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おじいちゃんが旅立った日

きっと何かの形で言葉にしないと壊れちゃう病気みたい。

LINEの通知で目が覚めた朝

“ブーッ”
1つの通知で目が覚めた。
見覚えのあるアイコン。
内容を見なくてもわかった。

あぁそっか。わかった。
すぐに会いに行くね。

夕方頃まで仕事があった。
何年振りかのお祭りらしいこの街は、
僕の気持ちとは裏腹にとっても賑わってた。
不思議と騒がしさや人の多さも気にならない。
否、
それなりに気が参ってたのかもしれない。

16:30
このまま働く時間が続いてくれればいいのに。
帰路が遠く遠く遠くなればいいのに。
道がずーっとずっとずーっと混んでればいいのに。

きっと頭でわかってても気持ちがおいつかない。
初めての経験。
人の“死”に触れたのは。

着いてしまった。
おばあちゃんの家。
「あらっ、ピンポンなったと思ったら」と。
いつものおばあちゃんがいた。
おじさんもいるので挨拶しに行く順序を無視して
一言目には、
「おじいちゃんは?」と。
「こっちよ。」と。

部屋がとっても寒かった。
腐敗しない為に冷房は16°。
11/3だというのに夏日だったこの日。
寒さは寂しくなるからきっと暖かくしてくれたんだろう。
どうやら葬式やらはせずに、
自宅でお線香をあげて11/9には火葬をするそう。
1週間もないのね。
おじいちゃんがおばあちゃん家にいるのは、
何十年振りだろう。
施設に入ってから、
おじいちゃんがいないのが当たり前になってたのに、
帰ってきたら、さすが違和感なんてないんだから。

施設の方々は本当に親切にしてくれたそうで、
お別れ会って言って、
一緒に生活をする方々も職員さんも皆さんで、
お別れをしてくださったそう。
寂しい寂しいと沢山の言葉をくれた光景に、
おばあちゃんは涙したそう。
当然一雫もらい泣いた。

おじさんに1度あいさつをと2階へ。
「来たよ。」
「ありがとな。」
どうしてだろう、また一雫泣いた。

おじいちゃんは9/26にあったのが最期。
おかしいなぁ。
あの時と変わらない寝顔なんだけどなぁ。
ここ最近ご飯を食べなくなって、
そこからはほんの数日。
点滴じゃあ足りなかったのかな。
本当に苦しむことなく安らかに逝ったそう。
老衰。
おじさんが笑いながら、
理想の死に方だよなぁって。
本当にそう思う。
本当の所はおじいちゃんにしかわからないけど、
苦しくも痛くもなく、
眠るかのように逝けてきっと良かったと思う。

何度見ても、寝てるようにしか見えない。
よく見たって、布団が呼吸で膨らんでる気がするの。
そんなはずないのに。
不思議ね。
布団をめくって、
細くなったおじいちゃんの手に触れた。
すっかりコケた頬やおでこに触れた。
冷たかった。

日も沈みすっかり涼しくなった夜は冷房を止めていいそう。
おじいちゃんの横で、
おばあちゃんとごはんを食べた。
背中側におじいちゃん。
おばあちゃんと話しながらご飯を食べてた僕。
ふと気づいた。
背中に気配がない。
身体は見事にイレモノになってた。
こんな感覚は2度と味わえないだろうと思った。
これが“死”なのか。

色んな事が頭を巡る。
僕自身親孝行でもなければ、
おじいちゃんおばあちゃん孝行もできてない、
ろくでなしなので、
こうして文字に起こしてる自分に、
とっても腹が立つ。
都合がいいねって。
でもね、気付かされることもあるのは事実。
きっとこの先も僕は不孝ものなんだろうけど、
きっとナニカ引っかかって喉が詰まりそうなんだと思う。
吐き出せる日が来て欲しいのかもしれない。

おじいちゃんに悪い印象は無い。
唯一あるのは母とおばあちゃんに
手を挙げた瞬間があった事。
でも僕自身に悪い事は一つもなかった。
だからなのか心底好きでも嫌いでもなく。
ただおじいちゃんと良い思い出は多かった。

