誰かの5年分くらい濃かったかもしれん1年を振り返る

ちょっと2022年がカオスすぎて、個人的に記憶が薄れないうちにメモも兼ねて今年の総括とまとめを行いたい気分になった。

1月 遅すぎる大学生活の恩恵

まだ大学生をやっていた。
2年間の休学を経て2021年の9月に復学し、大学という環境の素晴らしさを再認識した。本が読み放題な環境。少しメールすれば一流の分野の教授とコンタクトできる環境。面白い人含めて、出会いが自動的に生まれ続ける環境。海外やボランティアにつき、無料ないしはお金をもらいながら能動的に挑戦できる環境。
これらの恩恵に気づくまでには、およそ5年と半年かかった。
私が休学した2020年6月以降、全ての授業はオンラインとなっていた。
完全オフラインの学生生活を4年間過ごし、これに加えて一切授業に出席しなかった完全オンラインの学生生活の双方を体験した。
これは類まれなる世代になるのではないかと思う。

大学という専門的でインターネットに載っていないあらゆる知識を得られる環境の恩恵を5年越しに感じ取り、この機会を最大限活かそうとした結果、受けた授業は大学生活の中で最も多かったにもかかわらず、成績はこれまでて最も高くなった。


2月 ルーツとの対峙

ある重要な事実に気づく。
私の家庭はいわゆるアダルトチルドレンと呼ばれる部類に入るのだが、これまで自分自身が味わってきた生育環境が正常なそれとは全く異なることに強く気付かされたのだ。
きっかけはサークル合宿。同期と生育環境に関する深い話題をしていくにつれ、徐々に異常さのメタ認知が進んだ。
マズローの5段階欲求説による「安全欲求」が激しく損なわれ、いつ居場所がなくなるか、いつ家族に殺されないかを恐怖を押さえ込みながら実家で暮らし続けることは、人生においても事業を進めるにおいても全く合理的ではないとわかった。
結果として生家とは一切の距離を置き、自らが自らに課していた認知のバイアスを行動で是正する必要があると強く確信した。

当時昨年まで行っていたプロダクトがグロースせず、そもそもどう生きるべきか?という方向性に悩んでいた時期であった。この認知の歪みが自身のサービスが成長しない原因を大きく占めているのでは?という疑問が生まれてからは、どのようにすれば問題を解決すればよいか、過去に抱えていたしがらみやバイアスをどうすれば是正できるかをひたすら考え抜いていた。

3月 白川郷へ

岐阜でホテルマンになる。
先月に気づいた認知の歪みを正すには、資金の工面と生家から距離を置く必要性の双方を満たす環境に身を置く必要があった。
そこで地元の神奈川県を離れ、全く知人のいない岐阜県の山奥にて3ヶ月半ホテルマンとして住み込みで仕事をすることを選ぶ。



3月になってもまだ深々とした雪の残る白川郷は、日本中稀に見る豪雪地帯であることを感じさせた。
観光客がひっきりなしに訪れる地域であるが、住むには適さない場所だと到着早々気づく。
雄大な山々。夜空の星々。世界遺産白川郷、合掌造りの絶景。
毎日同じ内容の弁当。徒歩20分のコンビニ。娯楽の一切ない環境。単調だがミスが許されない業務。
これら全てが新鮮であると同時に、私を飽きさせるにはそう時間はかからなかった。
これまで身の回りの人間関係を占めていた、スタートアップ、大卒サラリーマンといったいわゆる日本全国では少数民族の都会村を離れ、さまざまなバックグラウンドを持つ人々と環境を共にする事になる。
空き時間にはGoogleが提供するUXデザイナー資格の学習と、1日7個、一週間で50個のスタートアップをリサーチしメルマガにして配信するプロジェクトも同時並行させた。

