Kazuki Tsutsumi
アメリカで無職になった
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アメリカで無職になった

Kazuki Tsutsumi

ここ二ヶ月ほどアメリカで無職をやっている。結果から言うと無事転職先が決まったため既に先が見えた無職生活であるが、Temporary Worker Visa で働く人間が突如職を失うととどうなるかという貴重な経験だったため備忘録を残す。

無職以前

San Francisco の Fintech Startup で Sr. Software Engineer として働いていた。前々職でもシリコンバレーで日系企業の駐在員として働いており、帰任と同時にオファーを貰って転職した。会社は H-1B ビザの申請をサポートしてくれて抽選にも通ったが、コロナ禍により大使館面接が停止し、結局一年以上日本からリモートで働いた後、2020 年末にやっと渡米することが出来た。

会社の特徴としては全面的に Clojure を使って開発をしていた。元々 Clojure Developer であった自分が採用された理由であり、就職後も幸せに働いていた。

唐突な一時解雇(Furlough)

3/21、午前の業務をしていると昼過ぎに全社ミーティングがスケジュールされた。別にそれほど珍しいことでもなかったので不穏さは感じず、午後の作業のことを考えながら参加すると、CEO から告げられた内容は、会社が破産に陥ったため、現時点を以って全社員を一時解雇(Furlough)とするというものだった。今を以って業務は中止し、午後から給料は出ないと。

正直 Furlough という単語を知らなかったので、一瞬、何だって?となりながらも、お通夜な空気で直ぐに状況を察した。頭がクラクラした。スタートアップで働く以上、当然存在するリスクとは考えていたが、社員を増やし開発体制を強化していたタイミングでのことだったので寝耳に水であった。

「一時」解雇である理由は、四月中を目処に新たな投資元を見付けて業務再開を目指すためということであったが、自分にとって一番の問題はビザであった。自分が働く H-1B ビザは企業にスポンサーしてもらう必要があり、退職すると失効してしまうのだった。退職後 60 日間の猶予期間が認められてはいるものの、期間内に新たなスポンサー企業を見つけてトランスファー出来なければビザは失効し、アメリカ国内に残れなくなる。よって会社の行末を待つ余裕などはなく、直ぐに転職先を見つける必要があった。

しかし予期していなかった事態であったため、考えなければいけないことが多過ぎて頭は真っ白だった。とりあえず妻には直ぐに報告し、退職祝いに焼き肉を食べに行った。肉を噛み締めながら頭に浮かんでいたのは、創業後早い段階でジョインして三年間開発し続けてきたプロダクトが無に帰すことに対する無力感だった。悲しいことだ。

脱無職活動

翌日から早速転職活動開始。主に SNS(Twitter、LinkedIn)と転職サイト(Glassdoor 他)を使った。

LinkedIn はステータスを #OpenToWork に更新すると一斉にリクルータからメッセージが来て捌き切れなくなったので、とりあえず Clojure Developer Position に絞って返信していった。結果から言うと、企業専属以外のリクルータには掻き回されただけ(希望年収を聞き、下げろと言い、契約を求め、レジュメを転送するだけ)という印象が強く、出てくる求人もほぼ自力で探せるものだけだったので、やりたいロールが明確であれば頼む必要はなかったと思う。

Twitter は日本語でやっているが、転職希望ツイートを拡散して貰い、リファラルや適切なアドバイスを貰え、非常に助けになった。最終的にも Twitter 経由でリファラルしてもらった企業に転職することが出来たため、とにかく感謝しかない。

自分に何があるかと言うとやはり Clojure だったので、転職サイトからは Clojure Developer Position のみ応募していった。最終的にコンタクトした企業 52 社中 Clojure Developer Position は 31 社で、恐らくその時点で米国内で公開されていた全ての Clojure Developer Position に応募したと思う。

