【雑翻訳】ハースストーン短期集中講座 第一章 Hearthstone Crash Course Lesson 1 by J_Alexander

レッスン 1: 学びに対する姿勢

「最も基本的で大切なことは、自分自身をだましてはならないということです。そして、あなたは最も簡単にだまされる人間です。」 - リチャード・P・ファインマン(※1)

※1.アメリカ人物理学者。ノーベル賞受賞者であり、そのユーモアな人柄で知られる。

J_Alexanderと申します。

これはハースストーンをプレイする全ての人へ向けたガイドです。今から述べる多くの原理原則は初心者から上級者までゲームを継続的に改善し、より良いプレイ時間を過ごすのに役立つでしょう。あなたがゲームで成し遂げようとしていること、たとえそれがミームから競技的なものまで、上達すれば目標をより楽に達成しやすくなります。

私はこれらのレッスンを、より一般的で包括的なポイントから始めたいと思います。とどのつまり、私たちは人間だということです。私たちの頭の中には、非常に人間的な脳があり、非常に多くの問題を解決するために歴史の中で進化してきました。しかし、ハースストーンをプレイするときに直面する問題のほとんどは、今まで解決してきたような類のものではありません。私たちはこれらの特定の問題を解決するために進化していないため、私たちの脳は利用可能なツールを使って可能な限り最高の仕事をしますが、しばしばうまくいきません。それは、例えるならば缶切りを持っていないときに缶を開けようとするようなものです。缶を岩でこじあけたり、ナイフで切り刻んだりすることもできますが、これらの解決策は、おそらく簡単ではなく、美しくもありません。つまり、適切なツールを持つことが重要なのです。

このような問題と脳のミスマッチのために、私たちは性能の低いカードに過大な評価を与えてしまいます。また、他のカードの強さを認識できず、実行可能な選択肢を完全に見落としてしまいます。例えばあるデッキで連勝すれば実際よりも優れていると思うようになり、別のデッキ、あるいは同じデッキで連敗すると、実際よりも弱いと思うようになってしまいます。あなたはそのような偏りを経験し、知らず知らずのうちに悪いプレイをしてしまうのです。そしてそれは目先の問題に対処するために行き当たりばったりでデッキを変更し、長期的な勝率を悪化させる結果を招きます。

私たちの脳は、ハースストーンのようなゲームのバリエーションを理解するのに適していません。ゲームをプレイしているときには50回のゲームは多いように思えるかもしれませんが、デッキの可能性やゲーム内での立ち位置を完全に理解することとなると、それはバケツの中のほんの一滴に過ぎません。

私たち類人猿は、そのような不完全な認識ツールを使って困難な状況下でも最善を尽くし、そして間違いを犯すことになります。それは「ミスをするかどうか」の問題ではなく、「どのくらいの数のミスを」「どのくらいの頻度で犯すのか」の問題なのです。これは初心者にもプロにも言えることです。どんなに優れたプレーヤーでも、定期的にミスをします。

私がこの話をしたのは、現在のレベルにかかわらず、上達して学ぶための最初のステップは、「自分には常に学ぶべきことがあり、間違いを犯す可能性がある」と確信することだからです。自分はすでに物事を理解していると思っていると、より良いプレイを見つけようとする学習意欲は減退してしまいます。正解だと思っているのに、別の答えを探すのは時間と労力の無駄遣いですからね。

しかし、自分が何を学ぶべきか、何を改善すべきかを考えるのは簡単なことではありません。この難しさは、私たちが自分の犯している間違いに気づかないことが大きな原因となります。ハースストーンでは、正しいプレイングを認識する能力は、それを生み出す能力に対応しています。ミスをしても、それをミスと認識できないと、同じミスを繰り返すことになります。そこで問題になるのが、「何を学ぶべきか」ということです。皮肉なことに、何を学ぶべきかを知らなければ、学ぶことはできません。そして、学ぶべきことは無数にありますが、その中には無関係なものもあれば、間違ったものもたくさんあります。膨大な数の学びの機会の中から、最も有用なものを選び出すことができれば、自分で試行錯誤するよりもはるかに早く上達することができます。

さらに問題を複雑にするのは、自分の脳が自己研鑽の機会を妨害することです。自分の非を認めることは、恥ずかしいことであり、他人からの評価を下げたり、相手の反応を変えたりするので、一般的には難しいことです。例えば、無謀な運転をして車を壊した人よりも、木が倒れて車が壊れた人の方が、同情されたり、助けられたりします。そこで脳は逆境にあっても自分の地位を維持するために、「正しいプレーをしたのに、どうしようもないことで負けてしまった」というような、もっともらしい言い訳をするようになります。私たちは、実際にそうであることではなく、そうであってほしいことを主張しようとします。つまり、私たちの脳の一部は、自分のせいではないことを他人に納得させるために、自己研鑽に抵抗するのです。残念ながら、本能的に言い訳をすることは、次の機会に正しく行動することを妨げることになります。

もしそれが自分では思っていない奇妙な行動に思えるなら、私たちの脳にはハースストーンとは全く関係のない問題を解決するために進化したツールがいくつもあることを思い出してください。それらはどちらかというと自動的に、自律的に動作する傾向があります。ゲームの中で問題に直面したとき(例えば負けたとき)、脳は自分の持っているツールをその問題に当てはめようとします。たとえそれが完全に適切なものでなくても、あるいは達成したい他の目標(自分に非がないことを他人に納得させるなど)を損なうものであってもです。

