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ある100円玉のおはなし

今朝見た光景がなかなか素敵だったので、ここに書き残しておこうと思います。

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勤務先に向かう途中、通学中の小学生に多くすれ違う小道に某コンビニがあります。
わたしはいつもそこで、お昼ご飯を買ってから職場に行きます。

時間も7:30頃なので、時間的に通学途中の少年少女によく会うのです。

今日は、通勤前の母親と一緒にコンビニに来たであろう小学生……多分、小学生低学年じゃないかな、ランドセルも綺麗だったし、新1年生の可能性もあるくらいの子。
そんな子がスーツ姿の女性と一緒にコンビニにおりまして。

普段あまり見ない光景だったので、ついじろじろと。
今考えるとめっちゃ失礼だけど。

女性の持つカゴには、おにぎりと某妖怪アニメの食玩。
多分、少年の登校見送りついでに出勤前のご飯買いにきたのかなって。

彼らを通りすぎて、自分のお昼ご飯用におにぎり持ってさっさとレジに向かうと、先客はあの母子。

お母さんは支払いしてて、その隣で少年が多分自分のお財布握りしめて、レジの前に置かれた募金箱みてるんです 。

熊本の地震の、支援金のために設置された募金箱。

彼がこの募金箱の意味をどれだけ把握してたのかは分かりません 。

ただ、通勤前のサラリーマンが多く利用するコンビニなだけあって、募金箱の半分以上は小銭がじゃらじゃら。
皆、お釣りでも入れていっているのでしょう。

少年はそれをまじまじと見つめていて、なにを思ったか自分のお財布のがま口を開けて、中から小銭をつまみ出しました。

  

なにするんだろ、と首をひねって見ていたら、会計するお母さんの隣で、ちゃりん、と彼が自分のお財布から取り出した100円玉を募金箱に入れたのでした。

  

ぎゅっと握りしめられた、おそらくお母さんのお手製であろう某妖怪アニメの柄のお財布に彼はいくらのお金を入れていたんだろう。
どうみたって小学校低学年だったし、1000円以上とか、そうそう入ってなかったと思うんです。

そこから出てきて募金箱に落とされた100円の価値を考えたら、なんだか心を鷲掴みにされたような、そんな心地がしました。

額面で言えばただの100円玉です。
被災地に届けられても、それはやっぱりただの100円でしかないわけで。

でもやっぱり意味が違うな、と思いました。
  

中学生が金額が増えたお小遣いから出す100円は近いような気もするけど、なにか違う。

高校生、大学生がバイトして手に入れた、好きな漫画買ったり、お洋服買ったり、っていう中の100円とも違う。

大人が持つような、ちょっとした休憩に缶コーヒーを買うような100円とも違う。
  

いや、どれが良いとか悪いじゃなくて。
年齢層によって、もともと持ってる総額が違うんだから、その人にとっての100円の意味が違うんじゃないかって。

小学生なら、好きなアニメの食玩買うとか、駄菓子をいっぱい買うとか、彼らにとって人生の比重がすごく大きいものが100円で買えるじゃないですか。
ガチャガチャ回したりね。
もともと持ってる金額だって、そんなに多くないでしょう?

彼が持ってたのも大人が持ってるのもどれも同じ100円で、それ以上の意味なんかない、ってことはこれでも経済学部出身なので分かっているつもりです。

でも、これはすごく大切な100円だなぁ、と感じたのでした。

  

その一方で「いやこれ絶対何も分かってないで入れたよね?」と少々不安にもなりましたが、少年は満足げにニコニコ笑ってるし、お母さんも優しい顔で息子さん撫でてるし、それ見てたレジのおばちゃんも笑ってたし、なんか色々考えてたのも馬鹿馬鹿しくなって私も笑っちゃいました。

なんだか微笑ましい気持ちで親子を見送り、自分も会計に。
いざ財布に手を入れてレジで300円出して、そうだ、せっかくだしわたしも募金していこう、と100円を掴んで……

あ……これ500円玉だ。
気付いたときには、もうすでに募金箱へと500円玉が吸い込まれていたのでした。

明日のお昼が予定してたグラタンからグレードダウンして再度おにぎりになることが確定しましたが、まぁ、たまにはこんなのもいいだろう。
そう思った今朝のことでした。

彼の母親が買っていった食玩、ランダム封入だったみたいだし、めっちゃレアなの当たるといいなぁ……

  

追記:「募金をしよう」とかそういうことを呼び掛けたいわけではなくて、ただ、遠くに居て普通に生活するのも、熊本の農産物買うのも、実際に行ってボランティアするのも、おつりを募金をするのも、自分に無理ない範囲で、復興の手助けのほんの一部になれたらいいよなぁ、と改めて思った、そんな光景でした、っていう話でした。

なにかしろ、と強要するのも違うと思うし、自分に無理が生じたら意味がないし。

自分とは違う考えの人の心を蔑ろにして誰かを貶めたり、「私はやってるのに」って具体的なこと何も言わないで普通に振る舞う人を恨めしく見てるよりは、まず自分に出来ることからやってみようよ、と。
わたしにとってはそれが通勤途中の募金だったし、主婦だったらご飯の材料に熊本産の食材使うことかもしれないし。

誰かに見える場所で、仰々しく振る舞うことだけが手助けになるわけでもないでしょ。

なにかしたい、って思ったら、自分にも何かできると小学生がコンビニの片隅で見せてくれたんだから。

そう思わせてくれた少年の100円が、それがただの額面通りの100円でしかなくとも、正しく復興に使われることを願ってやみません。

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