応募に当たってのこちらの条件としては、

  1. H-1B ビザトランスファーのサポート

  2. 採用プロセスを急いでくれること

  3. Full Remote / Hybrid

  4. 永住権申請のサポート

  5. Sr. Software Engineer ポジション

1 は当然必須であり、ゼロからの申請と比べれば大してハードルは高くないと思いきや、割と断られることが多かった。2 も重要で、もし一ヶ月程度で目処が立たなければ帰国準備を始めないと間に合わなくなる。そのためオファーまで数ヶ月かかることもある Big Tech は見送ることになった。4 は必須とは言わなかったが、ビザの面で二度と同じ目に遭いたくなかったため希望した。一斉に申し込みを行い、続々と Phone Interview の予定調整の返信が来た。前回の転職活動時にはまだあまり一般的でなかった Calendly 等の予定調整サービスが広く使われており、予定調整は楽だった。

他の準備としてはレジュメを更新し添削して貰い、Cracking the Coding Interview を読み直したり、なんとか Code で Coding Interview の勉強したりしたが、既にプロセスが始まっている中でのことだったので、基本的には戦いの中で成長するしかなかった。また、帰国することも見越して日本側の企業とも数社話をさせてもらった。

オンサイト面接まで

アメリカのテック企業の一般的な採用プロセスは、

  1. Resume Screening

  2. リクルータとの Phone Interview(10 - 30 分)

  3. Coding Interview(30 - 90 分)

  4. Onsite Interview(半日 - 数日)

  5. 追加プロセス(あれば、チームマッチング等)

  6. オファー

という流れ。3 まではどちらかというとスクリーニングの意味合いが強く、何故なら Onsite Interviewとなると企業側のリソース負担が急激に大きくなるため。そのため Onsite まで進んでやっと土俵に立てたという印象。

レジュメはしっかり添削して貰ったおかげで自信があったが、提出後は神に祈るしかなく、ここで落ちた場合は大半返信がないので、縁がなかったとは言え改善しようがないので少し困った。

Phone Interview は苦手であったが、話すことも聞くことも殆ど決まっているので、条件面が合わないなどのことがなければ落とされることはなかったように思う。

賛否ある Coding Interview はやはりアメリカテック企業の特殊化した文化であり、予習しないと厳しい。しかし Clojure Developer Position での面接にか限れば、問題も Clojure を活かせる様なものが多く、かつ本筋以外にアピールできるポイントも多かったため結果的に全て突破することが出来た。Clojure でややネックだったのは、通常 Coding Interview では CoderPad などのオンラインエディタを使い、Clojure も対応していることが多いが、ParEdit なしで Clojure を書くのが厳しく、閉じ括弧を Feel 出来ずに時間を浪費することが多々あった。そのため、途中からは許可をもらってローカルの Emacs をスクリーンシェアして書かせてもらった。Clojure Developer Position 以外の面接も当初、許可が貰えれば Clojure で挑戦したが、ループの最適化のような問題を Clojure で解こうとすると冗長なコードが多くなり、かつ面接官がコードの意味を理解出来ないこともあり厳しかったため、途中からは素直に Java で挑戦した。

基本的に Cracking the Coding Interview 以上の内容はなかったように思うが、PriorityQueue 等のやや一般的でないデータ構造を使う前提の問題が出たり、時間・空間計算量の説明と最適化についての議論は絶対に必要なため、やはり対策は必要だった。

Coding Interview の代わりに Assignment が出た企業もいくつかあって、これは多彩で楽しかった。GitHub 上で PR をレビューしコメントするものや、独自言語でアプリを開発するものなど。どういう能力を見たいのか、こちらからアピール出来るのかが明確で、時間さえあればもっと挑戦したかった。時間がなかったのだが。

転職活動開始時点では、ビザのタイムリミットもあり、オファーが一つでも出れば直ぐにサインするつもりでいた。それくらい切羽詰まっていた。しかし、通ったと思った面接に落ちたり、逆に落ちたと思った面接に通っていたり、次回面接が二週間後に設定されたり、企業の裏側でネゴネゴしてなかなか進まない感があり少しもどかしかった。

