古代の外来種ニホンヤモリの隠れた侵略性と三つ巴の競争

この記事は以下の論文の解説です。

https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/mec.17420

Chiba, Minoru and Chiba, Satoshi. "Hidden invasiveness of non-native Schlegel's Japanese gecko (Reptilia: Squamata: Gekkonidae) and three-way competition among natives and non-natives in Japan" Molecular Ecology (2024): 10.1111/mec.17420

 「歴史は勝者によって書かれる」という言い回しを巷で目にすることもあると思います。大本の由来などは諸説ありますが、本質的に意味するのは、歴史というものは得てして時の勝者が都合の悪い事実を書き換えてしまったり、そんな中で敗者や排除された勢力の情報というものが欠落してしまうために、真の史実が把握しづらくなってしまいがちであるということです。こうした敗者の情報の欠落というものは人類史だけなく、様々な生物の競争の歴史を持つ自然史においても起こりうるのではないかと考えられます。

 古文献と遺伝子解析、人類史検証に基づく以前の研究から、日本列島で最も普遍的に生息する身近なヤモリであるニホンヤモリが、実は約3000年前に中国から移入し、日本社会の発展とともに人為的に分布を拡大してきた古い帰化種であったことが示唆されました(詳しくは下記参照)。

Chiba, Minoru, et al. "The mutual history of Schlegel’s Japanese gecko (Reptilia: Squamata: Gekkonidae) and humans inscribed in genes and ancient literature." PNAS nexus 1.5 (2022): pgac245.

ニホンヤモリは長らく在来種と考えられ、家の守り神として祀られるなど、日本の身近な生き物としてずっと親しまれてきました。そのような存在が帰化種であると分かったいま、次に考えるべきは「ニホンヤモリが侵略的か否か」ということになります。ニホンヤモリは中国から侵入して現在に至るまでの3000年間に、日本の在来生態系に対してどのような影響を及ぼしてきたのでしょうか?古い帰化種は日本の生態系に既に組み込まれよく馴染んでいることから、中立的とみなされていることが一般的です。しかし、昨今の侵略的外来種の在来生態系の駆逐速度の速さを鑑みれば、ニホンヤモリのような古い帰化種も侵入当時には侵略性を発揮しており、影響を強く受けた生物は既に人知れず淘汰されてしまったために現在は見かけ上中立に見えるのではないか、と考えることもできます。本研究ではこのような仮説のもと、ニホンヤモリと近縁種の競合という側面からその見過ごされていた歴史を詳らかにしました。

 実は日本列島には、ニホンヤモリの他にも同じGekko属ヤモリが未記載種含めて現在7種生息しており、そのうち6種は日本固有の在来種と考えられています。しかし、その多くが現在は断片化された局所的な分布を示しており、稀少な存在となっています。本研究ではこの7種の同属ヤモリのうち、ニホンヤモリと分布が部分的に被っているニシヤモリおよびミナミヤモリを対象に、ニッチ解析や集団遺伝学的アプローチから3種のヤモリの歴史的な種間競争の模様を検証しました。

 検証に当たって選んだ調査地は長崎県の五島列島と鹿児島県の本土、そしてその沖合に浮かぶ甑島列島です。五島列島にはニシヤモリが在来的に分布している他、ニホンヤモリが3000年前に中国から最初に侵入してきた地域であり、さらに近年ミナミヤモリも国内移入してきたことで3種のヤモリがパッチ状の分布を示しています。一方鹿児島県本土にはミナミヤモリが、甑島列島にはニシヤモリが在来分布しており、どちらも現在ニホンヤモリは定着を果たしていないか、稀です。また、これまで甑島列島にはミナミヤモリは生息していなかったものの、今回の調査で列島北部の上甑島及び中甑島の一部でそのまとまった生息が認められ、近年移入していることが示唆されました。つまり、五島及び甑島列島北部を競合地域、鹿児島本渡及び甑島列島南部(下甑島)を在来の1種のみが生息する非競合地域とみなして比較することで、3種の競合性を検証できるのではないかと考えました。

