恩師

恩師への「不義理」

あなたには「恩師」と呼べる人がいますか?
少なくとも私にいる。界隈では有名な著名人。

大学の研究室でお世話になった教授。ウィキペディアで名前を検索すれば出てくる方。複数の某学会等では著名かつ、著書もいくつも出版している。


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学生時代、諸々の事情もあり私は休学を重ねた。大学教授の本分は自身の論文を執筆する事であり、学生の教育は二の次なんて話はよくある。

だが、受け持った学生を卒業という形で「追い出す」事も一つの仕事とみなす事もできる。教員評価制度の詳細は知らないが、恐らくその辺りも関連しているのではないだろうか。

多分に漏れず私は、不出来な、教授の脚を引っ張るだけの学生だった。ゼミにも真面目に参加した記憶はほとんどない。

一応、論文は書いた。学部生の論文は書かれた価値に値しないという話もあるが、私の論文は正にその通りだ。独りよがりもいいところ、大して面白くもない論文だ。


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その教授は、私が研究室に配属になったタイミングで新たに御出でになった方だった。それまでは某女子大にいたらしい。私がその教授の研究室を選んだのは、

「優しそうだから」

だった。それ以上でも以下でもなかった。

私の目の付け処は間違いなく、「優しい」教授だった。誰にも訳隔てなく、良い意味でニュートラルだった。ゼミを無断で休んだ翌週、何事もない顔をして出席した私に対して、

「どうした?風邪でも引いたか?心配したぞ?」

と、真顔で言うような教授だった。

その教授に手取り足取り、あらゆるお膳立てをして頂き、締切当日に論文を提出した私だったが、直前まで一切の嫌な顔もせず、とことん付き合ってくれた。

そのお陰で私は卒業できたようなもんだ。


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在学中お世話になった事への感謝の意を述べるべく、卒業数カ月後に、私はその教授にアポイントのメールをした。すると以下の通り返信が返って来た。

「体調を崩し入院していました。もう少し落ち着いたらまたお会いしましょう。」

その返信メールを見た後、適切なタイミングも分からず、私はしばらくの間改めてのアポイント連絡を怠っていた。



そこへ衝撃のニュースが…

詳細は忘れたが鮮明に覚えている事がある。



ウィキペディアにあるその教授のページに…



○○年「没」



との記載を発見した。どうやってそのページに辿り着いたのかも覚えていない。ただ、PC画面越しに見た、



○○年「没」



の文字は鮮明に覚えている。葬儀は親族のみ、その他の関係者は一切参列しなかったそう。PC画面越しに、ただただ涙したのを今でも覚えている。


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私は多分、その教授がいなければ今こうして生活してはいない。それくらい、お世話になった教授だと、唯一の恩師だと、心の底から思っている。


だが、その人はもう、「この世」に存在しない。


親孝行をしようと思った時に、親はもういない。


よく耳にする言葉だが、まさか自分が…とは正直思いもよらなかった。なんと情けない。あれだけお世話になった方へ、御礼の一言も伝える事が出来なかった。自分を責め続けた。そうする以外にどうしようもなかった。


もう10年近く経つだろうか。この時期になると、その教授の事を思い出す。いつもニコニコと、決して学生を見限らず、親身になってくれたあの教授の事を。

「見守る」とはどういう事か、その教授からも教わった気がする。


私が「恩送り」を決めた、大きな出来事の一つだ。


桜の舞うこの季節、新たなスタートを切る方が沢山いる一方で、私は郷愁を感じてしまう。だから春は好きになれないのかもしれない。


「思い立ったが吉日」


早いに越したことはないと、俺は思います。
大切な人へ、伝えたい想いを、無下にしない為に。


おわり

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