「すごい」と感じることが全てのスタート
こんにちは、りょうすけです。
写真撮影や動画制作、写真や動画を使って仕事を創ることをサポートしたり、壊滅的に下手な絵の練習をしたりしています。
今日はですね『「すごい」と感じることが全てのスタート』というテーマでお伝えしていきたいと思いますので、ぜひ最後までお付き合いください。
さてみなさんはちゃんとベッドで寝ていらっしゃいますでしょうか?
いきなり変な質問ですみません。
最近ですね、運動量が多くなったのか、夜の過ごし方をゆっくりしすぎているのか、いろんなことをせずに寝てしまうことが多くなってしまっています・・・尚且つそれがベッドではなくリビングの床(じゅうたんがひかれている)という状況が度々あったりします。
自分的には、寝てしまったことはしゃあないし、ベッドよりも朝起きようと思えるしってな感じでまぁいっかと思っています。
まぁなんしか寝起きが悪いんですよね…一度ベッドから出てしまえば活動開始できるんですが、前日にどれだけ早く起きると決めていてもなかなか起きれないという厄介な性格してるんですよね。
そんな状況がいろいろとあって、気になったことがあったんですよね。
それが「睡眠の質」ですね。
なんとなくベッドで寝る方がいいに決まっているって思いますよね。
エアウィーブとかいろんなマットレスがあるぐらいだしね。
まぁいつものごとくいろいろと調べてみたわけなんですが、結論としては、科学的に解明されていないっていうことみたいですね。
要素がいろいろあるので、複雑なんだと思いますが、
コンクリートで寝た時と高級マットレスで寝た時とで、「睡眠の長さ」と「持続性」ということについては、変わりないという実験結果があるそうです。
むしろ硬い床で寝た方が猫背矯正とかいいメリットなんかもあったりするみたいです。一方硬い床で寝るので、直接骨が当たったりすると痛くて寝るどころではないということもあるみたいなので、このあたり非常に微妙です。
上のコンクリートとマットレスの違いについては、疲れが強い人で実験したらしいので、そこまで疲れていない人でやったら違う可能性もあるねっていう結論に至っているみたいです。
まぁ今は眠りの深さなんかも測れたりするから研究結果も変わっているのかもしれないけど、「睡眠の質」と「睡眠の深さ」は関係あるのかと言われると実際のところはよく分からなかったりします。
「幸福度」なんかも関わってくるともいうから、ほんとよく分からないです…今自分は「寝たくない」っていう考えの中でいるんですけど、「眠気」は襲ってきます。
寝たくないのに、眠い
これなんとかできんもんかなと思っております。全てを「〇〇したい」という思考に変えると眠くならないのか、そんな簡単なことじゃないよなって思いますが、寝ないで済む方法ってないもんですかね。
やりたいことは山ほどあるんですよね。
もし寝ないで済むいいアイディアあったらコメントください!
とそんなこんなで本題に入りたいと思います。
「すごい」と感じることが全てのスタートってテーマで進めていきたいと思います。
まぁすごく至ってシンプルな話です。
冷静に思い出してください。
「すごい」って言葉を使うことってどれだけありますか?
当たり前だけど、「すごい」って思った時も含めます。
これは想像でしかないけど、実は案外少ないんじゃないでしょうか?
昨日スーパーマリオの映画を見たって話をして、「すごい」っていう表現をしましたが、みなさんこの場合どう言います?
「めっちゃおもしろい」
こんな感じじゃないですかね?
すごかったなーって言います?
