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【小説家の仕事】キム・ヨンス インタビュー「面倒でも構わない」②

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ぼんやり見えているものも、
じき鮮明になるから

―お母様が日本の方なんですか? 日本語や中国語、漢文、英語も堪能ですよね。

 母は日本生まれですが、私はパズルのように文字を解読しているだけですよ、英語以外は。だから文章の読解ができるだけで。本を読む時だけは役に立ちますが、会話はできません。

―なぜ外国語を学習するのですか?

 最初は外国の本をたくさん読みたくて外国語を勉強しました。言語というのは非常に面白いんです。翻訳するのが好きなんですが、これって自分自身をフィルターにする作業なんです。外国語で書かれた原文はそのままなのに、歳を取るとそれがより鮮明に見えてきます。翻訳者としての教養の幅がだんだん広がるにつれて文章の背後に隠れていたものが見え始めるんです。だから翻訳は面白い。自分がどこまで理解できるのかという問題だからです。でも、実は母語の文章だって同じことなんです。詩なんかが特に顕著ですが、詩に込められた隠れた意味を読み解けるかどうかも、その人の年齢や人としての奥行きによって変わってきます。そんな時に文学ってこういうものなんだと気づくんですよね。表に現れたものはぼんやりしていていも、それを鮮明にしていくのは読み解く人の教養と経験の幅なんです。1冊の小説が人によってそれぞれ違う読まれかたをするのも同じですね。そういうものが良い小説だと思います。

―翻訳をすることになったきっかけは?ご自分からやると手を挙げたのですか?

 やりたくても誰もやらせてくれないので最初はかなり変なものを翻訳していました。アメリカのバスケットボールのトレーディングカードに関する情報誌や学習誌の付録の童話だとか。90年代の末頃でした。翻訳がとにかくしたくて、機会さえあればやろうといつもアンテナを立てていました。でもあまり話が入ってこないまま何年も過ぎました。誰かがちらりとそんな提案をしようものなら食いついてました。ですが翻訳はしたいと言ってやらせてもらえるものでもなかったんですよね。最初の訳書は『フランス人数学者ガロア』〔未邦訳〕という本でした。小説形式の数学本のようなものです。数学者の人生を小説にした……、図書館で見かけても手に取らないような本です。翻訳ができるのはうれしかったけど、そういった本を翻訳したかったわけではなかったんですよね。私が望んで取り組んだ初めての翻訳は『大聖堂』〔レイモンド・カーヴァー著〕ですね。比較的最近のことです。

―レイモンド・カーヴァーの作品をたくさん翻訳されていますね。お好きなんですか?

 ある程度は好きでしたが翻訳をしてもっと好きになりました。カーヴァーの作品を翻訳してから、小説家ってこんなに文章が上手いのかと思いましたね。それに比べると他のものは文章に深みがない。機械でも訳せそうな文章ですよ。カーヴァー作品は機械翻訳なんてできない。奥深く、文章の下にぶらさがっているものがあるので表面だけ訳すんじゃだめなんです。立体的な文章だから。翻訳は依頼があるなら続けますよ。カーヴァー作品集の翻訳依頼を2 件受けて両方やると言ったんです。まだもう1 冊あるんですが、私が翻訳してないので出版できていないんです。

―カーヴァーの“A Small Good Thing”を「별것 아닌 것 같지만 , 도움이 되는(大したことはなさそうだけど、役に立つ)」〔『大聖堂』収録。邦題「ささやかだけれど、役にたつこと」〕と訳されています。原題を見てなるほどと膝を打ちました。翻訳では意訳をよくするほうですか?

 あまり意訳はせず直訳を心掛けているほうですが、お話したようにカーヴァー作品はかなり翻訳が難しいんです。開発書なんかは意訳しても問題ない。でも意訳というのは複雑な文章をシンプルにする作業ですから、文学作品は意訳に傾くと問題が起きるんです。「その言葉を聞き、胸の中に喜びの波が一挙に押しよせた」といった文章があった場合、それを「その言葉を聞き、胸がときめいた」とも訳せます。ですが、「波が押しよせる」という表現の前に、渓流についての言及があったかもしれない。その場合、後者の訳では意味が抜け落ちてしまいます。だから、むやみに意訳できない。できる限り直訳すべきだと思っています。ですが、一番良いのはやはり可能なら原書を読むことですね。最近の人って皆そこそこ英語ができるでしょ?(一同苦笑)

―他に学びたい外国語はありますか?

