れっきとした成人男性なので世界は残酷だと思います(

そして、やはり主人公であるワトソン役の細谷佳正さん。
屍者としてのフライデーに向き合うときの心を抑えて毅然とした命令をする声と、屍者フライデーの奥に意思を視たときの親友へと語りかける(或いは乞い叫ぶ)声の差が、たとえ屍者であっても生前のフライデーをないがしろに出来ないワトソンの胸の裡を感じさせます。
こんなにも乞い焦がれた魂の再生を、親友の屍者で試すのだから必死にもなるよね、って感じで。
映画開幕の「おかえり、フライデー」という台詞の声の優しさは屍者に対するものじゃない。
細谷さんご本人もラジオやエッセイを読む限り本当に真面目な方なので、このワトソンという役柄にも真摯に向き合っただろうと思います。
……真面目過ぎりところを格好の的にされている『キュートランスフォーマー』のコンボイ司令も素敵ですよ、細谷さん。

 

 

深夜1時くらいから書き始めたんですけど、気付いたら5時過ぎてたから寝るよ(
とりあえずこの興奮を書き留めておきたかっただけなので満足。
うっかりこれを読んじゃった人に伝わるかはともかく、ね。

起きて思い立ったら推敲しようかな……しない気もするけど。
ひとまず、おやすみなさい。

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