何事も良い経験に。

私には子どもが三人おります。
一人は、すでに御霊になり、いつも私のそばにいてくれています(^^)
あとの二人は、2才と0才です。

2才の子は、いわゆるイヤイヤ期まっさかりです。
私はイヤイヤ期という言葉が苦手で、「それをいうなら、大人はスーパーイヤイヤ期やな(笑)」といつも鼻で笑っています。子どもの純真さに日々感動し、日々驚き、日々ありがたく過ごさせていただいております。

2才の子は、はたからみたら、何か発達の問題でも抱えているのではないか?と思われるほど、天真爛漫です。
その太陽の様な輝く個性をはじめは抑えようとしましたが、「ちょっとまてよ」と立ち止まれたのは、ありがたいことでした。

叱れば叱るほど、「違う」と、泣き叫び、やがて、娘は2才にして自傷行為を始めました。ごめんね。私たちが間違っていると確信し、それ以降、成長を見守りながら、叱るというより話し合うようになりました。もちろん、話してわかるわけではないのですが、それがなんとなくわかるのですから、人間とは不思議です。叱るべきは親としての自分のあり方だと理解できました。

やがて自傷行為は少しずつ減っていきました。
泣くこと一つとったとしても、その種類は数えきれません。
ただ傷ついたときの涙と、息苦しさの涙と、成長のための涙と、その違いはわかるものです。

天真爛漫な個性を、私たち親が消してしまわないように。そう願いながらここまで暮らしてきました。娘はいわばこの町のフッドスターで(笑)町ゆく人、商店街の🌞のようで、可愛がられ、おせんべいやら飴やらシールやらをプレゼントされます。

一方で、私はどこかで、「育て方、叱り方」について、何か言われることがあるだろうと覚悟をしていました。「そんなのでいいの?」というような、日陰から重いものを投げ込まれる日がくると予感してしまっていました。

つい先日、私が大変懇意にさせていただいている方が、娘に対することを、どきっとする言葉遣いで、大勢の前で話しているということを伝え聴きました。

私は、とっさに、この低い波動に振動しないようにと心に決めました。自然に出来ないのが私らしいなあと思いました。信念というのは貫くものだなあと思いました。妻と対話を進めていきました。妻は「これからはしっかりと叱るよ」と、自信なさげに落ち込んで行きました。私はありがたいことに、妻の話を最後まで聴かせてもらい、また、冷静な心と熱い信念で居続けることができました。

娘の天真爛漫さに、それぞれの人間が、それぞれに感じたことを、私たちが感知する必要はないし、感知することもできないということ。これまで、一度犯した過ちを振り返りながら、妻と共に娘の瞳をみながら、自分を改まり、祈りながら子育てをさせていただいていることの感謝を申し上げました。

低い波動には、反応せず、教えていただいた事実だけを丁寧に学びとしていただき、感謝を申し上げることで、私たち夫婦はしっかりと眠りにつくことができました。

太陽の様な娘の寝顔を見ながら。

きっとこれからも、こういうことは続くでしょう。でも大丈夫だと思えます。

何事も良い経験に。
ただただそれを願って、感謝するばかりです。

ますます、娘が愛おしく、また妻が愛おしく、自己の成長をと強く願っています。

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