4月 新しい世界

雪解けを推し進める春の山々の気温のように、精神面や物質面も徐々に温かみを感じるようになってきた。

ホテルマンとしてアルバイトを行う人々には様々な者がいる。スポーツのプロを目指していたが夢破れ仕事のプロを目指す者、武道館に立つという夢のために資金を稼ぎ一攫千金を狙う者、高校卒業後20年近くアルバイトのみで生活している実家暮らしの者、新卒で大企業に就職したが性に合わず退職し、自由な生き方を模索する者…

それらの者全てにはバックグラウンドがあり、エピソードがあり、動機には理由があった。あらゆる業界であっても、魂を込めて日々自分の道に打ち込む者がいるというのは、個人的には大きな学びとなった。

またこのような世界を目の当たりにしたことで、日々受動的に会社に出勤し、目的を見失ったまま高給をもらうだけのホテル客と、夢や目的のために身を粉にして働く従業員、果たしてどちらが幸福なのか?という疑問も同時に生まれた。


5月 業界が抱える根深い病巣

ゴールデンウィークを経て、徐々にタスクが馴染み始める頃。

UXデザイナーのスキルも板につき、世界中のスタートアップに関する肌感覚を徐々に掴めるようになってきた。
それと同時に、モノをリサーチするのではなく、やはり創り上げたいという欲求が沸々と復活していることに気づいた。



そしてホテルマン、宿泊業というドメインが抱える根深い問題に気づく。

基本的にホテルマンは肉体労働であると思われがちだが、知的労働も数多く含まれる上、お客様へのおもてなしはプライオリティとしなければならない。

宿泊業が人手不足である理由は、ここにある。

従業員は複数のタスクを覚えねばならないにもかかわらず、社員はマルチタスクをこなすことを要求されるため、入社1年や半年程度で退職をする者も少なくない。
加えてアルバイトとして派遣される人々も期間を全うする人々が少数派で、途中で”飛ぶ”連中も存在する。またタスクがこなしきれず、途中でクビとなった者も目の当たりにした。
これらによって、複雑かつ煩雑なタスクに関する引き継ぎが不十分であり、組織全体としての知識やノウハウが溜まらない。事実、派遣社員の引き継ぎは1−2日程度で行われ、それ以降は社員と同等のアウトプットが要求されるという状況が頻発していた。そして従業員が飛んだら新たな従業員を採用するという、いわば穴の空いたバケツにひたすら水を注ぎ続けるような労働環境だった。

加えて正社員よりも派遣社員の給料が上回る、という逆転現象も起こっている。これによって知識やノウハウを持つ正社員が仕事を伝授・共有しきれぬまま退職し、その結果少数の優秀な正社員にタスクが集中し組織自体の生産性が大幅に低下するというケースも起こっていた。

以上の理由から、たとえタスクを覚え切ったとしても新しいタスクが追加されたり、また新しい業務について改善提案をしたところでそれを行う社員がいない、という状況が発生する。


つまりタスクの引き継ぎも、労働力の分散も、改善も絶望的に難易度が高い環境であったのだ。

6月 都会の基準とは?

ADHDや起業家はマルチタスクやルーティンワークが苦手と言われるが、私も例に漏れずその一人だった。

先述の理由に加え、個人的な特性もあり、タスクを日々こなすことについてはミスが生まれ続ける状況は続いていた。
そこで全てのタスクをマニュアル化しこなし続けることを選んだ。

田舎は当然ながら、自動車社会である。ましてや白川郷など周りには何もない。合掌造り以外あるのは発電所かトンネルか、道の駅くらいのものである。

仲間の車で富山県に向かったとき、地元神奈川では見劣りしてしまうほどの建物が、私にとっては非常に都会的で文明的だとすら思うほどに田舎の環境に慣れ切ってしまっていたことに驚いた。なにせドン・キホーテや吉野家、マックがあるというだけで、十分に都会なのだ。その認識のギャップに驚いた。