 ニッチ解析ではまず、MaxEntを用いた生息適地推定の結果、ニホンヤモリ、ニシヤモリ及びミナミヤモリの潜在的な生息適地がお互いによく類似していることが分かりました。また、過去の気候データを用いたモデリングから、3種の生息適地は最終氷期以降回復傾向にあることも示唆されました。次に、それぞれのヤモリが利用していたマイクロハビタットを統計的に比較した結果、ニホンヤモリとミナミヤモリ、そして競合者がいない地域でのニシヤモリにはまったくハビタット利用に差はなく、いずれも都市部の人工環境をもっともよく好んで利用することが分かりました。一方他種のヤモリと競合する地域においてのみ、ニシヤモリのハビタット利用は有意に変化し、他種のヤモリと取り合いになる都市部の人工環境の代わりに非都市部の人工環境(山間の展望台など)などの代替ハビタットを積極的に利用するようになることが分かりました。このように、3種のヤモリの生息適地は高い割合で共有されており、実際のマイクロハビタット利用も非競合地域ではそれぞれ類似している一方で、競合地域ではニシヤモリにマイクロハビタット利用に変化が生じていることから、五島のような競合地域では三つ巴の競争によって現在のパッチ状の分布を形成したのではないかと考えられます。

 遺伝学解析ではニシヤモリについてddRAD-seqを、ミナミヤモリについてはddRAD-seqとmtDNAのサンガーシーケンスを行いました。分子系統解析と集団構造解析の結果、ニシヤモリは地域間で大きな差はないものの五島で1集団、甑島は2集団(上甑島、中甑島及び下甑島北部で一つと下甑島南部で一つ)の計3つの分集団に分けられることが分かりました。以降の解析ではこの結果をもとにクラスター分けを行います。ミナミヤモリは興味深いことに上甑島と中甑島にそれぞれ由来の異なる別系統が移入しているらしいことが分かりました。先行研究からミナミヤモリは国内でも遺伝的に分化している集団が多く、鹿児島県本土の薩摩半島だけみても西側と東側で2つの集団に分かれていることが示唆されていました。今回解析した上甑島の個体群は鹿児島本土の薩摩半島西側の系統と一致し、これは島と本土を結ぶフェリーに乗じて移入したのではないかと考えられます。また、五島の個体群も同じく薩摩半島西側に由来すると思われる系統でした。一方、中甑島の個体群は薩摩半島東側の系統と一致し、これは2006年から2020年にかけて建造された中甑島と下甑島を道路で繋ぐ甑大橋の工事に際して、鹿児島湾周辺の工業地帯から資材などに紛れて移入した可能性があります。

  両種の遺伝的な集団構造が分かったので、各地域集団のうち十分なサンプル数の確保できたニシヤモリ3集団とミナミヤモリの五島集団についてStairway Plot v2 による集団動態と、ニシヤモリについてはABCtoolboxによる分岐年代推定も行いました。ニホンヤモリの先行研究でも同様の手法で解析を行いましたので、集団動態のイベントを併せて時系列で見てみると、ニホンヤモリ、ニシヤモリ及びミナミヤモリの3種のヤモリが競合する五島列島周辺ではまず3000~2400年前に五島や九州にニホンヤモリが侵入し、その後集団サイズを回復し始めた1500年前頃にニシヤモリが一度急激な集団サイズの減少、つまりボトルネックを経験していました。さらにそこからしばらく経った1000年前に今度はミナミヤモリがボトルネックを経験し、その少し後にニシヤモリが二度目のボトルネックを経験していることがわかりました。一方、甑島列島のニシヤモリの集団動態を推定した結果、つい最近他のヤモリが侵入し始めた甑北部では500年前に何らかの原因でボトルネックを経験していましたが、競合者が一切生息していない甑島南部においては最終氷期以降一度もそのようなボトルネックを経験していないことがわかりました。さらに分岐年代推定も行った結果は、五島の集団が甑島の集団から分岐したのは約11000年前であり、五島集団がボトルネックを受けた1500年前とは時系列がまったく一致しないことを示しました。一方甑島の集団が南北で分かれたのは約500年前であり、こちらは甑島北部集団がボトルネックを受けた年代と一致しました。

