土岐成頼→大畑定頼→金森(大畑)定近→政近、金森長近(弟に政秀、安楽庵策伝)→はる(嫡女。母は正室の於福の方〔斎藤道三の次女。母は小見の方〕。肥田忠政正室)、長則(母同嫡女。忠二郎。享年十九歳)、長光(母は久昌院)、可重(実は美濃国の垂井城主・長屋景重(後の板取城主)の子)、伊東治明(母同嫡女。伊東信直(安土桃山時代~江戸時代。元和2年12月22日(1617年1月29日)歿。掃部助、甲斐守、豊臣氏の家臣)の養子。掃部助。旗本。主君徳川家康)→長春院もめ(小出吉政正室)、金森重頼(正室は内藤やり〔内藤清次の第三子・嫡女。当主の最初の妹〕)→頼直(母は内藤やり)、重光(母は内藤やり)、従純(母は内藤やり。後に真宗大谷派高山別院照蓮寺15世を継ぎ宣心と称す)、重照(母は内藤やり)、重直(母は内藤やり)、範明(母は内藤やり。家禄300俵の旗本となったが後に断絶)、可俊(母は内藤やり。家禄300俵の旗本)、重利(母は内藤やり。3000石の旗本となったが18歳で没し嗣子なく断絶)、重秀(母は内藤やり)、やり(嫡女。母は内藤やり。織田長頼正室)、女子(次女。母は内藤やり。織田長定正室)、やり(三女。母は内藤やり。亀井茲政正室)、やり(四女。母は内藤やり。木下利貞正室)、やり(五女。母は内藤やり。小出有棟継室)、やり(六女。母は内藤やり。榎並某正室)、やり(七女。母は内藤やり。沼間清芳正室)、やり(八女。母は内藤やり。榎並某正室)、やり(九女。母は内藤やり。山下氏憲正室)。
二階堂行方(二階堂行村の四男)→行章→行員→行繁→行隆→行持(弟に種行)→小出時氏→雅氏→行直→祐行→祐重→時重→遠重→重行→重光→遠行→光行→政重→秀政(1540-1604。正室は栄松院やり〔関弥五郎兼員の娘。豊臣秀吉の生母大政所(名は、なか)の妹〕)→吉政(母は栄松院やり。1565-1613。正室は長春院もめ〔伊東治明の五女。当主の五番目の妹〕。弟に秀家[母同吉政。1567-1603]、日充[母同吉政]、三尹[母同吉政。1589-1642]、重堅[母同吉政]、秀清[母同吉政]、もめ[母同吉政。友松甚四郎正室])→吉英(母は長春院もめ。1587-1666。正室は貞松院もめ〔保科正直の五女。当主の五番目の妹〕。弟に吉親[母同吉英。1590-1668]、吉景[母同吉英]、吉成[母同吉英]、法眼院もめ[母同吉英。伊予大洲藩初代藩主加藤貞泰正室]、もめ[母同吉英。[播磨姫路藩初代藩主松平忠明継室])→帯刀(母は貞松院もめ)、もめ(嫡女。母同帯刀。三浦重勝正室のち山内一唯正室)、吉重(母同帯刀)、もめ(次女。母同帯刀)、もめ(三女。母同帯刀)、保科正英(母同帯刀)、英本(母同帯刀)、英信(母同帯刀)、もめ(四女。母同帯刀。立花種長継室)、もめ(五女。母同帯刀。藤井松平信之正室)、英勝(実は保科正英の嫡男)。
斎藤道三→於福の方(次女。母は小見の方〔美濃国明智長山城主明智光継の三女〕。金森長近正室)→伊東治明(豊臣氏家臣伊東信直養子)→長春院もめ(小出吉政正室)。