100万円程度を貯金し、円満に最終日を迎えることができた。

結果として大きな問題も起こることなく満期で終了し、峠道のような山奥を進み、バスに揺られながら東京へと戻った。

7月 IVS,そして

7月からは起業家が集うシェアハウスに拠点を移し、生活をはじめた。

無事シェアハウスへの正式な引っ越しを果たし、一息つけるかと思ったのもつかの間。住人のほとんどがIVS沖縄へのチケットを取り、現地へ出向くという。

IVSは年に一度行われる、招待制のスタートアップの祭典。ある条件を満たした者にのみ参加が許され、その華やかな会場にはメディアやTVで取材を受けた有名な経営者や起業家がそこかしこにウヨウヨいる。いわば石を投げれば社長か投資家に当たる、といった具合の環境が、年に一度日本に出現する。IVSでの登壇や出資をモチベーションにスタートアップを目指し、成功への憧れを抱く若手も少なくない。

例年那須、京都などさまざまな地域で開催されるIVS。
2022年の開催場所は沖縄だった。

昨年の苦い経験から日本のスタートアップコミュニティからは一時期距離を置いていたが、何かのチャンスが掴めるのでは?と思い、開催日の前日に航空便を予約して沖縄へ飛んだ。

会場の外からでも伝わる熱気に圧倒され、スタートアップの熱とロマンを感じた。就活で私を落とした企業の社長が、目の前でハイボールを飲んで投資家と談笑している。誰もが憧れるような企業の従業員が、英語で流暢に海外のAI企業の役員と話している。そんな光景がそこかしこにあった。

前日に航空便をとったものだから、当然チケットなど持っているはずがない。だが何とかしてIVSの会場内に潜入できないか。そう考えた。

実は沖縄へ向かうにあたり、いくつかゴールを設定していた。
その一つは、沖縄で仕事を獲得すること。

以前から気になっていた企業の代表にTwitterでDMを送り、IVSでお会いできないかと相談を持ちかけた。
すると返信はなかったがスタンプが返ってきた。

これを見た私は、「いける」と直感した。

そしてIVSという一大イベントにドタ参するにあたって、ただ航空券を取るだけではあまりにリスクが大きい。そう考え、事前にTwitterでIVSへの参加を表明している知人全員にメッセージを飛ばし、奇跡的にうち数人と沖縄で飲むことになった。DMがDMを呼び、最初は3人程度だったものが8人程度でハブ酒を飲み、いつしかそのお祭りのような空気に飲まれどんちゃん騒ぎをしていた。

沖縄で仲間数人と飲み、流れで向かったのはAwabar。ここは起業家界隈では有名な、スタートアップ関係者が集まる隠れ家的なバーだ。このバーでの邂逅から、大口案件や巨額の出資につながったと語る先輩起業家も数多い。

Awabarで仲間数人と談笑していると、なんとTwitterでDMを飛ばした企業の代表が目の前で社員を連れてレモンサワーを飲んでいるではないか。

その企業Tシャツを見て一眼でチャンスを見抜いた瞬間、体が勝手に動き出し、いつの間にか声をかけていた私に気づいた。

「すみません、Carstayの宮下さんですよね。TwitterでDMした田村ですけど覚えていますか?」

そんな一言でメンバーの一員に迎え入れてくれた代表には、今でも感謝しきれない。

翌日正式に面接を行い、採用が決まった。


IVSに訪れたこれまでの事情を話すと、何と会場に入るチャンスを得ることができた。結果的に3日間のLaunchpad、起業家たちのセッションに参加し、多大なる学びを得ることができた。

だが何よりも学んだことがあった。

それは何事にも「サードドア」があるということ。

正式なルートとは別。VIPルートでもない。フェンスを超え、人混みをかき分けたその先。いつだって誰も教えてくれない場所に、そのドアは開かれている。

これはすべて偶然が重なったことによるもので、まさに「サードドア」としか言いようがない。

Carstayはキャンピングカーを保有する人と借りたい人とをマッチングする、国内最大級のプラットフォームを提供している。

IVSでは偶然、唯一屋外にブースを展示していたのがCarstayだった。IVSではキャンピングカーを用いてマッサージルームを提供するなど、時にはキャンピングカーのみならず、キャンピングカーによる体験も提供することで非常に定評がある。