 ラテン語ですね。

―旅先でのコミュニケーションはどう解決していますか?

 それがね、大抵は話さなくても通じるんです。韓国語で言ったって大丈夫。皆分かってくれますよ。モンゴルの人たちにも伝わってました。言語自体はそんなに重要じゃないんです。

青春には本来、
不安と焦燥感がつきもの

―『青春の文章たち』に、貞陵4洞にある山の上で大変な思いをして冬を越した大学時代の話が出てきます。学生時代は苦学されたようですね。

 苦学だなんて(笑)。違いますよ。他の学生と同じように過ごしてました。特に大変ということはなかったですよ。実際、あの家の家賃は高い方でしたし。

―ですが文章だけを見ると、青春を美しくて懐かしいけれどつらかった時期として記憶されているように感じます。

 昔は皆そうでした。自分だけ特に大変だとは思っていなかったし、むしろ一人で暮らせることが嬉しかったですね。一人暮らしとは言っても大家さんの家で間借りをしていたし、下宿時代だって他の下宿生たちと一緒に暮らしてたわけですが、部屋自体は独立した空間でしたから。あ、でもこんなことがありましたね。ある日、夏休みなので金泉に帰省していたら国民大学に通う友人から電話がかかってきて、お前の部屋の鍵が壊されているぞと言うんです。でも金目のものなんてないから、何か盗みたきゃどうぞと放っておきました。金泉から戻ってみるとドアが開けっぱなしになっていました。聞くと、ある友人が宿代わりにしようと訪ねてきたのに鍵がかかっていたからと、どこかからペンチを持ってきて金具を切断して入ったそうなんです。そうやって一晩寝て帰っていったと。部屋は元からぐちゃぐちゃだったから別に問題なかったですが。

―大学時代に一番熱中していたのは何ですか?

 詩ですね。詩を夢中で書いてました。早く本を出したくて。読書も一生懸命しました。でもとにかく詩を一番たくさん書いたな。あの頃の大学は本当に良かった。本を読んで詩を書くだけでも卒業できました。

―進路や未来への不安はなかったんですか?

 不安がなかったというより、(真剣な表情で)何も考えてませんでした。なぜ泰然と構えていられたのかというと、まず私は自分が30 歳を越えても生きてるなんて思ってなかったから。だから適当にアルバイトでもしながら生きていけばいいと思ってたんです。結婚もするなんて思ってなかったし、職業が必要な理由も理解していなかった。それに、物書きでも十分食べていけるだろうと信じていました。身近に物書きを生業にしている先輩がたくさんいたし、その先輩たちが結構稼いでたんです。彼らは、もちろん好きでやっている仕事とはいえ、ベストの結果が出せるようにすごく努力もしていました。それを見て学んだのは、自分が好きな仕事を選んでものすごく努力をすれば良い結果がついてくるということでした。だからお金を稼ぐことについては心配しませんでした。そんな確信がなければ不安だったでしょうが、私は見て知っていましたから。

―ベストを尽くしさえすれば叶うと信じていたから、心配する必要がなかったんですね?

 まあ、そうなんですが……、(やや唐突に)よく考えてみれば、打算なんてしてたら物書きはできませんね。本を書いて例えば……、1 万部売れたら話は別ですが。文壇にデビューして1 年ほど経った時、いくら計算しても小説で食っていくなんて不可能だと知りました。それを知ってからは小説だけで身を立てようとは思わなくなりました。他のことで金を稼ごうと思いました。就職しなきゃ。就職せずに小説一本でいくのは不可能だ、だったら喜んで就職しようじゃないかと決心しました。いずれにしても、心配はなかったです。会社勤めも問題なかった。自分のライフワークではないと分かっていたので全力は注がず、そこそこの仕事をしました。お金が貯まったらすぐ辞めたりしてね。

―『出版ジャーナル』の記者だったのはその頃ですか?

