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まる男、シェイクスピアを演じる

その日、まる男はマネージャーの明菜と部活中、雑談を交わしていた。それ自体,大した事ではないのだが、30分以上も話をしていたのである。部活中だから、野球の練習をしていなければいけないなかでだ。監督やコーチ、先輩たちが注意すればよいのだが、彼等は明菜に甘い。まる男にではなく、明菜にだ。美人なうえ、気の利く明菜は歴代マネージャーの中でも特に人気があった。前任者、今日子は愛嬌はあったが、人気はなかった。やはり、女は顔かと責められて然るべきだ。
 まる男と明菜は一週間前、本屋で偶然会っていた。読書感想文を授業で書くこととなり、明菜は本屋を物色していた。その時、まる男と会ったのだ。まる男は1日1回は本屋に寄る習慣があったからでもある。明菜はまる男を見つけるとヘッドロックをしながら「何かいい本があるか?」と聞いて来た。まる男はこのマネージャーに苦手意識があったので逆らわず、お勧めの本を言った。あるイタリアの昔の武将について書かれた伝記だ。
 この本の主役は父親をローマ法王にすると、その権力と彼の才能を使って、イタリア中部を征服していった男だ。マキャベリの”君主論”はこの男の生き方を元に書かれたと言われる。
 一週間後、明菜はこの武将にすっかり惚れ込んでしまい、その事をまる男に話したくて仕様がなかった。部活でしか会う事のない2人である。部活中に、その話をするしかなかった。少しだけ話そうとしたのだが、熱が入ってしまい、30分も話してしまったのだ。
 話始めて30分後、監督は2年の部員たちに目配せするとまる男と明菜に怒鳴った。
「今何の時間だと思ってるんだ!サボってんじゃない!」
監督の怒号は迫力満点で、明菜は体をビクッとさせた。まる男は聞こえなかったのか、怯えて話をとめた明菜に本に対する自分の意見を述べ始めた。
「こら!聞こえなかったのか!」
監督はまる男の肩をつかむ。
「ん?なに?」まる男は後ろを向くと、監督が怒っているのに気付く。
「あ、すみません。お話にはお茶ですよね。先輩と話しているのにお茶も煎れないなんてダメですよね」
監督はまる男のズレは無視した。そして、2年の先輩2人がまる男を両脇から腕をつかみ、部室の方へと引きずる。
「まる男はボール磨きしてろ!」
まる男は引きずられながらの「もうちょっと話させてくださいよ~」との声には「部活中なんだぞ!」と監督の怒声。まる男は明菜に手を伸ばしながら言った。
「ロミオ、あなたは何故ロミオなの!」
あの有名な演劇のセリフだ。だが明菜は自分を指差して言った。
「え、私がロミオで、まる男くんがジュリエットなの?」

2人の愛は1ミリも築かれたことはない。
台風一過の、この日はいつにもまして、爽やかであった。

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