他のブースに出展するスタートアップは、全てセキュリティゲートの先にある会場内で出展していた。

そして今回のIVSで提携していたマッサージ師の方は会場のパスを持っていたが、最終日は会場内に参加せず帰宅することになっていた。基本的にIVSのチケットを持っている人間は全てスタートアップ関連で、自分用のチケット以外は当然持ち合わせていない。彼が帰宅するタイミングで、参加パスを譲っていただくことができたのだ。

これらの偶然が重なり、IVSに参加することができた。

全ては偶然だった。再現性は一切ない。

※なおIVSはチケットが必要なので、チケットなしでの入場は一切推奨されません。

その当時譲り受けた入館証は、今でも私にとって重要なことを思い出させてくれる。

それは、物事には必ず「第3の扉」が存在すること。だからこそどんな困難な状況にあっても諦めず、その扉を探すことを諦めないこと。これが人生における最も大きな教訓の一つとなった。

IVSから戻ってからは、翌月受ける予定の「42東京」入学試験の対策をしつつ、久方ぶりの東京を満喫した。

8月 いざコーディングの海へ

42東京。パリ発のエンジニア養成機関。



世界中にスクールが存在し、本国フランスや一部の国では国費で奨学金が出るなど、トップクラスのエンジニア養成機関として存在している。

通算合格率は5%。42を卒業した者は、サイバーエージェントやGoogle等名だたる企業への選考ルートが確約され、現に一流企業に多くのエンジニアを輩出している、最強のプログラミングスクールである。

カリキュラムは完全無料。プログラミングの未来を信じる多数の大手企業がスポンサーをすることで、全てのプログラムが成立している。

その入学試験「Piscine」は、スイミングプールを意味する26日間のプログラムだ。受験者は文字通りいきなりプールに放りこまれた犬搔きのごとく試験を受けさせられ、26日を泳ぎ切らねばならない。

受験者は多岐にわたる。情報系の学生、エンジニア実務経験数年、起業経験のある若手等。

ほぼ1ヶ月にわたり六本木の校舎に籠り、コードを一日中書き続ける。コードを書き続けなければ、合格しない。

その日々はまさに戦場。

だが通常の戦と異なるのは、ライバルが味方になるという点だ。

42ではピアラーニング制度を導入している。教師が存在せず、参加者同士で知識を高め合うのが学習スタイルだ。

同期が一人、また一人と脱落していく中で、多様な同期とコーディングの知識、そして彼らのバックグラウンドに触れていった。

徹夜をし、戦友と六本木のマックに買い出しに行き、そしてまたコーディングに戻る。コードと向き合い、朝日を浴びる。


そんな日々を毎日過ごした夏。夏を全てコーディングに捧げた。

26日間の結果は惨敗。

敗因はひとえに準備不足と、コーディングを表面的に理解しようとしたことにある点だ。少なくともコーディングについては、本質を理解し、構造を分解した上で深く使いこなせるようにならない限り、技術を理解したことにはならない。

中学以来数学に触れることなく、法学部で国際政治と法律を専攻したことは、敗北の言い訳には一切ならなかった。

守秘義務の都合上明らかにはできないが、42はコーディングの本質と構造への理解を問う「良問」に溢れている。結果的にコーディングに関する関心が高まったと同時に、プロダクトを生み出すには不可欠な要素であると改めて実感できた、またとない機会であった。

そしてこの42で、今後の運命を変える出会いをすることとなる。

9月 実はみんな同じ?

