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かぼちゃが排出される

1週間くらいまえに引っ越した。
理由は不動産屋に騙されていたのと、お金がたまったから。

お金がたまったというのは実は嘘で、大学院の学費を払う必要があるから、まったく溜まってはいない。しかし確定申告をしたら還付金がそこそこ戻って来たので、それでまぁ良いかということで自分を納得させて引っ越しをした。そのついでにソファーも買った。3万円ものタイ米をはたいたーータイ米をはたいたのだ。タイ米というのは何度か食べたことあるが、おいしいような特においしくないような味がする。

おうちが貧乏だったので、だったというか今でも貧乏だが、とにかく幼少期をお金が足らない状況で過ごしたせいで、お金を使うことに対する罪悪感がすごい。とにかく意味のあるものに金を使い、節制するというのが身についてしまっている。

例えば腕時計に何万もかけたり、なぞの服に何万もかけたりする人が居る。わたしはそれにあこがれているのだが、そういうことはできない。第一にお金がないし、第二にさきの罪悪感がある。服は2,000円の中古の服でも「高いなぁ」と思う。私はセカンドストリートで買った500円くらいの服を常に着ている。

と思ったが、よく考えると大学院というなんの意味もなさそうなものに毎月何万円も課金しているわけで、どちらかというと貧乏ではないような気もする。でもそれは一応自分が働いた金で払っているのだから、誰にも文句言われるようなことはない。お金がないという話を書こうとしたのに要らない話を書いてしまった。

大学を卒業してから、同期がなんだか声優になろうと頑張ってたり、ユーチューバーだかになろうと頑張ってたりしたりした。芸人になるとか言って大学辞めたやつもいたんだった。そういうのに比べるととくになんにもない、ろくでもない生活をしてしまっている。この一年間でやったことというのは、思い出すと、京都での生活に慣れたくらいのもので、とくになんの成果もない――豆アジを開いててんぷらにすることができるようになった。

学者は死んでからが勝負だ。というのを誰だったかが言っていた。まぁ生きているうちにどういうことにもならない気がするが、論文の一つや二つでも書いておけば、それが引用されたりなんだりして、ちょっと人の役にたったりするかもしれない。と思ったけど、たぶんだが、論文というのは査読者と自分くらいしか読者がいないので、それも望み薄である。

まぁだからといって――自分が他人の役に対して立ってないからと言って――これといって悪いことはないのだ。そういうものなのだ。

私はどちらかというと椎名林檎より東京事変時代の曲の方が好きだ。そういうことなのだ。

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