筆が乗って書いてしまった...

性犯罪・性暴力は本当に許せない行いだが、それを盾にAVを規制しようとしている現在の流れはおかしいと思っている。
成人年齢が引き下げられて、そういった契約のできる年齢が下がったことにより、被害が増える事を懸念して考えられた法案だと思っていたが、なんだか思わぬ方向に着地してしまった感がある。
最初は業界の為にもそういった自浄作用は必要だと思うし、それが法律で決められることなのであれば、悪いこともやりにくくなるだろうと思っていたので賛同派だったのだが、気が付かない間に変な流れになっていた。
AV自体が脱法的事柄ではあるが、比較的まともに制作していた会社が新規の撮影を取りやめているのを見て、法案作成者は禁酒法とか知らんのかなと思う。
 
何でもかんでもハラスメントと言う世の中にはうんざりだ。
不快に思わせてはいけないというのは正論ではあるのですが、世間の風潮が度を越し過ぎていて、これが女性に対するAEDの使用を遠ざける原因になっている。
人名救助のために使用するとしても、訴えられただけで自らの人生が終わる可能性があり、訴えるひとなんていないとか、訴えても勝てないから意味ないだとかそんあことは関係なくて、噂になっただけで終わりなのである。
子どもに対する行動も同じでただ挨拶しただけの人物が地域の不審者情報で回っていたりする世の中で、だれが迷子の子供を助けようとするのか。
女性に対しても子供に対してもこれまでの過度な反応が引き起こした反動であるので、ハラスメントだと言いすぎるのも問題だと思うのです。
最初の話とリンクする面があるが、最近ではコクハラ(告白ハラスメント)と呼ばれるようなものも出てきており、相手のことを好きな気持ちを伝えるだけでハラスメント扱いされるなら億劫になっても仕方がない。
全ての行いにはグラデーションがあって、普通の告白も何度断ってもみたいな告白も同じように告白と呼ばれてしまい、そのまま告白ハラスメントとして扱われるのだから、みずからがこれから行おうとしている行為がハラスメントじあたるのではないかと考えることは至極全うなことなのである。
本来は問題になるような行いでなくても、ただ拒絶されるだけでなく、不快な行いとしてとらえられることに対し強い恐怖を覚えるのである。
あたって砕けろとはよく言うが、砕けた後に修復する必要があるのである。その修復には時間と手間がかかるが、昨今の個別化によってそのようなことを共有できる友人がいないという人も増えている。
自らがしばらく傷ついたままであることが容易に想像できるのに、態々傷つきに行くような人間はなかなかいない。
相手を不快にさせないことよりも、相手を不快にさせてしまったことに自らが傷つくことを恐れているのである。
日本人の性質として恐怖遺伝子というものがあり、その他の国の人よりもそういったことに敏感な国民性があるのだ。
そういうことを考えるとやはり、何でもかんでもハラスメントとして問題にすることは分断を生むだけなのである。

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