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短編台本『遅刻魔』

※ネタバレを含みますので注意してください。



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15分以内

草臥れ男

伊藤

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街角のてらすかふゑ

草臥れ男
「…」

伊藤
「おい」

草臥れ男
「ええと…」

伊藤
「アンタ随分と湿気た面しているね。
もしや…誰かと待ち合わせかい」

草臥れ男
「まあ、そんなトコで」

伊藤
「駄目だよ駄目駄目…それじゃ相手の方が草臥れちまうんだから。
良い服も着てるんだし、もっとこうしゃんとしねえと」

草臥れ男
「…こんな所で説教垂れたって私にはちっとも痛くなんかないよ。
あんた昨日の朝野垂れ死んでた野良猫にそっくりなんだもの」

伊藤
「野良猫だって?
冗談は良してくれ、あれは女の動物よ。
僕はね、一匹狼なんだよ」

草臥れ男
「こんな酒臭い狼が居るなんて知らなんだ。
私はあの獣の事は苦手でね…なんでも一人で出来ると思ってる所が本当に気に食わない」

伊藤
「そこがいいんだよ…いいかい彼奴は媚びないし、傷だらけで…そう傷だらけだからいいんだ!」

草臥れ男
「はあ…まるで兵隊上がりの考え方だよ。
それにしたって風貌は野盗か気狂いといったものだが…」

伊藤
「そんな訳が分からない奴等と一緒くたにされたって困るものがあるね全く」

草臥れ男
「では一体何者だと?」

伊藤
「そりゃ勿論…ええとなんだったかな…ああくそ、酒の所為か物覚えがすこぶる悪くてね。
ぱちんぱちんと星が一つ二つ…そうだ兵隊だったかな、それはもう立派な勲章をじゃらじゃらつけて…お陰で軍服がおもったくて…」

草臥れ男は鞄の中に詰められていた分厚い紙束を取り出してぺらぺらと捲り始める。

草臥れ男
「ほほう、確認してみようか…ううん外れだよ。
君のソレは嘘っぱちだ。
重たい軍服なんかじゃなくて、雨水かなんかを吸い込んだぼろきれみたいな服じゃないだろうか」

伊藤
「いやまさか、そんな…アンタが言う事が本当だとしたら、僕は一体どこの誰なんだって…っとそうだ、僕はそれはもう凄い医者でね。
田舎モンが祟りだのなんだの支離滅裂な事を言う病気を片端から治していってね…」

草臥れ男
「ほほう、確認してみようか…ううん外れだよ。
やっぱり君のソレは嘘っぱちだ。
きっと昨日見た新聞の記事と混ざっているだけさ。
確か新品同然の白衣の医者様が病気の新しい治療のやり方を見つけたとかなんとか…」

伊藤
「ああ、それなら見た気がするな…という事はそうじゃないって事になる。
くそ、酒が足りない、これじゃまるで浮かび上がっては消えていくあぶくだよ」

草臥れ男
「なんだか不安そうだね」

伊藤
「…今日居た自分だけが確かな自分であると、そう考え疑問に感じるのは恐ろしいんだ。
じゃあ明日の僕は?明後日の僕は?
未来の僕も過去の僕も何処を探しても見つからないんだ…いいや分かった、そう言えば天から下界を見下ろしていた神様だった。
それはいい気分だよ、人間なんて蟻みたいなもんで、ふうと息を吹きかけると家ごと吹き飛んでいくし、思い切り地面を踏みつけると慌てて逃げていくんだ…」

草臥れ男
「それは、大それた事を…まあ確認してみるけれどね。
どれどれ…ああやっぱり神様なんかじゃないね。
君は下界の人間だし、本物の蟻を相手に悪戯してただけなんだ…風はこのとおり穏やかだし、地震だって大きいのは近頃観測されてはいないんだ」

伊藤
「そう…ということは矮小な人間風情という事で…いやまて、アンタはさっきからぺらぺらと紙束を捲って、何処かの調査員か何かで?」

草臥れ男
「いやいやそんな…私は人には詳しくてね、こうして自前の人物記録を持ち合わせているのさ」

伊藤
「なら、僕の事も分かるのかい?
是非とも教えて貰いたいものだ」

草臥れ男
「ええと、それは出来ない相談というもので…」

伊藤
「どうして?
なに、少しばっかり漏らしてしまったとて誰も気にはしないよ」

草臥れ男
「規則だからね」

伊藤
「規則ってのは神様が見ているもんかい。
いいや気にしちゃいないね、僕たちは所詮木っ端なんだから」

草臥れ男
「木っ端だって?
馬鹿を言っちゃいけないな、私は君とは違って暇でもなんでないし、今はただ揺れる草木のように話を聞いているだけに過ぎない…」

伊藤
「本当に、頼むよぉ…そうだ!
アンタのその時計は随分と羽振りが良さそうに見えるけどね、僕の目にはその偽物っぷりがよく目立つ…それは所謂鍍金だね。
残念無念で可哀想に、けれど安心して貰ってもいい、此処に本物の銀の懐中時計がある…まあ鎖の部分は無いが…コレとその紙束を交換してくれないだろうか?」