三週目にやっと最初の Onsite Interview を受けられることになった。Onsite は、複数人(3-6 人くらい)の社員それぞれとそれぞれ 30 - 75 分程度の面接を半日〜数日に渡って行うもので、テーマは Behavioral Interview(過去の経験とそれにどう対応したかについての質問)、技術的な質問、Architectural Design、追加の Coding Interview などで、それぞれの面接官にこちらから質問する時間も設けられる。Onsite の意味は通常はオフィスに出向いて行うからだが、自分が受けた限りでは全てリモートで行った。自分の場合特に Behavioral Interview が苦手で、準備不足と英語力不足のせいでとにかく体力の消耗が激しく、常に後半はしどろもどろだった。英語に不安がなくはなかったが、そこだけで落とそうとするようなリクルータはおらず、ちゃんと経歴や能力を評価できるよう根気強く聞いてくれた上で、ポジティブな方に導いてくれたと思う。なんとか最初の Onsite を終え、達成感と疲労感と共にその日は心地良く寝付いたが、翌日、直接電話で不採用を伝えられた。

最初のオファー

脱力感が強かった。面接の反省をしようにも思い出すと少し凹んでしまう。しかしそこで休むことは許されず、そこから翌週にかけて更に5社の Onsite を受けた。面接もいくらか改善はしていったと思う。しかし、三週目が終わる時点で未回答を含めてどこからもオファーは出ず、割と有望だと思っていた Clojure 企業からもお祈りされ、帰国の二文字が真剣に頭に浮かんだ。これまで数年アメリカで働いてきたのに、どこからも必要とされないように感じてしまいとにかく辛かった。次の週までにオファーがなければ帰国準備を始めようと考えていた。

そんな中、前職の同僚とは Discord グループを作ったりして頻繁に連絡を取り合っており、特に直近で同じチームで働いていた同僚が、彼が以前在籍していた企業に熱烈にプッシュしてくれた。そのため、いきなり CTO と話すことが出来、それから通常の採用プロセスを踏んだものの、四週目にして最初のオファーを出してもらえる運びとなった。絶望的だった気分の中、飛び上がるほど嬉しかったし、とにかく帰国しなくて済むことになり安心した。これだけシステム化された米国テック企業の採用プロセスにあっても、未だにコネが重要とされていることを痛感した。

翌日、オファーの詳細内容を聞き、直ぐにでもサインしたい気持ちに駆られたが、その日にもう一社からオファーが出たことと、Onsite の結果待ちが何社かあったため、回答は翌週まで待ってもらうことになった。

オファー交渉

翌週も追加で何社か面接を受けたり、結果待ちの数社に確認を入れたりしたが、既に複数のオファーがあること、今週で決めようと思っている旨を伝えると風向きが変わり始めた。一週間以上音信不通だった企業から一転オファーが出たり、オンサイト後の追加プロセスを飛ばしていきなりオファーが出たり。これには少し複雑な気持ちではあったが、企業側としても既に相当なリソースを注ぎ込んだ相手をみすみす逃がしたくない気持ちがあったと思う。オファーがオファーを呼ぶ状態であった。また、前職も新たな投資先を見つけることは叶わなかったが、別の企業による買収とそれによるエンジニアの再雇用という話がまとまり、買収元企業からのオファーも出る運びとなった。最終的に合わせて6社からオファーを貰うことが出来た。

複数のオファーが出れば条件面について交渉することが出来る。交渉ポイントとしては、給与(基本給、年次ボーナス、サインオンボーナス)と株、また自分的には永住権。給与交渉は容易で、ここまでのオファーの中での最高額を伝えれば、応じられるか聞ける。株式については上場・非上場企業双方あり、単純な比較は難しいが、見込みで交渉。永住権は全企業サポートしてくれると行ってくれたが、就職後いつ申請を開始してくれるか等。交渉ポイントではなかったと思うが優秀な移民弁護士を雇ってくれてるかは重要だった。

回答期限が迫る中、これらの条件については希望以上のものを提示して貰えたため、大いに迷ったが、総合的に見て家族に一番不安や負担をかけずに済むという点で一つのオファーにサインした。4/29 のことで、帰国するか決めるデッドライン(アパートの退去通知期限)当日であった。

転職先

Niantic の Platform チームで Sr. Software Engineer として働く。Clojure ではない。インフレということもあると思うが、前職に比べて給与は 40% 近く上がり、転職しないと給与上がらないバグのやつだと思った。