私たちの脳は、自分のミスに気づかず、失敗から学ばずに自分の失敗を正当化してしまうことが多いので、正しい(あるいは少なくともより良い)結論を見つけるためには、自分の経験や信念から一歩外れる能力が必要になるということです。より深く理解するためには、テーブルの両側から試合をプレイする必要があります。他の人のプレーを見て、仲間から得たデータから洞察を得ることも必要でしょう。なぜなら、自分のゲーム感覚が間違っていたり、自分自身を騙していたり、自分の経験が限られていたり、視点が偏っていたり、自分の頭が必要な統計情報に精通していなかったりするからです。何をどう学べばいいのかを学ぶ必要があります。これらの問題は、自分たちだけで解決するには大きすぎますし、外部からの支援なしに良い解決策に到達する可能性は非常に低いです。私たちはお互いに助け合わなければなりません。

もちろん、人を見て学べばいいというような簡単なものではありません。なぜなら彼らもまた、限られた道具を使って缶詰を開けようとしている類人猿だからです。あなたが何かを間違えるように、彼らもまたそうなのです。ですので、安易に他人の意見や経験を鵜呑みにしてしまってはいけないのです。特に、自分よりもゲームが上手い人の意見や経験を信じてしまいがちです。成績の良いプレイヤーの主張を見て、自分が知らないことを知っていると思ったりしてしまいます(実際に知っているかもしれないし、知らないかもしれない)。

ここまでくると、少し難しく感じてしまい、プレイヤーの中には投げ出したくなってしまう人もいるかもしれません。「私はゲームを楽しむためにプレイしているだけで、勝率を最大化することには関心がない」と思っている人もいるでしょう。あなたは必ずしもビデオゲームを仕事にしたいわけではありませんしね。しかし、私はその逆だと考えています。ゲームに対する理解を深めようとする学習マインドを持てば、むしろゲームを楽しむことができます。今まで気づかなかったゲームのニュアンスを発見し、その良さを実感することができるのです。

すべてのプレイヤーが同じ目標を持っているわけではありませんが、達成したい目標があれば、どのタイプのプレイヤーにも当てはまる教訓です。

例えば、あなたの目標がヒップスター(※2)になりきって、自分で作ったリストをプレイすることだとします。あなたは強力なコンボや面白いコンボを見て、それを使って勝ちたいと思っています。あるいはあるカードのアートワークが素晴らしいと思い、それを眺めてクールな気分になりながらプレイしたいとか。ゲーム内での選択によって、自分の個性や趣味をアピールしたいと考える人もいるでしょう。

※2.基本的には流行に敏感な人たち、ちょっと変わったサブカル好き趣味の人たちを指す。大衆とは違う奇抜でおしゃれな服装、芸術や文学、誰も知らないようなマイナーな音楽などを好む傾向がある。要するにヲタク。

そのためには、デッキに入れたカードを使いこなせないと、ゲームの楽しさが半減してしまいます。コンボを決める前に負けてしまってコンボが決まらないのであれば、その楽しみも半減してしまうのではないでしょうか。しかし、ゲームを上達させ、ゲームに関連する重要なコンセプトをより深く理解することで、あなたが求めるゲーム状態に到達することが多くなります。ゲームの理解が深まれば深まるほど、自分の好きなようにゲームをプレイできるようになります。

これらの点は、退屈しのぎにゲームを楽しんでいるだけのカジュアルゲーマーにも当てはまります。初心者の方がゲームに挫折してゲームをやめてしまうのはよくあることですが、それは学ぶ姿勢がないからです。あるゲームで負けてしまったのか、あるいは何度も負けて悔しい思いをしたのか、自分の理解不足ではなく、悔しさをゲームのせいにし始めます。自分のミスで勝利を逃し、ひいては楽しみを失っているのに、学んで改善するのではなく、自分の責任を感じさせない方法で負けを正当化し始めるのです。

「イライラするのは、自分の選択ミスではなく、ゲームが悪いからなのだ…」。そして、彼らはその最悪のゲームをどうするのでしょうか?いうまでもなく、そのゲームをやめてしまうのです。改善したり学んだりする気がなくなってしまうのです。このようなプレイヤーは、改善しようとしないことで、ゲームから得られるはずの潜在的な楽しみをすべて失っているのです。

そしてそれは、自分自身にとどまらないこともあります。このような欲求不満の元プレイヤーは、そのゲームが好きな人や、トライしてみようと思っている人から、そのゲームをプレイする楽しみを奪ってしまう可能性があるのです。元プレイヤーの心の中では、そのゲームをプレイして楽しんでいる他の人たちそのものが、自分への直接的な攻撃に感じてしまうのです。結局、自分の過ちに頭を悩ませるよりもフラストレーションの原因ではない他のことを非難してしまいます。 つまり、他の人がそのゲームを楽しんでいるのであれば、その「クソゲー」という評価は間違っているかもしれないのです。そしてこの不満を持つ元プレイヤーは他の人にもゲームを楽しんではいけない理由を伝え、ゲームをやめるように勧めるのです。

学習することは可能であり、価値のあることだと理解する学習マインドセットを採用することで、自分のゲーム人生をより良いものにするだけでなく、他のプレイヤーの経験を少しでも前向きなものにすることができます。

要するに、上達するのは簡単なことではありませんが、常に何かを改善する必要があるのです。完璧なパフォーマンスは不可能ですから、それを目標にするべきではありません。その代わり、毎日少しずつでも上達することに集中してください。多くのことを学べる日もあれば、少ししか学べない日もあるでしょう。どれだけ上達しても、間違っていることを恐れてはいけません。あなたは人間であり、好むと好まざるとにかかわらず、それはあなたに起こることなのです。

第二章につづく。

原文:https://docs.google.com/document/d/1MmLTCm7vdg5icVF4dAQhHf8sO_AZvE4gwO8NuQE8oxQ/edit

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