 ここまでの結果から、ニシヤモリやミナミヤモリのそれぞれの地域集団が経験したボトルネックの背景にどのような原因があったのか、考え得る仮説を一つ一つ検証していきたいと思います。まず、五島周辺、つまり3種のヤモリが競合する地域でのニシヤモリ集団が1500年前に受けたボトルネックについて。最初に考えられるのは先行研究のニホンヤモリで見られたパターンと同じく移入によるものだというシナリオですが、ニホンヤモリの時はボトルネックのタイミングと各地域集団の分岐年代が概ね一致していたためそのような解釈がされましたが、ニシヤモリ五島集団の分岐年代は11000年前とボトルネックのタイミングとはまったく合致しないことから、こちらは移入であるというシナリオと整合しません。次に生息地の開発のような人間活動によるものだというシナリオですが、こちらも生息適地やマイクロハビタット利用の結果からニシヤモリも都市部の人工環境などを好んで利用することと矛盾します。また、気候変動によるものだというシナリオも最終氷期以降生息適地が回復傾向にあることと矛盾します。最後にニホンヤモリの侵入と競争的排除によるものだというこの研究の最初に立てた仮説ですが、こちらは矛盾する結果がなく、現時点でもっとも妥当なシナリオであると推察されました。
 一方甑島北部の集団が500年前に受けたボトルネックについては、ニホンヤモリやミナミヤモリの侵入があくまでここ数年程度の出来事である可能性が高いことと、分岐年代とも一致していることから、こちらは移入によるものである可能性が高いと考えられます。そして非競合地域である甑島南部の集団は当初の仮説通り最終氷期以降一度もボトルネックを経験していませんでした。つまり、500年より前にはニシヤモリは甑南部だけに在来的に生息しており北部には何らかの原因で生息していなかったが、500年前に甑北部まで分布を拡大したと考えると辻褄は合います。ただし、実際500年前には北部にはいなかったのか、またいなかったとしてそれは何故かということについては現状まだ不明です。そして五島や甑島南部での結果をまとめると、現在侵略的外来種だとみなされていないニホンヤモリも、在来のニシヤモリに負の影響を与えていたということが示唆されました。
 最後にミナミヤモリの五島の集団の1000年前のボトルネックについて。実は五島のミナミヤモリは半ば暗黙知的に図鑑などで最近の移入種と書かれているのですが、ミナミヤモリが新種記載された1980年代には既に五島で記録されていたため、もしかしたらもっと古くから生息していた可能性があります。五島集団の祖先系統と考えられる集団を今回採集できなかったので分岐年代推定ができていないのですが、もしかするとこのボトルネックが移入によるものであり、ミナミヤモリは1000年ほど前に五島に侵入した可能性が考えられます。そしてこの侵入年代が正しければ、1500年前にニホンヤモリの侵略によってダメージを受けていたニシヤモリがミナミヤモリの侵略によってさらに追い討ちを受ける形で900年前に二度目のボトルネックを受けたという妥当なシナリオが成り立ちます。今後の課題として、五島集団の祖先系統と考えられる薩摩半島西側のサンプルを交えた分岐年代推定などからさらに検証していければというところです。

 一連の結果から結論として、在来で中立と長らく考えられてきたニホンヤモリも、実は侵入当時には強い侵略性を発揮しており、そして少なくとも九州においては現在も近縁の在来ヤモリのニッチを奪い続けている存在であることが示唆されました。ニホンヤモリは今ではとても身近な日本人の隣人ではありますが、その背景には在来ヤモリを追いやることでその地位を得てきた歴史がありました。冒頭で述べたように、競争の敗者の情報は歴史の中で欠落してしまうことが多いために、このように現在の状態を見誤ってしまう恐れがあるのだと考えられます。生物多様性保全が声高に叫ばれるこれからの時代こそ、何を保全するべきか?という意思決定を誤らないために、現在の生物多様性を形成するに至ったその歴史的な背景をしっかりと認識することが肝要ではないでしょうか。


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