#000 テスト投稿です
ペルー、コロンビア、ブラジルの三国は、ジャングルのど真ん中、アマゾン川のある一点で国境を接している。
そこのブラジルサイドの町が、タバティンガ(Tabatinga)だ。
アマゾン川の河口の街ベレンを出発してから、遙か上流にあるペルーのプカルパ(Pucallpa)を目指しずっと川を遡っていた俺は、3週間ほどかかってやっとタバティンガまでたどり着いた。
次に目指すのは、さらに400kmほど上流の街、ペルーのイキトス(Iquitos)だ。俺はそこまで、スピードボートに乗って行くことにした。
タバティンガからイキトスまで、それまで乗ってきたようなボロい普通の船だと約3日かかる。ところがスピードボートは、同じ行程を12時間で行ってしまうというすぐれモノだった。
その分値段は高かったのだが、そのとき精神的に落ち込んでいて元気の無かった俺は、イキトスまで3日もかかる上に、いつ出発するかも分からないような船に乗る気がせず、結局スピードボートに使うことにしたのだった。
きっと元気だったら、3日間かかるローカル船を迷わず選んでいただろう。その方が、よりアマゾン川を制覇した気分になれるからだ。
本当にローカル船ではなく、スピードボートに乗って後悔しないか、という問いが心の中にあった。
それに対し、いいんだよ、俺はAdventurer(冒険者)じゃなくてTraveler(旅行者)なんだから、と自分に言い聞かせた。
ボートは、まだ夜の明けきらない朝4:45にタバティンガを出発した。
黄土色の川面を切り裂くように走るボートは、乗っていてなかなか気持ちが良かった。
川と言っても、幅数キロにもなるアマゾン川は、水が茶色いのを除けばほとんど海か湖のようなものだ。
アマゾンというと、そこいら中から動物の鳴き声が聞こえてくるような、鬱蒼としたジャングルを彷彿とさせるが、ずっと川を遡ってきた俺には、まるで違う印象があった。
俺のアマゾンのイメージは、どこまでもつづく黄土色の水面と、その上に広がる青空だ。ジャングルの緑は、その間に挟り薄く広がっているに過ぎない。
だがよく考えると、ジャングルは、川面の何百倍、何千倍もの面積を持っているのである。その薄っぺらい緑が地平線を越え、遙か彼方までつづいていることを想像すると、何となく地球の丸さまでが感じられる気がした。
そんな呑気に周りの景色を楽しんでいたのは、初めのうちだけだった。
ボートの中では、自分がぎりぎり座るスペースしか与えられず、堅いベンチの上にじっと座りづけなくてはいけない。
これがつらかった。
暇なのは別にかまわないのだが、尻と腰が痛くなってくるのがたまらない。
船を下りて体を伸ばせるのは、給油のときと、3~4回ほど軍の検問のため上陸したときだけだった。
チケットには朝飯と昼飯が付いていたが、時間が惜しいのか、それすら船の上で食べさせられた。
だんだんじっとしているのがつらくなったので、俺は体勢を変えたり尻をずらしたりと、狭い中もぞもぞと動いた。だがそんなことをしたところで、大した役には立たなかった。
なにか、気を紛らわすものが必要だった。
幸い、俺の隣にフレンドリーなオヤジが座っていた。
彼も暇だったのだろう、俺たちは次第に言葉を交わすようになった。
大した話をしていたわけではない。自分たちの名前に始まり、どこから来たのか、仕事は何だ、とか、そんな話だ。暇つぶしにはそれで十分だった。
しばらくオヤジを話していた俺は、ふとあることを思い出し、そのことについて彼に質問してみた。
オヤジは、そのことは知ってるよ、と答えた。彼は長年イキトスに住んでおり、その事件に関しては、イキトスでもかなりの話題になったとのことだった。
「あそこは軍のチェックポイントになっていて、前を通るすべての船は、一度止まってチェックを受けなくてはならないんだ。このボートも、後でそこに寄るよ」オヤジは言った。
そして、ペンを持っていないか、と聞くので渡すと、彼は自分の鞄から地図を出して、その場所を教えてくれた。ちょうどタバティンガとイキトスの真ん中あたりだった。
彼はその場所にペンで印を付け、"Pijuayal(ピフアヤル)"と書き込んだ。
それが、俺がそこを通る約1年前、2人の早大生が殺された場所の名前だった。
1997年、早稲田大学冒険部に所属する2人の学生が、自分たちの作った筏でアマゾン川を下っていくという冒険の旅に出た。
計画は何年も前から立てられ、準備が進められてきた。
本番に備え、2人は綿密な計画書を書き、トレーニングを積み、きちんとした組織で川下りや救急治療の教習を受けたらしい。スペイン語とポルトガル語を勉強し、あらかじめペルーとブラジルに下見にも出かけていた。
9月初旬、2人はプカルパを出発。2人を乗せた筏は、順調に進んでいった。
そして10月17日の午後、筏はピフアヤルにある軍監視所の前を通り抜けようとした。
ところがその辺りは、ペルーからコロンビアへコカインを運ぶルートになっており、そこを通る船は、すべて監視所でのチェックを受けなくてはならない決まりだった。
だが2人の学生は、そのことを知らなかった。