こう見えて両家の初孫で、
可愛がってもらった覚えしかなくて。
お膝にのせてもらったり、
色んなとこに連れて行ってくれたり、
一緒に遊んでくれたり、
オセロやろー!って嫌そうにしてても、
相手してくれて、
オセロは1度も勝てなかったなぁ。
昔おばあちゃん家にいた、ワンちゃん。
ちび。クロベェ。マーちゃん。
小学生の僕には大きなワンちゃんの散歩も教えてくれた。
ワンちゃん達のご飯も一緒に作らせてくれた。
あんま喋らないけど冗談が好きだったのはきっと、
他の親族は知らないと思う。
海外旅行の話も沢山聞かせてくれたなぁ。
エジプトの話が1番よく覚えてる。
僕にとってはおじいちゃんとの良い思い出が沢山だね。

なかなか帰りたくなくて、
おじいちゃんを眺めてると、
梨をおばあちゃんがくれた。
おじさんもご飯を食べ始めてワインを飲む。
「オヤジにも」って。
ワインと牛肉と白米。カキと梨。お供え。

ワインを片手に昔話をしてくれた、
おばあちゃんは家をでてった時期がある、
今とは時代が違う。
もちろん色んな事情がある。
しばらく別居をしてたそう。
おばあちゃんは美大の先生もして
アトリエがあるくらい絵が好き。
絵を描いて生きてきたいと家をでたらしく。
きっとみんな辛かったと思う。
でも1994年。
僕が産まれた。
初孫だ。
その知らせを聞いたおばあちゃんが、
おじいちゃんに頭を下げて家に戻ったそう。
「孫の世話をしたいので戻らせてください」って。
占いでも言われていたそう、
『小さい子どもがきたらあなたは戻ります』って。
あらあら僕は“予言の子”?って。
笑いあった。
おばあちゃんとおじいちゃんを
繋ぎ止める為に産まれてきたなら、
産まれた意味を知れて嬉しかった。
29年越しに聞けた話。
でもね、とおじさん。
そんなお袋のわがままを聞いて、
家におばあちゃんを戻るのを良いよと言った、
親父もなかなかすごいと思うよ。って。
見落としてた。
許すって本当に難しいこと。
おじいちゃんから学ばなきゃいけないことも知れた。

おじいちゃんは、
ウイスキーやワインを飲んでいたそう、
もちろんビールも。
小さい頃の記憶じゃわからなかったけど、
お酒の好みの遺伝はきっとおじいちゃんからみたい。
あんなに近くにいたのに、
知らないことだらけだった。
今更気づくなんてね。

火葬の日取りを聞いて安心した。
仕事を休める日でよかった。
イレモノかもしれない。
けどやっぱりきちんと見ておきたい。
唯一“死”だけはまだ知らなかったから。
全て知ってるはずから、
わざわざ学びに生まれ落ちて、
知りたかったこと。
おじいちゃんはなんでも教えてくれるね。

おじいちゃんと寝たことなんてなかったから。
横に寝てみた。
冷たいけど。
少し心がホッとした。

あっ。
自宅に戻れるのは今じゃ少し珍しいらしい。
葬式はすると思ってたら、
親族しかもうこないだろうから、
こうして自宅に会いにきてもらうそう。

そんな事聞いてたら、
葬式に色んな人が来てもらえるうちに死ねたらいいなって。
心から思ってた。
ここから先こうして見送り続けなきゃいけないんでしょう。
そんなの寂しいね。悲しいね。

バツイチになった僕は、
結婚も諦めてる、独りで生涯を終えるつもりで、
やりたいように生きてる今がある。
いつからだろうか、
子供だけ欲しくて奥さんがいらないなんて学生の頃言ってた。
いまじゃ子供もいらない。
育てる責任を背負える人間になれなかったから。
でもふと思った。
おれが万が一生き続けたらこうして死後の世話を、
誰にも任せられないんだなって。
何も託せず終わるのかって。
虚しくなった。
だから余計に、はやいとこ終えたい。
そんな気持ちが募ってく。


帰り際、
お線香をあげて手を合わせた。
今までもしてきた、
曽祖父や曽祖母の写真に向けて手を合わせてた。
必ずお線香もあげてた。
でも会ったことない人達で、
外交官をやっていたお偉いさんみたいって、
おばあちゃんから何度も聞いてたし、
Wikipediaで調べて学校で発表もしたことがある。
でも会ったことない人達で。
手を合わせても目の前にいるおじいちゃんに、
いつものように心で話すのは違うなと。
すぐに立って、
おじいちゃんに直接話しかけた。

じゃあまた9日ね。
いくね。
帰るね。
またね。

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