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幻影の中の宝

警報音を聞いてすぐに頭に浮かんだのは、「ヤバい」でも「避難ルートの確認」でもなく、「やはり来たか」という無力感だった。
俺は何度も上層部にこれを警告したし、奴らがその警告をおざなりにしていることも知っていた。
さらに悪いことには、俺自身、心のどこかでこうなっても構わないと思っていた。
だからこそ、上層部にも、それ以上強くは求めなかった。

先週末、1か月ぶりに会ったマイラも、そのことは憂慮していた。
「リスクはみんな心のどこかではわかっているけど、そのことを本気で考える人なんていないわよ。生産量が必要なら魔導士の稼働時間を上げればいいと思ってるし、ここまで前線が苦しければどこかでリスクを取るしかない。」
「そりゃそうだ。ババ引く可能性のほうが低いんだから、目つぶって、引かない可能性に賭けるしかないわな。引いたところで全体としてはリカバリー可能だし。俺たちにとって問題なのは、ババ引いたときに死ぬ候補の中に、俺が入っているというだけで」

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自分の状況を理解するのに、体感としては3日はかかった。
昼夜の感覚も無いから、なんとなく72時間ぐらいは何かを考え続けた気がするという、時間感覚だけの話だ。

理解できたのは、こういうことだ。
俺は病院にいて、マイラが時折そばにいるのを感じる。
俺の体は何らかの損傷を負っていて、意識のぼやけ方や全身の痛みと脱力感からして、状態は至って悪そうだ。
制限された視覚や聴覚から得られる情報を少しずつ重ねて考えていけば、俺の体と人生は危機に瀕していそうだということがわかる。
ただ、会話ができないのでそれ以上の情報を取得することもできない。
結果、頭の中の考えは、内部に、内部に潜っていく。

俺の人生は、少しは何か良いものを残しただろうか。
何か美しいもの、価値のあるものを。

20年前、16歳のころ、魔導師範院での日々。
あれが最後だった気がする。
師範院を卒業した後は、徐々に、着実に、自分たちがそうなるまいと思っていた人間になり続けていたように思える。

あの頃、週末になると、オダインと平原に遠乗りに行った。
丘のふもとや、小川のほとりで火を焚き、魚やパンを焼いて食った。
指導棟や実技庭の端々で、あるいは寮への帰り道で、自分たちが手がけるべき価値のある事業について語り合った。

あの頃の語りを集約すれば、国や仲間たちなど、共同体の利益に基づいて価値判断をしてはいけないということだ。
国境を越えた人間一般や、世代を超えた子孫や未来、人間や生物の普遍的な喜びと悲しみに基づいて価値のある事業をすべきであると。

師範院の教員や、このファーマス王国という国の政は、そのような判断になっているとは思えなかった。
それは思考様式の問題だから、問題としてはシンプルであり、変えることは簡単ではない。
大人たちはそれぞれの立場や仕事に凝り固まってしまっていて、自分で自分を変えることはできない。
だから人々の思考様式を変える事業を自分たちはやるのだと。
戦争に勝つためではなく、戦争を無くすための思考を、ファーマス王国だけでなく、エマ―大陸の各国に根付かせるのだと語り合った。
あの語りの中にだけ、何か価値のあるものがあったと思える。

8年前、最後に会った時、オダインは前線兵士への慰安魔法を作る組織に属していると言っていた。
国の指示規格に基づいて作っているに過ぎないだろうが、そこには彼一流のギャグがちりばめられているのかもしれない。
オダインは、自分の仕事を振り返った時に、少しは価値や喜びを見出すのだろうか。

俺は、16歳より後、何か少しでも良いものを残しただろうか。
何も記憶に浮かんでこない。
20年間、まるでずっと死んでいたかのようだ。
ただ、オダインとの遠乗りの日々が浮かんでくるだけである。


#古賀コン
#古賀コン4


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