2人の乗った筏が黙って通り過ぎようとしているのを監視所の兵士が見つけた。兵士は上空に3発、筏に向かって3発威嚇射撃をしたのち、船を出して2人を捕まえ、連行した。
2人は監視所で尋問を受けた。
その尋問の最中、彼らが大金を持っていることが分かると、兵士たちは態度を変え、彼ら2人を殺してしまった。大金といっても$1200くらいのものだ。
その場にいた兵士16人全員がグルになっての犯行だった。
事件が明るみに出て、ようやく彼らの遺体が発見されたのは、事件から2ヶ月以上が過ぎた、12月の下旬のことだった。
昼過ぎ、ボートはピフアヤルに着いた。
艀の横には"Guarnicion Militar Pijuayal"と書かれた、ボロい看板が立っていた「ピフアヤル軍監視所」という意味だ。
さわやかな場所だった。
艀からは緑の草が生えた斜面がつづき、少し上がると小さな見張り小屋があった。さらに200~300mほど登ったところに監視所の建物が立っている。監視所といっても小さな建物だ。そのすぐ後ろは、もう森になっていた。
監視所のある場所からは、きっと眼下にアマゾン川が広がる雄大な風景が見えるだろう。
風が心地よく、弁当を持ってピクニックしたくなるような、気持ち良さがあった。
俺はパッキングしてあるザックからカメラを引っ張り出して、その辺りの風景写真を何枚か撮ろうかな、と本気で考えた。
そのくらい、俺はその場所を気に入っていた。
俺を呼ぶ声がするので、振り向くと、隣に座っていたオヤジが少し高いところから俺を手招きしていた。
近づいていくと、彼はアマゾン川の中ほどを指さし、俺に向かって語りだした。
「大体午後3時頃だな、日本人2人が乗った筏が、川のあの辺を流れてきたんだ。あそこの小屋からそれを見ていた軍人が、筏を止めようと…」
まるで実際に見ていたかのような説明だな、と俺は思った。
ひとしきり説明するのを、俺は黙って聞いていた。最後に彼は、
「悲惨な事件だよ。だけど彼らはガイドを雇うべきだったんだ。ガイドを雇っていれば、監視所で止まらなきゃいけないことも分かったし、スムーズに抜けることが出来たんだ」と言った。まるで、俺に言い聞かせるような口調だった。
軍のチェックといってもちょっとパスポートを見せるくらいで、自分の番が過ぎるとあとは何もすることがなかった。
俺はオヤジから離れ、一人になって辺りを見回した。
つくづく、昼寝するには良い場所だな、と思った。周りに兵隊さえいなければ、一日中ここにいてもいいくらいだ。
兵隊といっても、ほとんどがまだ16~17才くらいの少年だ。彼らのまだ幼いきれいな顔立ちと、使い込まれてくたくたになった戦闘服やブーツ、そして肩から下げられた自動小銃との取り合わせは、俺に違和感を与えた。
何とも不思議な光景を見ているような感じだった。
当然ながら彼らは、以前2人の日本人が殺されたことなんかまるで知らないかのように、普通に任務を果たしていた。
俺は思わず一人の兵士に、以前ここで日本人が殺された事件のことを知っているか、と聞いてみようかと思った。もちろん、実行には移さなかった。
俺は再び川を見下ろしながら、川面を2人の学生が乗った筏が流れている様を想像した。
ピフアヤルを離れるボートの中で、俺はオヤジの言った言葉を思い出していた。
『彼らはガイドを雇うべきだった』
それを聞いた瞬間、何かが胸に突き刺さって来たかのように、早大生たちの「愚かさ」を思った。
確かにオヤジの言う通りだと思う。ガイドを雇うというのは、特別なことではないのだ。別にガイドを雇ったからといって、それは恥ずかしいことではない。
彼らとしては、冒険旅行にガイドを雇うなんてとんでもない、これは2人だけでやり遂げるんだ、と考えていたのだろう。ガイドなんて発想すら無かったのかもしれない。
だが、未知の場所に踏み込んでいくのに、ガイドが必要だ。恥ずかしいことではない。 ひとつの無知から来る失敗が自分の命に関わるような世界では、それはなおさらだった。
自分の冒険心と虚栄心を優先し、必要な状況で必要なことに気づかないのは、ただ愚かとしか言いようがない。
ガイドに限ったことではない。それは計画そのものにも言えることだった。
いくら綿密に計画を練り、情報を集め、トレーニングを積んだとはいえ、所詮人間のやることなのだ。今回のような事件は必ず起こりうるのである。
それでも、彼らを冒険の旅に送り出したものは「愚かさ」以外の何ものでもないと思う。
そんなことを考えながらも、反面、俺にはその「愚かさ」が、泣きたくなるくらいによく理解できた。
それが愚かだとは解っている。解っていながらも、それを選んでしまう何かが胸の中にはあるのだ。
俺だって多少の無茶はしてきた。
むしろ計画性や下調べの量を考えると、可能性だけで言えば、2人の早大生より俺の方が死ぬ確率は高かったのかも知れない。
俺ばかりじゃない。そんな奴はいくらだっているのだ。
それじゃあ俺を含め、そんな奴らのやっていることは間違っているのかと言えば、決してそんなことは無いと思う。
ただ、愚かなだけなのだ。
そして、2人の早大生は死んでしまった。
今でも彼らの愚かさを思うと、胸の痛む。
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