42での経験を経て、コーディングとはそれ自体が目的化されるべきではなく、改めて何かを生み出すためのツールであることを再認識した。

コーディング自体を目的とすることも、自身のスキルアップやキャリアアップを目的とする限りは問題はない。それ自体は趣味嗜好や派閥の問題になるだろう。

しかし幾度もプロダクトを作り続けてきた身からすると、コーディングとは課題解決の手段であり、より良い世の中を生み出す手段にすぎない。そう感じるのは当然だった。

そして文字列の集合体であるコードがどのようにして形あるものになり、動くものとして世に解き放たれるか。

これは私自身の疑問であり、そして何より42でコーディングの本質に触れたものであれば当然抱く疑問でもあった。

それゆえ42で出会った仲間たちとハッカソンに出場しようという話に至るまで、そこまで時間はかからなかった。

友人から「Nethergate」というハッカソンを紹介され、参加を決意したのはそんなタイミングだった。

Nethergateは世界で戦えるWeb3プロダクトを生み出すべく主催されたハッカソン。優勝者には11月に開催される世界的ハッカソンであるETH Globalのセッション、ETHサンフランシスコ行きの航空チケット分の賞金が贈呈される。通常のハッカソンがピッチやアイデアを提出し、その面白さが採点対象となるのに対し、Nethergateの場合は比較的Web3領域のコアな構造への理解度や、実際に世の中に解き放った際に顧客の課題を解決するか?儲かるか?という、より実践的な評価軸によって判定される。

そんなNethergateに向けた準備を進める中、晴れてCarstayの一員として業務が始まった。

CarstayはWeb3の領域とは全く被ることがない、多種多様な面白い人々で溢れていた。

通常スタートアップの経営者といえば、同じ領域の同じ業界の人々との付き合いが増えることで、自ずと世界が狭まってしまう。

私があえてCarstayを選んだのには、そんな背景があった。Web3の世界だけに閉じこもってしまうと、新しい可能性を見いだせなくなる。常に開かれた世界の中で、異なるコミュニティを横断的に味わい、自らの多様性に色をつけていきたい。そう考え、あえてWeb3とは程遠いキャンピングカー業界に身を置くことにしたのだ。


世界とつながるWeb3。地域や地元とつながるCarstay。この2つには共通点がある。

それはエコシステムを構成し、その構成員全員が幸せになる最適解を求め続けていること。

業態、業種は違えど、業種を跨いだからこそ着目できたある種の気づきだった。

10月 初陣、恐怖の征服

Nethergateに向けた準備が本格的に始まった。

42で出会った3名のチームで臨んだ初のハッカソンでは、DAOという領域のツールを開発し、出場することにした。

この領域は、まだ日本ではメジャーになっていない特殊な領域で、いまだ日本国内で本格的に挑んだことがある者が少ない、チャレンジングな挑戦。プロダクトの骨子を固め、チームで何度も打ち合わせとコーディングを重ねながらプロダクトの表面をデプロイし、本番に臨んだ。

ハッカソンには大抵審査期間があり、開始日以降に開発を始めたものでなければ審査の対象外となる、というルールが設けられていることが多い。Nethergateも例外ではなく、ごく限られた機関でプロダクトを構築、デプロイする必要があった。

Carstayでの業務と並行しながら、プロダクトを期間内に仕上げる。

そして出来上がったのは、ユーザーの本格的な課題に向き合うことなく、何ら課題を解決していない妄想によるプロダクトだった。

DAOに向けたプロダクトを作成したものの、メンバーの誰一人としてDAOに本格的にコミットしたことがなかった。加えて限られた期間での構築によって、実際に機能するプロダクトではなく、あくまでモックアップの段階でハッカソン発表当日に臨むこととなってしまったのだ。