まぁ別にすごいという言葉を頻繁に使っていても全然問題ないんですが、実はこの「すごい」っていう表現を使うことって意外といくつかの条件が必要になるんだなっていうふうに思っています。
そもそも「すごい」ってなんなんでしょうね笑
意味を見てみますと
・ゾッとするほど恐ろしい、非常に気味が悪い
・びっくりするほど程度がはなはだしい、並外れている。大層な
こんな感じみたいですね。
「すごい」っていうのは副詞的に使われる言葉で、本来これだけだと意味がわからない言葉なんですね。
すごいおもしろいとか、すごいおいしいとか
そう見ると
すごいと感じることが全てのスタートだ
という表現ってすごく変な言葉ですよね。
ただ僕はこれはこれでいいと思っていて、ポジティブな表現で「すごい」と思えるところが全てのスタートになると思っています。
「すごいおもしろい」と「すごい」はなんとなく違って使われる言葉だとも思います。
ではこの意味合いはなんなのかということに触れていきたいと思うのですが、それはこの「すごい」という単体の言葉を使う時は自分がそのカテゴリーの中に入り込んで使っていることが多くなっているということかと思っています。
つまりは、自分がそのカテゴリーがいるが故に、自分とそのすごいという対象との距離感を測っているとも言えると思います。
まぁ日本語なので非常に曖昧で、難しいのですが、要するにここで伝えたいことは、何か一流のものがあったときに、その対象をすごいと思えるかどうかによって、自分の位置関係がわかるんだと思います。
これが思えない場合はどういう状況にあるかというと、単に批評しているだけってことですね。
自分がどの位置にいて、相手がどういう状況にいるのかということがわからない。ちょっとこうやって文章にするとわかりにくかったりするんですが、こうみてみるとわかりやすいかなって思います。
例えば、一眼レフを使って写真を撮り始めました。
それまでもインスタグラムなど写真に触れる機会は多く、素敵な写真には触れてきた。
だいたいの方は「そういう場所・機会に恵まれれば撮れる」って思うし、自分たちの置かれている境遇が恵まれていないって思ってはるなって感じる。
でも同じ写真をたくさん撮るようになっていくと、技術なども見えてきて、その人のすごさがわかっていく。
演技とかもそうよね。俳優さん同士で、認め合っていることが一般人にはわからないことなんで多々ある。
つまりは自分が比較対象になる環境に入ってみることで、その対象との距離感がわかるようになり、その距離が遠ければ遠いほど「すごい」と感じるとになる。
よく背中が見えてきたとかっていうと思うけど、やっぱり全て自分が見えて、相手が見えてはじめて言えてくる言葉になってくると思う。
まぁ位置関係でいうと「すごい」という表現を使う時は、その対象と同じ方向にむかって走っていて、その距離感から言うのに対して、それがわからない人は、走っているのを横から見ているようなもの。
だから「すごい」ね、ではなく「速いね」になる。
すみません、わかりにくい表現になってしまったかもです・・・
昨日僕はスーパーマリオをみた感想を「すごいの一言」っておこがましくもいってしまいました。
でもここには自分だったらこんなふうには到底作れない(当たり前すぎて逆に笑えるけど)内容という感想をもってしまう。それは逆にその世界に足をつっこめているということでもあると思ったりしています。
なのでここから先は自分の才能と努力と、いろんなことをしていくための工夫をどこまで進められていくかにかかっているかなと思んですよね。
昨日の時点ではあまりそんな深く考えていなかったんですが、なんとなく改めてそうだなって思ったので、今回はこんな感じのふわっとしたテーマで話をさせていただきました。
いかがだったでしょうか?
微妙に芯くっていないかなともおもうのですが、たぶん言わんとしていることはわかってもらえるかなと思います。
当事者になってはじめていろんな物事が見えてくる。
一流と呼ばれている人をすごいと感じない人は、当事者にすらなれていなくて、極論評価すらしていい状況にないとも言える。
この考え方は本当に真摯に受け止めないといけないと思う。
テレビ出ているお笑い芸人の方々
すごい登録者のいるYoutuber
インフルエンサー
自分はいっちょ噛みで、しかもそれをまぁまぁの勢いで噛みにいくからそれぞれの凄さを見に沁みて実感しています。
これらの人たちを否定的な表現をしている人たちは、脳死していて、変なマウンティングしておかないと自我を保てないんだと思います。
なんとなく思うのは、すごいとか評価されているところはなんなのかって言うことをいろんな角度から分析することが大事なんだと思います。
僕は舌がまぁまぁバカなので、一流料理人のすごさがわかりません。
おごりがいのないやつだと言われたこともありましたねw
いろいろ偉そうにいってきましたが、僕もそんなやつです。
人は向き不向きもあれば、好みもさまざまです。
全部が全部すごいと思う必要はないけど、自分が進みたい道のことについては、一流とはどんなものかをしり、すごいと思えるかを自分で図る。
思えないのであれば、自分はスタートラインにすら立てていないと自覚して、今から死ぬほどの努力をしないといけないと言うことを今日の伝えたいこととして今日は終わりたいと思いますー
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KB picmo STUDIOでは写真撮影や動画制作などを承っており、SNSサポートなども行っております。わけもわからずカフェ関連の仕事もやっていこうとしていたりするので、応援してもらえたら嬉しい限りです。
ということでまた次回お会いいたしましょう。
ばいばーい
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