草臥れ男
「んん…その話が本当だったら耳を傾けても良かったかもしれないけどね、生憎私の銀の懐中時計は本物なんだ…保証書だって無いわけじゃないし、簡単に騙されてやるつもりもない。
…それに言い難いんだが、君の持ってる方の時計が鍍金だね…ほら、所々鍍金が剥がれている…うーん私の見立てでは錻だろうか…」

伊藤
「いや、まさか…これは父から受け取ったもので、ああええと確か祖父からだったか…ああくそ酒瓶が空だ…これじゃ肺に空気を満たしてやることしか出来ないな…」

草臥れ男
「私には君が何者だろうと関係ないんだけれど」

伊藤
「どうしてそんなに冷たいんだ…ははあ、さては僕が夜に色街で遊んできたことも知っているな」

草臥れ男
「…それは嘘だな。
記憶が飛んでいるのは分かるけれど、ここまで酷いと私が間違っているのでは、と不安になるね。
残念ながらこの紙切れは便利なもので、人間の歴史をぴたりと当ててくれる予言書なのさ」

伊藤
「ならば余計に気になるな…僕が何者で、どこの一匹狼なのか知らなくちゃいけないんだから」

草臥れ男
「まぁ好きにするといい。
ただし奪えるとは思わない方がいい」

伊藤
「それは何故?」

草臥れ男
「君の事を見ている人が他にいるからさ…一人だけじゃない…大勢の人の中に視線がある。
逃げるのも難しそうにみえる、秘密警察ってやつだろうか…これじゃ狼じゃなくて兎だね」

伊藤
「僕は監視されているのかい。
…身に覚えがぁ…ああ!」

草臥れ男
「いきなり大声を出すのは止めた方がいい…」

伊藤
「ああ、そう、うん。
聞いてくれると助かるんだが」

草臥れ男
「はいはい」

伊藤
「実はね、さっきそこの裏通りで人を殺したんだ。
理由は良く覚えてないんだけれど、カッとなってやったことは確かなんだけれど…」

草臥れ男
「…そこであったのは盗みだ。
人殺しがあったのはそこから二軒先の中華屋で、理由は…怨恨みたいだね。
そこの店主が随分と恨みを買っていたみたいで」

伊藤
「盗みだって…?
いや、あれは僕が力任せに酒瓶で殴って」

草臥れ男
「その割には、酒瓶は血濡れてないように見えるし、人殺し特有の臭いも無し。
それにこの便利な紙切れは生きていると告げているんだから君はただの盗人だ…良かったじゃないか自分の身の程を知ることが出来て」

伊藤
「そんな…そんな!
僕は人殺しで…一匹狼で…神様で…何者にもなれない人間なんかじゃないんだ!!
アンタが、一番よくわかってるハズだろ!!!」

草臥れ男
「…おやおや良く吠える…これじゃただの負け犬だ」

狂ったように歯茎を剥き出しにしたまま地面に這いつくばった伊藤に向かって、慌てるように黒い制服を着た男達が駆け出した。

伊藤
「な、なにをするんだ、君たちは僕に何かする権利があるのか?!」

男達が伊藤を力強く押さえつける。その間も小さな言葉でぼそぼそと耳元に何かを話しかける。するとみるみるうちに伊藤の動きが鈍っていく。

草臥れ男
「…十二時十分に、君は多くの男達に理不尽な扱いをされるだろう」

伊藤
「…た、逮捕だって?
そ、その前に一つ教えてくれ、僕は何者なんだ!」

草臥れ男
「そろそろ待ち合わせの時間が近い…」

伊藤
「た、頼む後生だ…!
僕は、本当に一匹狼なんだろう?!
なあ答えてくれ、答えてくれ…」

草臥れ男
「十二時十二分…此奴は死ぬ。
原因は単純な事故死
そう、ただの事故によって」

制御を失った車が勢い良く伊藤達に向かって突っ込んでくる。男達はそれに気づいていち早くその場を離れるが、茫然自失の伊藤は車に気づくことはない。

伊藤
「ぐっ、ぐぶっががが…ぎぐぐ?!
ぎぃぃぃいいい」

草臥れ男
「情けない姿だが…避けられないことでもある。
…やぁ少し遅くなったみたいだけど、何かあったのかな?
…いやなに君の遅刻癖はよく分かっているから、そう気にする事はない…今回は十二分しか損をしていないからね。
それじゃ、軽く食事でもどうだろうか…丁度この辺に美味しそうな店があったんだ」


『遅刻魔』了

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