結果は惨敗。42に続く敗北を味わった瞬間だった。

だがこのNethergateを通じて、サンフランシスコ行きを確定させた。

アメリカであれば何かが変わる。アメリカでこの雪辱を果たす。この反省を生かし、サンフランシスコではリベンジを達成し、賞金を獲得する。

そう決意し、チームメイトとサンフランシスコ行きの航空便を取ったのだった。

サンフランシスコへの航空便を取ったのには、もう一つ理由があった。

それは2年前Clubhouseが日本を席巻した際に痛感した、日本での投資環境の悪さであった。

日本ではToCサービスへの投資はされにくい傾向にある。なぜなら2010年代にGREEやMIXIが一世を風靡していた時期、黒船であるFacebookやTwitterが現れ、そういった国内の巨大SNSに投資した金が水の泡になったことによる失敗体験が投資家に根付いているためだ。

そんな頃、Clubhouseに先駆けて音声SNSを開発していた私は、まさしく黒船に打ちひしがれ、やり場のない悔しさを覚えた。

サンフランシスコではすぐには儲からないプロダクトでも、面白ければ出資され、たくさんのユーザーが集まり世界展開できる。アメリカであれば、世界を変えうるプロダクトが作れる。

ゆえに世界で挑戦したいという漠然とした思いを2年近く抱えていた。

ではなぜすぐにアメリカに飛ばなかったか。
その理由は、未破裂脳動脈瘤という私の抱える持病にある。

未破裂脳動脈瘤は主に40代以降の女性に見られる、脳内の血管にコブが生じる病気である。原因は遺伝等とされているが、未だ解明されていない。
脳内の血管に存在するコブが生活習慣の悪化やタバコのニコチン、酒などによって肥大化すると爆発し、蜘蛛膜下出血を起こすリスクが高まる。30代以下の有名人も未破裂脳動脈瘤の爆発によって、死に至っている。
最悪の場合突然死も免れない、いわば脳に抱えた時限爆弾だ。

そんな病を抱え経過観察中の身である中、コロナワクチンの副作用として血管が固まってしまう事例が複数あるということを小耳に挟んでいた。

米国は2022年11月当時、入国する全ての外国人にワクチンの接種を義務付けていた。

そのためアメリカは、私にとって死の恐怖を乗り越えなければ、決して訪ねることができない土地だったのだ。

コロナの流行から早2年が経過し、コロナワクチンの質が向上してきた2022年。Nethergateでの敗北とリベンジという確固たる理由があった10月。ついにサンフランシスコ行きを決断した。

ワクチンの副作用については未解明の部分が多い。ギリギリで死の恐怖を克服し、無事アメリカ行きを果たす。

11月 縁と収穫と挫折感

ETH San Francisco。


GAFAなどの名だたる企業が居を構えるシリコンバレーのお膝元で、世界中から凄腕のハッカーが集い、その手腕とアイデアを競う3日間。
スタンフォード、コロンビア、ハーバードのパーカーを着た学生や、清華大学やインドの凄腕エンジニアがそこら中に集まり、自前のノートPCで一晩中コーディングに明け暮れる姿は、さながらカオスと熱狂と狂気そのものだった。

3日間の食事は全て無料で提供され、スポンサー企業のTシャツや帽子、グッズなどもすべて無料で提供される。コーヒーも常時提供され、参加者《ハッカー》は48時間、全ての時間をコードを書くことに費やす。

40社以上のスポンサーすべてが賞金を用意し、複数の企業からスポンサーを獲得するチームも珍しくはない。一回のETHGlobalで100万円以上の賞金を獲得するチームもザラに存在する。

過酷さとは裏腹に、それだけ打率の高いハッカソンでもあるのがETHGlobalでもある。

https://www.youtube.com/watch?v=QEogm1dio3g



そんなハッカソンのルマン、世界耐久レースのような環境に、42で苦楽を共にした仲間と参加できるという高揚感で胸がいっぱいだったことを覚えている。

しかし渡米の直前、なんとその仲間がコロナウィルスに感染し、アメリカ行きを果たせなくなってしまった。
フライトの2時間前に成田空港でメンバーから突然の電話を受け、動揺する間もなく目の前が真っ暗になったことを覚えている。

