【小説家の仕事】キム・ヨンス 作家のことば
仙台を訪れたことがある。昔のことなので記憶が薄れている部分もあるが、地元の名物だという牛タンを食べたことだけは確かだ。人生で一番美味しい日本酒を飲んだのも仙台だ。お酒からは果物の香りがした。仙台文学館へと続く道も思い出される。木に囲まれた静かな場所だった。春も近いというのに雪が舞っていた。そこで講演をしたのは30代前半のことだ。
聴衆の大半は自分より上の世代の女性たちだった。窓の外には春の雪が降っていて、あたり一帯が静かだった。彼らはわたしの言葉を一つも漏らすまいと耳を傾けてくれていた。当時日本では私の翻訳書が1冊も出ていなかったのに、なぜそんなふうに聴いてくださるのかと思ったほどだ。ドラマ「冬のソナタ」のおかげで興味をもたれたようだ、と誰かが語った。「関心」、それが重要だった。
世の中を台無しにするのは一人の力でも十分だが、よりよい世の中に変えるためには多くの人たちが協力しなければならない。誰が、なぜ、このように世の中を作ったのか分からないが、これは幸いなことでもある。互いに手を取り合うだけでも世の中はもっと良くなるという意味だから。協力は互いに好意から、そしてその好意はささやかな関心から始まる。
関心は世の中を変える第一段階だ。
仙台の会場に集まった彼らは、講演のために訳された私の短編小説「ニューヨーク製菓店*」を事前に読んでいた。講演後、私に語りかけてくれた人たちがいた。
「私の故郷にもニューヨーク製菓店のような小さなパン屋さんがありました」 「よその国の話とは思えませんでした」 これらの言葉は私を、ひょっとしたらこの世の中を、より良い方向に変えてくれた。当時はとても小さな種のような言葉だったが、その関心から始まって今は韓国文学の翻訳が活発になり、読者も増えた。作家は書き、読者は読むことを通じて互いに協力し合う。それが作家と読者がこの世をより良い場所にする方法だ。それゆえ、皆さんがより多くの本を開いてくださることで、より良い世界が作られていくことを期待している。
最後に、まだ井上ひさしさんが館長だった16年前、仙台文学館へいらっしゃった方々に心より感謝の気持ちを伝えたい。その時のお言葉が大きな力になりました。ありがとうございます。
2021年4月 キム・ヨンス
*著者の自伝的小説。タイトルは著者の母が営んでいた製菓店の店名にちなんでいる。短編集『僕がまだ子どもだった頃』(未邦訳)所収。