海水浴の実験

福井県の敦賀へ海水浴をしに行った。
敦賀の海は本当に綺麗で、盛りいっさいなしで、ワイキキより綺麗だ。私も、ハワイに行ったことのある友人たち複数人も同じことを言っているので本当だ。ハワイのノースショアくらい綺麗だ。
砂浜は荒めだけどさらさらの白いビーチで、水は完全に透き通っている。太陽が出ると、透けた白い海底の砂地に水面の模様の影ができる。Photoshopで加工したような薄い水色の水。沖の方まで泳ぐと海底はとても深くなるので、その濃さで下まで見えないものの、水に浸かるつまさきなんかはくっきりと見える。水が綺麗すぎるのと深すぎるせいで、人間の身長くらいの深さでははっきりクリアに見えるのだ。

コロナ禍前に同じく敦賀へ行ったきり、海水浴は行っていなかった。自分の年齢はどんどん上がるし、自分を含め周りも陰気なオタクだらけなので、水着を着てビーチではしゃぐということに乗り気でない人ばかりである。このまま海水浴を一切せずに死んでいく可能性も十分にあった。
そんな折、友人のひとりが海水浴はおろか、海の家すらまともに見たことがないと言う。せっかくなので福井の海の美しさを見てもらいたいと思ったし、そこで海水浴を経験してほしいなと思うようになった。
彼女は神奈川に住んでいて我々からするとそれなりに遠方住まいだし、関東の人あるあるであまり遠方に出ないタイプ。積極的に北から南までどこへでもフットワーク軽く遠征する私たちに比べると、関東圏内での現場にやっと出向く、程度の出不精。
しかし、そんな彼女とは来年一緒にイタリア旅行へ行くことが決まっている。彼女以外のメンバーはみんなフッ軽オタクで旅にも慣れているけど、彼女自身はそうではない。イタリアに行く以上、ある程度旅をすることに慣れたり、フットワークを軽く持つことに慣れる必要があると思っていた。そうでないと、彼女自身が現地でしんどい思いをすることになると思ったから。
無理強いするつもりはなかったが、そういう思いもあって誘ってみた。意外とあまり悩まずに参加してくれることになった。わざわざ海水浴のためだけに新幹線に乗って来てくれる。ありがたいことだ。
宿泊には自宅を貸して、2泊してもらい、なるべくハードでない旅になるように調整した。自宅から敦賀の海までは大体2時間程度で日帰りできる距離なんだけれど、当日は夏休み初日の休みだったから、ジャンクションで渋滞してしまった。これは普段からよく渋滞が発生する地帯なので仕方がない。それでも2時間半程度で到着することができた。

久しぶりだったし、子供の頃の海水浴と違って、大人の海水浴は何もかもを自分たちで準備しなくてはならない。車のガソリンを入れ、タイヤの空気圧を調整し、道を確認し、遊ぶ用の道具を買い揃え、水着も新調した。
私は敦賀の海が好きなので、親しい友人にはおすすめしているが、だからといって爆発的に人気が出ても困る。もとより水晶浜などは人気のビーチだが、そもそも福井県という場所自体に多くの人間がそうは集まらない。それがいいのだ。
今回は敦賀の中でも穴場のビーチを選んだ。どこかは言わない。海の家はないが、駐車場もコインシャワーやトイレ、脱衣所もあり、こぢんまりとした小さなビーチながらに人も少なくとても良かった。
私たち以外は家族連ればかりで、あとはバーベキューをしに来ている外国人グループ。これも男女混合の家族ぐるみのようなグループだったから、治安は100%良かった。