心を痛めている暇はない。できることやり抜くしかない。
単独での渡米を余儀なくされ、全くの異国の地で、現地でチームを集める必要性が生じた。

ただでさえ難解を極めるDAOの概念とプロダクトの特徴を、現地で、英語で伝え、0からエンジニアとデザイナーを集め、成果物を48時間以内に提出しなければならない。

私は神に試されているのだと直感した。

そう問われているような気がした。

幸いなことに、デザイナーは渡米前にグループチャットツールであるDiscord経由で集めることができたが、エンジニアが一向に集まらない。
ようやくハッカソン開始1時間前に仲間を見つけ、プロダクトの開発にうつった。

日夜コードを書き、デザインやディテールについて熱い議論を交わし続ける。成果物の特徴や矛盾について、熱くチーム同士で語り合う。時には財布を落としていることを忘れてしまうくらいに。

そんな日々が続き、最終日。デザイナーの様子がおかしい。成果物を出したはずなのに、一向に作業を続けている。

制限時間内になんとか成果物を提出し、結果を待つ。

だが付け焼き刃のチームとプロダクトでは賞も獲得することはできず、ただ憔悴するばかりだった。

先ほど覚えた違和感は現実になった。なんとチームのデザイナーが他のチームに参加し、ファイナリストに選ばれているではないか。

これ以上の屈辱はなかった。チームメイトがコロナ感染。あろうことか現地で集めたデザイナーにも裏切られる。

自らの不甲斐なさと実力不足を深く痛感した。
悔しい。あまりにも悔しすぎる。本当に心から悔しい気持ちで心が埋め尽くされた。

だが同時に、大きな収穫もあった。

現地のDAOを推進するメンバーの代表に、顔を覚えられたこと。
そして選考があるDAOに特別にチームメンバーとして迎え入れられたこと。

彼らの熱い議論と新しい技術に対して直向きに信じ続け、業界を改善してゆかんとする姿勢には心を打たれるものがあった。

このDAOコミュニティとの出会いが、私をさらに大きく変えるきっかけとなった。

ETHGlobalが終わってからというもの、アメリカへの滞在時間は残り1ヶ月近くあった。12月1日の帰国までに、可能な限りサンフランシスコのスタートアップコミュニティ、Web3のイベントに足繁く通うことを決意した。

実はチームメイトとアメリカで行うことの一つに、キャンピングカーで西海岸を回りながらスタートアップのイベントに出まくる旅の計画があった。

だがチームメイトのコロナ感染によりキャンピングカー計画も白紙。30日分の宿を取っておらずホームレスとなった。

その日暮らしで毎日Airbnbで宿を漁る中、命の恩人が現れた。

ミネルヴァ大学に通う友人のけむだ。私が渡米前に決意をフリースタイルラップに乗せた動画を見て、興味を持って手伝えることはないか?と声をかけてくれたのだ。

まさに救世主に見えた。現在においてもけむには感謝しても仕切れない。

こうして奇跡と縁がつながり、宿と荷物の問題は解決した。

しかし一難去ってまた一難。

サンフランシスコはアップルやグーグルなどの巨大企業が集中する関係で、Web3のコミュニティが小さく密度が濃い。何度もイベントに足繁く通ううちに、半分程度が顔見知りとなってしまったのだ。

現地のコミュニティに深入りできた一方で、アメリカに死のリスクを冒してまで訪問した意味がない。はるばるアメリカまで来たのだから、ここでしかできないことを成し遂げたい。

そこでなけなしの金を投じ、6日間3000キロを左ハンドル未経験、ペーパードライバー、単独でロードトリップすることにした。
サンフランシスコ→ロサンゼルス→ラスベガス→ルート66→デスバレーを訪問しルートを往復して帰還するという、これまでにない挑戦。

