反省が見られないという言説
薬物使用をしたミュージシャンの過去の作品の販売が自粛されたり、そのパートナーの言説が周囲から色々言われるなど大きな社会的影響を与えているが、その中の一つにそのパートナーと一緒に笑っている写真をとらえて”反省が見られない”というものがあった。
その昔子供の頃に何か親や教師など目上の人から叱られるようなことをして謝ったり反省したりしたのちに早々に楽しく遊んでいたり笑っていたりしてもしばしば”反省の色が見られない”などと言われた記憶がある。
実際”反省の色が見られない”というジャッジを受けることによりその後の日常生活が不利になることも多く、ほとぼりが冷めるまでしばらくしおらしくしておくということを学習し不用意に張り切って活躍しないようにしていたことを覚えている。
現実的には本当にしまった、悪いことをした、これは改めないといけないと思うこともあれば、なんでこんなことで言われないといけないのかわからないという時もあり、人によってはいわゆる逆ギレする人もあれば、別に悪くなくてもとりあえず謝っている方が手っ取り早いということで簡単に謝る人もいるだろう。
しかし実際のところはどうあるべきであり、いつまでも反省の色を要求する人たちの内面はどういうものなのであろうか。
今回のミュージシャンのケースを例にとって考えてみる。