食を巡る戦い 1汁5菜からの助かり

妻との対話を経て、超小食お休み。
その後、毎日、16時間限定の断食と菜食に舵を切り直して、1週間が経とうとしています。

今と超小食をしていたときと。
何が違うかというと、「御飯の量」だけだったと気がつきます。
当時は、御飯は1口。
今はお茶碗一杯。
たったこれだけの違いでした。

「いままでも菜食だったし、一汁一菜だったし、新鮮な取れたてのお野菜ばかりいただいていたんだね」と妻と笑う。あんまり変わりないねと、いうことになります。

しかし、「空腹が落ち着いたら、お食事を途中でも終わることが出来る」「空腹になったら食事をとり、空腹じゃなかったら食事をしない」という自由な選択は、今のところお休みです。

妻との会話を愉しむことを最優先にし、愉しみにさせていただいています(^^)

体重は依然として63kgをキープ。
便がでないのに、キープしているのが不思議です。
スイマグもお休み中。できれば体と瞑想をもって、宿便を排出させていただきたいと思います。

食生活を変える。
それは、家族にとって一大事です。
それは家族が多くなれば多くなるほど、大変なことでしょう。

親と同居していたときは無理でした。
一汁一菜なんて許されるわけがありません(笑)

一汁五菜?六菜?プラス肉と刺身と酒。珍味。
これだけが食卓に必要でした。
食事が終わって、お皿を洗って、一息つくまもなく、次の炊事に取りかかります。一日が炊事に終始し、終わります。
お相撲部屋やプロレス道場で、炊事に従事するなら理解できるかもしれませんが、お仕事も引退した年配者に対してはどう考えてもやり過ぎです。

でも、止めることができないのは、夫である私の落ち度でしょう。
何度話しても、話が通じない両親は、孤独感の導火線に着火を繰り返し、時に爆発しました。

食事の時間を別にする。台所を別にする。食事の献立を別にする。
一つ一つ取り組みながら、会話しながら、それでも、「孤独感」を印籠のように振りかざすばかりでは、大人としての会話もできず、一方的に食に介入し、食を否定してくる両親との人生の同居は不可能なのでした。

「よくがんばってたよね」
「うんうん、食事のことばーっかり考えてたもんね」

同居を解消し、まず取りかかったのは、台所の整理と冷蔵庫の整理とゴミの出し方の改善でした。

物で溢れかえった台所。
油まみれのシンク。
Gさんの住処の水屋。
賞味期限の切れた瓶類。
干し野菜になってしまったお野菜立ち。
それらの救助。

ゴミ箱からなんから、新調し、導線を整え、ゴミ捨て場を行政にかけあって、近所にしてもらったり。

食の環境を整えると、人生が変わりました。
妻に感謝。ありがとうございます。
そんなことを思う、今日この頃です。



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