徳川家康について

 松平元康は十七歳のとき家臣の阿部正豊に殺害された。松平元康は家康を名乗っていない。松平元康は徳川を名乗っていない。
 徳川家康と呼ばれている人物は武田晴信と於大の方の子の徳川家康(幼名国松。酒井浄慶・世良田二郎三郎・徳川家康)であり、これは関ヶ原で討死。
 松平元康の異母弟の樵臆恵最は夏の陣で討死。頼宣、頼房、市姫は樵臆恵最の子。
 鯛の天ぷらを食べて死んだのは農夫。

 霊界通信においては徳川家康につながる系譜が幾つか分かったので、先祖の一人ならいいと期待している。