男性にはあまりピンと来ないかもしれないが、こういう環境が海水浴には一番良い。誰の目も気にならない。女が何人かで、内輪で好き勝手はしゃいでいても誰にも迷惑がかからないし、誰も見ていない。男女ともほとんどの人はみんな長袖のラッシュガードを着ている。
これが人気スポット水晶浜だとこうはいかない。良い年をして狂った男たちが海上においても声をかけてくる。こういうことを言うとナンパ自慢乙wwwwwwみたいなリアクションがありそうだけど、本当にこういう手合いはカス。クズ。ゴミ。私たちは友人同士で海を楽しみに来ているのであって、赤の他人の知らんおっさんとのコミュニケーションは全く目当てではないし、そもそもこっちもいい年なのにそんな目にまだ遭わないといけないのか、と死にたくなるし、本当に誰も得しない。
海で友人と浮き輪で浮かびながら喋っているだけでとても楽しくて幸せなのに、フロートに乗った男がわざと近づいて肌をぶつけてきたりすると身動きが取れない状態でより恐怖感があるし、股間が張り裂けそうなほど生理的に不快。
どの地域にも「あのビーチはナンパが多いから嫌だ」と言っている女性、わりといると思うんだけど、そういう意味。邪魔でしかない。若ければいいというわけでもないが、30過ぎてもまだあるって本当に地獄なので、海にナンパしに来る人間は完全にそれが迷惑行為であることを自覚してほしい。

と、そういうこともあって今回は水晶浜をパスし、穴場ビーチを選んだのが大正解だった。なごやかな風景しかない。平和に海を楽しむ家族連れを遠巻きにぼんやり眺めているのも楽しかった。本当は、友人たちにもこういう子供の頃の海のいい思い出があればよかったんだけど、残念ながらその機会はないようだった。だからせめて大人になっても、こういう良さがあるものだよと伝えたかった。

海は本当に気持ちよかった。少し天気が悪くて、おかげで暑過ぎずに日焼けもほとんどしなかった。浮き輪で波に揺れて流されることの何がそんなに良いのか自分でもわからない。「海へと」という曲があって、それが好きだけど、基本的に人間が海に流されている状態って、ほとんど死んでいると思う。だからなんでその状態が良いものとされているのか不思議だ。海の生き物ではないから。
でも実際に流されていると、やっぱり気持ちいい。潮風はべたつくし、海水もべたつくし、髪はバリバリになるし、変な虫もいるし、海って全然いいことない。でも海っていいものだな、となるその理由はよくわからない。
実際、膨らませた浮き輪やフロートを萎ませるのが一番大変だった。それから折りたたみシェードが全然たためなくて、1時間くらい友人が奮闘していて、結局たたむことはできたけど、辟易して捨てると言っていた。苦痛や絶望も楽しめるようになっていきたい。

私にとって、今回の海水浴の裏テーマは『旅行における面倒ごと、体力の分配などの自己調整力を全体的に高める』だった。
旅慣れしていない人も含めて自分ももちろんそうだ。海水浴っていうのは楽しい時間はあまり長くなくて、準備や後片付けの、別にやりたくないことの時間のほうが長かったりする。そういうのを大人になると面倒になって、レジャー自体敬遠していく。釣りとかキャンプもそうだ。
実際に全体を見ていて、『準備が面倒だからこれはもういいや』と諦めて、楽しくやるための努力を放棄してしまう瞬間も発生していた。それを周りが手伝ったり、役割を分担することでカバーしていたので、基本的にみんないいヤツだったと思う。
ここのバランスがコミュニケーション上では難しいところで、イタリアみたいな遠くて行動制約も多い場所になると不和が生まれたり、誰かが何かを我慢したりすることになりかねない。それが嫌だった。
そういうのは経験を重ねるしかないと思っていたので、海水浴はそういう意味でもちょうどよかった。

私はレジャーの場にネガティブな感情を出すことは楽しさに水を差すことだと自戒も含めて思っていて、帰りの運転で少しくたびれてしまったのが反省。ほとんど眠れていなかったし、その上海水浴の後だから疲れているのはもうしょうがなかったんだけど、もうちょっとビタミン剤を飲むとかして空元気でもいいから作るべきだった。
私も一人で行動するときは、予定を立てていたのに急に面倒になって諦めたりすることもある。一人の時はそれでいいんだけど、誰かと一緒にいる時に、その誰かが何かを諦めていると、なんだか自分もショックを受けてしまうことがある。あれなんなんだろう。共感性の問題なのだろうか。

「たのしむ」をやるのにもコツがいるし、結構頭を使うし、いい思い出を作るためにはそれなりに努力を伴う、そしてそれはなるべくその努力を怠らない方がいい人生になる、と思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?