時効についての、ちょっと気になる投稿について

とある有名人の、メディア起用についていくつかの気になる投稿があった。どちらかの陣営に肩入れするのではなく、法解釈の問題として一言言いたい。

賠償請求に応じず10年が徒過したことで請求権が時効消滅したことの「合法性」と、強制性行から10年間訴追されなかった犯人の「合法性」を並べて議論している投稿が気になった。「時効」という同じワードが見られるため並列的に考えたくなるのは理解するが、時効によって消滅するのは何か、まで踏み込んでほしい。

後者は思考実験なので後者から。後者は「国家の刑罰権」が時効消滅する。仮に犯罪の事実がすべて明らかになったとしても、当該被疑者に対して国家は刑罰を与えることができないとする制度だ。そして刑事被告人の権利保護の観点から、刑罰権のない刑事訴追は却下されるため、刑事裁判は行われない。推定無罪が原則なので、裁判手続きを経ない被疑者はみな「無実」である。
ただし、あくまでも刑事罰に関する国家権力への制約のため、当人の非人道性までを否定するものではない。倫理的にも当人を晴れやかに迎え入れるのは心苦しいというのは人情である。

前者は実際に起きたことで、裁判も確定したもの。消滅するのは「請求権(広く債権とすることも可)」。事実関係はどうあれ、債務者(とされた人)に対して金銭を求めることができないということ。法律上は請求権が「はじめから無かった」ものとみなされるので、少なくとも金銭を払っていないことの不当性を問うのは法律上は正しくない。
これもしかし、否定されるのは請求権の部分なので、当人の行為の違法性までを否定するものではない。「払わないこと」は違法ではないが、払うことが求められた「違法な行為」はむしろ、判決が確定した以上覆るものではない。実質的なサンクションの手段が無いだけで、不法行為であったことには変わりがない。

どちらにせよ、あとは行為の倫理的な受け止め方をどうするかという問題であり、実質的な何かを求めるのは法律上は正当化しえない。そして倫理的な受け止め方については個人の内心の問題なので、他人がとやかく言うのも限度があろう。行為の倫理性について、「お前にとやかく言われる筋合いはない」と言い立てる人間の倫理性に大きな疑問を残すのだが。

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