骨だけが残った享年83歳
眠れないのか寝たくないのか。
今日もまた吐き出す。
明日が来なければいいなぁ
11/8
25時をまわっても26時になっても
例え、27時を待ったとしても、
8時45分には火葬場に僕はいるのに。
眠れないのか寝たくないのか。
気づけば6時のアラームで目が覚めた。
この状況とは裏腹に水色の髪の僕。
オイルをつけて髪を結う。
白いワイシャツ
親父にもらった黒のネクタイ
黒いズボン
黒いベスト。
11月にしては暖かい日。
おじいちゃんから譲り受けた、
黒いロングコートに袖を通して車に乗った。
なんとか気を逸らしたくて、
音楽をかけて沢山歌った。
まるで休日のお出かけのように。
道は混んでた。
少し早めにでたのに3分遅刻。
8時48分。
着いたよ。どこにいけばいい。
広いホールで待つ、叔父とおばあちゃん。
向かい側には、
おじいちゃんのお世話になった施設の、
施設長と看護師長さん。
3年会ってなかった、
母と父はまだ来てなかった。
この日はこの7人で見送るらしい。
思うことはあったけど心にしまった。
9時になると棺桶に入ったおじいちゃんを迎えて、
お別れのお部屋に向かう。
同じタイミングで母と父が来た。
目も合わせなかった。
棺桶が開いた。
約6日ぶりにあったおじいちゃんの口はパックリ開いていた。
お花で囲んで、数少ない写真を並べた。
もちろんくろべぇの写真も。
やっぱり気配はなかった。
不思議と悲しくなかった。
イレモノとのお別れが悲しいわけじゃないからだと思う。
こんな風に思うのもきっと変なんだろう。
きっとおじいちゃんは次の学び場へ向かっているか、
もしかしたら一緒に見届けてる気がしたから。
だから悲しくなかった。
お焼香を3度墨の上に。
あの香りはきっと忘れないだろう。
棺桶が閉まった。
火葬場へ。
8番。
10個あるうちの8番目の火葬場へ。
あっという間に棺桶は火葬場に入って、
案内の人は作業のように、
およそ1時間で燃えることを説明してくれた。
また広いホールに戻って、
燃えるのを待つ。
施設の方々はこれにて別れた。
おばあちゃんと叔父、母と父と僕。
もちろん言葉も交わさなかった。
10時10分
本当に1時間でイレモノは燃え切った。
学校のようなアナウンスと共に、
納骨場へ案内された。
燃えたままの姿は、
おばあちゃんと叔父しか見れないようで、
母と僕は待つ。
なぜかおばあちゃんと叔父と父が戻ってきた。
父も間違えてついていったそう。
間も無く、
銀のトレーに入った骨が運ばれてきた。
下半身と上半身と頭骨に分けられていた。
叔父とおばあちゃん、母と父が。
白い容器に納骨を。
おばあちゃんと僕で大きな骨を納骨。
骨は無臭だった。
湯気がでていたけど。
案内の方が骨を白い容器に余すことなく納めてくれた。
人によっては収まらなかったり少なかったりするらしいけど、
おじいちゃんはピッタシ綺麗に収まる量の骨だった。
あんなに大きかったのに。
両手で持てるだけの容器に収まっていた。
叔父の車に遺骨を乗せて、
お昼ご飯にでも行こうと。
胃がキリキリしてた。
でも久々だからと。
むさしの森珈琲店
僕の大好きな街カフェ。
どこかいつもと違う場所に思えた。
いつものアボカドゴハンは頼まなかった。
頼めなかった。
昔話、やら直近の話。
母がベラベラ喋ってる。
つくづく僕は母に似てるのだと、
多分口から生まれたんだろうなと、
目も合わせず耳だけで聞いていた。
しばらく話をして帰ろうとしたら、
入り口で声をかけてくれた友達。
前回の記事で思いをぶちまけた時に、
何人かの友達から暖かい言葉を頂いた。
死を知り、生を育み、強く生きてる友達。
優しさを知り、家族愛を知り、生を育む友達。
別れと変化を知り、気づきを共有してくれた友達。
そっと気にかけて話を聞いてくれる恩人。
そのうちの1人の友人に会えた。
直接感謝を伝えたいと思っていたら会えた。
きっとおじいちゃんのイタズラな気がしてホッとした。
さぁ帰ろうとしたらやっぱり。
母が来た。
小1時間は話しただろう。
あまり覚えていない。
仕切りに
普通は、常識は、
って。
僕にはわかんなかった。
なんにもわかんなかった。
つくづく思うよ。
普通にもなれなかったし。
常識も知れなかった。
道を踏み外したんだろうな。
でもね、自分を曲げてまで生きるくらいなら、
死んだ方がマシだって思った。
どんだけ生きにくいんだろう。
毎日毎日窒息しそう。
息苦しいな。生きてるって。
他人から見たら簡単なことなんだろうけど、
僕には難しいことばかり。
思いのやり場も気持ちの行き先も、
どこにもないんだなって改めて思った。
結局は自分しか自分を愛せないことも。
愛し方はわからない。
全て等しく源であり、同じはずなのに。
あぁ次は僕の番にしてくれませんか。
なんちってね。
おじいちゃんはもういない。
だからこの日は一言も声をかけなかった。
次はお墓に入れるんだって。
そこまでは一緒に行くんでしょうきっと。
12月ね。
改めてまたね。
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