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生活という芸術を茶は諭してくれる。 


買い物に行き、夕食を作ることにした。
明日までのはずのファスティングの予定を変更したくなった。
ファスティングは24時間したので
少しは細胞のオートファジー機能も
活性化しただろう。と、思って、
夕食を食べることにした。
近くの商店街に行った。食材を買うのは楽しい。
私のための私だけの食事を作るのが楽しい。

胡麻 豆腐
胡瓜 大根
素麺 春雨
鶏ひき肉 を買った。
夕食には
鯛のカマの西京漬けを焼き
山芋を大胆に四つ切りにして素焼き
それから
ゴーヤチャンプルを作って食べた。
美味かった。
夕方以降 風が止み 
部屋が暑い。
食後には雲南省の月光白という白茶を
飲むことにした。
良く冷やしてある。
今日は冷茶を二種類を
耐熱硝子ボトルに作っておいた。

台湾の碧螺春 緑茶
雲南の月光白 白茶


「茶の本」The Bonk of Tea  岡倉天心著作

月光白には、何の本が合うであろう。
香り高く美しい味わいのお茶だ。
銀色に光る新芽がボトルの中で煌めいている。

久しぶりに「茶の本」を読み返すことにした。
いったい 何回目の再読だろうか。
今回は英語で挑戦してみることに……
裏千家 お家元である千宗室氏の序文を読んだ。
千利休居士から数えて十五代目だそうだ。
この本は隣の頁に和訳が付いているから
まあ、
英語のあまりできない私にとっては有り難い。
英語で読めた気になる。
今、再び、「茶の本」ゆっくり読み進めて行こう。
岡倉天心の思想に触れてみよう。
序文で改めて印象に残ったのが
天心は茶の湯が
「この道のあらゆる崇拝者を趣味の上での貴族にすることで、東洋の民主主義の真精神を代表するものである。」と述べている。と、お家元はこの一文を引用されて、
天心は茶の湯は精神文化のひとつの形であり、「生活という芸術」に変化する修行のひとつであると捉えていた。茶の湯の世界では、日々の生活のなかの最もありきたりのものに価値を認め、自分たちが宇宙というより大きな体系のなかでどのような場所にいるかということを思い出させてくれる「精神構造」を最も重視した。そして、これこそ今の時代が求めているものだ。
と、記しておられる。。。。その箇所だった。
茶の湯とは
普段の生活
日常を生きる姿が芸術活動になるための修行
私もそう感じる。

私の茶道体験は
表千家を僅か六ヶ月間ほど習っただけで
あるけれど。
私の師匠は96歳の御婦人で
私を最後の弟子として受け入れ
心を尽くして下さり
六ヶ月後、病に倒れた。
その僅かな間
私は美に触れた。
人の
器物の
茶の美に触れた。
師の生き方と生活が
飄々として 衒いがなく
美しかった。
綺麗であった。
生活という芸術……
生活事態が芸術活動の積み重ねとなるような
暮らし
日本人の美しさは、きっと、本来ここにある。
そこが、日本人の優れたところであったのだと思う。
今 私たちはそれを忘れてしまったかのようだ。

思い出したように「【茶の本】の100年」も手に取る。
岡倉天心国際文化シンポジウムで語られていたことを今一度読みたくなった。

「【茶の本】の100年」茶の本刊行100年を記念し2006年9月2日に開催された岡倉天心国際シンポジウム「【茶の本】の100年」を基に編集 構成されたとカバーに記載がある。


茶の湯とはただ湯をわかし
茶を点た ててのむばかりなることと知るべし
               千利休


深い深い言葉だな。      
                 【私の記】

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