今思えばチームメイトがコロナに感染し、ETH SanFranciscoでも満足した結果が残せなかったために、自暴自棄になっていたのかもしれない。事実、デスバレー周辺の道は集落やガソリンスタンドも少なく死亡者が続出、夏場には気温が摂氏50度近くになる場合もあり、1人でドライブをするなど自殺行為に近いとされている。

ガソリンと時間、水と残金との戦い。しかし金はモノよりも経験に使うべきだと信じ、方針を貫いた。

そして6日間3000キロをドライバー交代なし、単独で奇跡的に生還し、世界中から集まった旅人との出会いと、この世のものとは思えない絶景を独り占めすることができた。


リスクをとった先に絶景がある。これは忘れられない経験となった。

DAOに関するネットワークと知識、ETHGlobalで培った現地の失敗と成功のノウハウ、そしてかけがえのない旅の経験とつながりを手土産に、30日間のアメリカトリップが終了した。

12月 死と再生

帰国して早々、自らが手にした経験の貴重さを思い知ることとなった。
まずDAOに関する理解を深めサンフランシスコの現場を見たことがある人間はごく少数に限られる。スタンフォードやミネルヴァといった超一流の学生と触れ合い、彼らの高い課題意識と世の中に対するアプローチの提案に揉まれた経験。加えて現地の人々から入手した様々なプログラムや創業者支援ツール。ETHGlobalで痛感した、世界中のハッカーのレベル感と空気感。

これら全てが、いつの間にか私の手にはあった。

そしてなによりも負け続けたことによる強い悔しさと屈辱とエネルギーと後悔こそが、失敗を繰り返すまいという何よりの原動力となった。

https://www.youtube.com/watch?v=Qx30R2L9xTw

アメリカでの経験を元に発案したのが「DAOAsia」というプロジェクト。技術がもたらしうる新しい組織の形を正しく日本に伝え、曲解されているDAOの概念を破壊し日本のガラパゴス化を避ける目的で開始した。

コロナから回復した仲間と後輩を巻き込み、新しくWeb3のムーブメントであるDAOで嵐を巻き起こす。そう決意した。

そしてCarstayでも部署のリーダーを任され、より一層責任ある地位で仕事に邁進するチャンスを与えられた。

Web3とローカルの経済。双方に対してより面白いアプローチができる基盤が、ここ数ヶ月をへてようやく整い始めたのだ。

おわりに

2023年の4月、ETHGlobalのハッカソンが東京で開かれることが決定した。
そして同じく4月、DAOのムーブメントを東京からアジアへと普及させる一大イベント、DAOTOKYOの開催も予定されている。

そして私たちは、1月にコワーキングスペースである渋谷QWSで募集しているイノベーション支援プログラムであるQWSチャレンジに応募し、採択を受ける予定だ。

市場環境においても、中小企業経営者の個人保証が創業5年まで不要になり、スタートアップへの再投資が20億円までは非課税になるなど、チャレンジャーに対して追い風が吹き始めている。

失敗は成功のもととはよく言われるが、人生の結果は死ぬまでわからない。
経験した失敗や成功や挫折や喜びは、一切無駄ではないのだ。

2022年を通し、何事も成るようになる。全ての出来事は必然であり、当時(今)自分にとって必要だったからこそ起こった出来事なのだ。そのように考えるようなった。

これだけチャンスが溢れかえっている世の中で、そして時代の追い風が吹きつつある世の中で、2023年はどれだけ暴れられるか、楽しみで仕方がない。出会いと別れの中で辛酸を舐めることもあれば、喜びに包まれることもある。

私は自らと周囲の人々の喜びの総量を増やす2023年を達成し、次の大晦日を笑って過ごすために、次なる冒険に出たいと考えている。


この記事を読んだ者がすこしでも励まされたりなどしたら嬉しい。



P.S.書くのに夢中になりすぎて、書きながらいつの間にか年越しを迎えちまった。

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