 その前に『ワーキングウーマン』という女性誌の記者もやっていました。その頃は結構ハードに働いていましたね。記者生活も楽しかった。『出版ジャーナル』にいた頃は、ずっと会社勤めをしながら小説を書いていこうと思ってました。編集局長になりたい気持ちもありましたし。だから40 代までは働くつもりだったんですが、会社がつぶれてしまったんです。

―作家一本でいくと決めたのはいつですか?

 2002年です。ワールドカップが見たくて退職しました(笑)。〔数えで〕33歳の頃で、職場では課長でした。だんだん会社勤めをすることに懐疑的になってきてたんですよ。当時はもう実務的な仕事はせず企画をやっていたんですが、徐々に企画の規模やレベルは高くなります。そうすると色々な人との関わりもできるので、何かミスをしたらその人たちにとんでもない迷惑がかかる。ストレスもかなり溜まっていました。上から言われたことだけをやるなら残業しても気は楽なんですが、昼夜を問わず働いてるのに夜寝付けなくなった。これじゃだめだと思いましたね。小説の執筆と両立できないと思って辞めました。

―評論家のチョン・ソンイルさんは、「88万ウォン世代〔1870年代終盤から1980年代中盤生まれの世代のことで、不況により多くの大卒者が非正規職に就いた〕」はかなり恵まれた少数の人以外は作家を専業でやるなんてほぼ不可能だと言っていました。専業作家になってみて、どうですか?

 幸せなことです。本当に何人もいないでしょうね。この生活に満足しています。

―ご自分が20代にしたこと、あるいはしたかったけどできなかったことのうち、青春時代に必ずすべきだと勧めたいものはありますか?

 めいっぱい恋でもしてください……(笑)。経験への投資が一番ですよ。そのうち最高の経験が恋でしょ。若い頃みたいにたくさんのことを経験できる時期は二度と来ません。その年頃って、本を読んだって、小説を読んだって、誰と付き合ったって、感受性が高いから全身で受け止めるでしょう? 勉強はあとでやり直せばいい。それに、勉強したことなんて何年かしたらすぐ忘れます。でも恋愛は忘れません。読んだ小説も忘れない。

―ご自分ではたくさん恋をしたと思いますか?

 たくさん……(少し間をおいて)したかったですね。

―小説の中の主人公のようにドラマチックな恋をするタイプですか?

 もちろん違います。あれは小説の中の人物で、作られた劇的状況に置かれているからです。現実の世界でそんなにドラマチックな恋ができるケースはあまりありません。「恋愛」は、私にとって「小説的仕掛け」でもあります。登場人物が何か行動を起こすには動機が必要です。他人の人生に深く介入するきっかけとして恋愛があると私は思うんですね。社会正義なども考えられますが、私にはマッチしない。個人的な気質……が影響してるのかな?

―20代を振り返って思うことは?

 日々後悔のない一日を過ごしてきたと思っていましたが、今思えば本当にバカでしたね。でも、20代は未熟で当然ですよ、何をしたって。歳を取って楽になりました。
世の中への不満もないし、他人に振り回されることもない。20 代は行く先に迷うことも多々あったし、他人に振り回されることも少なからずありました。

―そんな20代を送る若者に忠告をするとしたら?

 20代にはそんな時期があります。不安感から、今すぐ何かをしなきゃ気が狂いそうになるんです。早くこれをやらなきゃ、重大な問題が自分に降りかかる気がする、そんな不安な状態に陥る時があります。でも、それを当然のことだと受け入れてください。青春には本来、不安と焦燥感はつきものです。それを最初から知っていたら実にいいですよ。誰でもそうなんだ、30 代になったらおさまるものだ、しょうがない、と覚えておくことですね。

「失敗」した人生など、
あるだろうか

―ですが、そうできないのが不安というものです。いつかおさまると分かっていても、今は不安でたまらないわけですよね?

