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大量消費のヒヨコたち。

 「かわいい」と「おいしい」は正義です!

 そんなことはさておき、以前に初生雛鑑別、いわゆるヒヨコをオスメスに分別する現場を見せていただいたことがあります。

 そこにいたのは、その日の朝に卵から孵ったばかりのヒヨコ達でした。

 ちなみに、この孵化場で鑑別が行われるのは、週に2回。卵は孵化器に入れてからちょうど21日で孵るので、鑑別がある日の前日夜中にヒヨコが生まれるように調節されているそうです。

 卵の殻を割って出てきたのヒヨコは、扇風機で乾かされ、その日のうちにオスメスで分別。 メスは卵を採るための養鶏場へ出荷され、 オスは多くの場合そのまま処分されてしまいます。

  一匹一匹のヒヨコはびっくりするほどフワフワで、とても可愛かったです。それまでは、ヒヨコが可愛いなんてさほど感じたことはなかったのですが、いざ実物を見てみると「 ペットとして飼ったら絶対溺愛するし、死んじゃったらマジ泣きするだろこれ!」 と本気で考えてしまいました。それほどまで愛らしさに満ちた生き物でした。 

 しかしその一方、ケースの中に100匹単位で入っているヒヨコの姿を見ると、とたんに大量生産・大量消費されるただの「家畜」に見えてきました。「かわいそう」という感傷的な気持ちもたしかにあったのですが、それは驚くほどに薄く、それよりも「ああ、こうやって世の中に大量の鶏肉が行き渡って行くんだな」という冷静な部分の方が多かったのでした。

 きっと、そのどちらの感じ方も正しく、どちらも間違っているのでしょう。

 まあ、ミクロで見た個々のものとマクロで見た集団とで まったく印象が違うのはよくあることです。「1人1人の中国人」と「総体としての中国人たち」とか、「1人1人の被災者」と「広い目で見た被災者たち」とか、「1人1人の生活保護受給者」と「全体としての生活保護受給者たち」とか。「1人1人の社員」と「その集まりである会社や社会」なんてのもそうでしょうし、最近のネタで言えば「ひとりひとりの氷水を被る人」と「氷水を被るキャンペーンそのもの」なんてのもそうかもしれません。

 とりあえず、今後は鶏肉が出てきたときは、 これまで以上にじっくりと味わいながら食べようかと思いました。

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