沙也可は原田信種である

 先祖の一人の原田信種の御霊に訊いた。
 沙也可(さやか)は文禄・慶長の役の際、加藤清正の配下として朝鮮半島へ渡った。しかし、投降して朝鮮軍に加わり、火縄銃の技術を伝えて日本軍と戦った。李世宗に無理矢理に留まらせられて、現地の女性と結婚して、金忠善を名乗った。沙也可(さやか)という名は筑前国怡土郡にある可也山(かやさん)から来ていると考えられる。可也山を逆から読むと、沙也可という。先祖の一人の原田信種の御霊に訊いたところ、沙也可は高祖城主の原田信種である。
 原田信種は豊臣秀吉に領地を少なく申告したため領地を没収され高祖城は壊された。沙也可こと原田信種は降伏(36歳)し、無理矢理に留まらせられ金忠善を名乗った。