 自分がどんな人間か分かれば不安は軽減されます。20 代は自分がどんな人間なのか分からない。何らかの人物像を描いてそれらしく行動しても、実際の自分はまだ何者でもないから、そんな見せかけじゃすぐ見破られそうな気がして不安になる。それに、自分が何者でもないということを受け入れるのが難しかったりもします。ですが、まだ「何者でもない」というのは、悪いことばかりじゃない。今後どこまで発展するか未知数なんですから。とんでもなく成長して全く違う人間になったりもする。若い頃の不安は当然のことです。それが極めて当然で、歳月が過ぎるまでは何者にもなれないということを受け入れないと。気持ちは焦るでしょうが、人って実は自分がなりたいと思う人物になっていく可能性がとても高いんです。どんな人になりたいのか、自分で決めることが重要です。

―失敗もありえますよね。それがまた、不安の種のひとつですが。

 実のところ、本当に大事にしている夢って叶わない可能性が高いですよね。その夢に一生を捧げたのに叶えられずみじめに死んでいくこともありえる。それも偶然の出来事のせいで。でも、だったらこの人の人生は偶然が全てだったんでしょうか。そんな人生を見て、私たちは不幸な人生だったと語りがちです。ですが、本当にそうでしょうか。何かに失敗したからといって、何もかも良くない人生だったというふうに判断することに対して私は懐疑的です。こういったことは、価値判断が下せない問題ではないでしょうか。夢を叶えた人生と、努力したけれど夢を叶えられなかった人生、最後の結果だけでどちらが良いとは言えないんじゃないですか? 成功者の過去を見ると、多くがその前に大失敗を経験しています。成功という言葉自体の中に、過去の失敗の存在がある。成功するまでずっと失敗だと思っていても、それが最後の失敗かもしれませんよね。そういったものを失敗と呼べるでしょうか。

―人生は偶然の結果だと思いますか?

 偶然が支配する領域なのかどうかは、よく分からないですね。人生に大きな変化はなくても人というのは常に変化していますが、その所どころで偶然の出来事が影響を与えます。10歳頃と20歳頃では全く別人のようになるケースも多い。そんなふうに思いがけず直面した出来事や環境条件によって人が変わる姿を見ると、人生は偶然が支配しているような気もしますね。

―人は変わると思いますか?

 40歳くらいなると、今まで経験してきたことによって自分が変わってきたんだと気づきます。やってきたことが、その人自身を説明してくれるということです。40代以降はそんなに変わらないでしょう。ところで、さっきから20 代の頃の話を色々としていますが……、前世のことみたいに感じますね。

―当時悩んでいたことのうち、時間が経っても解決しなかったものはありますか?

 時が経てばより良い社会になるだろうと思っていましたが、それは本当に違いましたね。徐々に悪化するかもしれないし、まさに偶然の支配する領域です。皆が何かに力を注げば社会は改善していくのかどうか、知りたかったけれど未だに分かりません。私たちが何に注力すれば社会をより良くすることにつながるのか、私たちの努力とは無関係に社会はそれ自体の論理で動いているのか。依然として未解決の問題ですね。

―最後は個人的にお聞きしたいことなんですが、娘さんの名前が「ヨルム〔大根の若菜。キムチにするなど食材として使われる〕」だそうですね。とても独特で可愛い響きですが、特別な意味が込められているんですか?

 うーん……、特に意味はありません。言葉どおりの意味です(笑)。ニュアンスが気に入ったんです。聞いた時に思い浮かぶイメージがあって、そんな子に育ってほしいなと思って付けました。実用性を大事にする子に育ちそうじゃないですか? 実際に役に立つものを追い求めるような。


彼がかつてブックコラムを連載していた月刊誌『BRUT』は、片隅の著者略歴欄にキム・ヨンス氏をこのように紹介していた。

 「東仁文学賞から、大山文学賞、李箱文学賞まで。評壇の寵愛を受け、時代に愛される小説家。他に音楽評論や秀逸なコラム、完成度の高い翻訳も生み出している」

短い文章の中に作家キム・ヨンスの実績と強みがもれなく表現されている。ここに少しだけ追記してみよう。毎日、日課のように執筆作業と向き合う真面目さと、そんなふうにコツコツ書いていけば天才的なインスピレーションはなくても良い文学を生むことができると信じる楽天的な姿勢。それが、読みやすい小説を書くわけではないのに、それでも時代が彼を愛さずにはいられない理由ではないだろうか。

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