無職生活

というわけで現在は終わりの見えたアメリカ無職生活を楽しんでいる。無職期間といえどもオファーが出るまではほぼ毎日面接が入っており、家族的には働いている時期とあまり変わらず、その上で心労をかけたと思う。オファーが出てからは平日でも子供と日がな一日、公園に行ったり、プールに行って過ごしたりも出来た。公園でパパ・ママ友も結構増えた。平日に子供と二人で遊ぶ父も、それほど奇異な目で見られることはなかったと思う。

ビザトランスファー

オファーにサインしても働き始めるにはビザの移行が必要であり、USCIS(国土安全保障省)へ申請しないといけない。オファーが出てからは少しのんびりした気持ちになりかけていたが、弁護士から急かされたこともあり、迅速に対応した。これは後で知ったことであるが、どうやらビザトランスファーの猶予期間についての私の認識が誤っていた。元々猶予期間の開始は当然会社を退職したタイミングになると思っていたが、正確には「H-1B ビザの資格を失った時点」からであったらしい。H-1B ビザには雇用側にも守らない条件がいくつか存在する。その一つがビザホルダーに十分な給与を支払っていることなのだ。自分のケースはやや特殊で、一時解雇されても会社に籍は残っていたため、猶予期間は始まっていないと思っていた。しかし、H-1B の有効性の観点から言うと、一時解雇された時点で給与が出なくなったので H-1B は既に無効となっており、猶予期間のカウントが始まっていたらしい。3/21 に一時解雇されて、5/18 に USCIS から申請受領通知を受けたので今思うと結構ギリギリであった。これを考えると、やはり一ヶ月以内に転職先を見付けられないと厳しかったと思う。

もし猶予期間内に申請が間に合わず、H-1B が失効した場合であっても、一度帰国して延長申請を行い再度有効化することが可能らしい。また、猶予期間は米国内にいる間だけカウントされるため、猶予期間内に出国して転職活動を進め、オファーが出た後でトランスファーして再渡米という手段もあるそうだ。何にせよ、ビザを取り巻く状況は常に変わっていくので、疑問があればすぐに移民弁護士に相談することが大切だった。

トランスファー申請には、ビザ申請時の大量の書類が必要で準備に少し骨が折れた。USCIS から申請受理通知があれば働き始めることが可能で、猶予期間のカウントもここでストップする。事前には働き始めるまで4〜6週間かかると聞いていたが、結果的には準備開始から3週間ほどでビザ的に働けるステータスになった。しかし、無職生活が居心地良くなったため、切りよく六月から働くことにした。

生活費

無職期間で一番の問題はやはり金銭面で、教科書通りに数ヶ月やりくりできる現金預金を確保していたのはよかったが、改めて異常なこのエリアの家賃と、体感としてわかるインフレで加速度を持って減っていく預金を見るのは気が気でなかった。ドル以外の資産は円安と株安で目減りしており、手を付けたくはなかった。

医療保険

医療保険も大きい問題だった。悪名高い米国の医療保険は個人で入るにはあまりに高額である。前職の保険を継続できる COBRA という制度を利用することも出来たが、費用は個人加入とほぼ変わらず、四月末で会社がクローズして以降は利用できなくなるということであまりメリットがなかった。特に健康上の問題がなければ、何かあったときのためだけに国際医療保険に加入してやり過ごせばよい(オバマケアによる医療保険未加入の罰則は廃止されている)と思うが、妻が妊娠中で検診を受けており、それは通常の国際医療保険ではカバーされない。そこでダメ元で低所得者向けに無料の医療を提供する Medi-Cal の申請をしてみたところ、自分は加入出来なかったものの、子供と妻の妊娠に関する医療費はカバーされることになった。医療保険は最悪の事態を見越してのことなので安心したが、結局直ぐに転職先の保険に加入できることになったので使わないで済んだ。

失業保険

ない。

技術的には非移民ビザ滞在者でも申請出来るらしいが、そもそも相当面倒だし、受給すると永住権の審査で問題になる可能性もあるそうなので考えなかった。そういう意味では Medi-Cal も問題になる可能性があるが、こちらは背に腹はかえられぬ状況だったし、現状では問題とならないとされている。ただし、また政権が変わるとどうなるかは分からない。

無職雑感

どうすればよかったか?

前職の倒産は恐らくリクルータ経由で割と公になっており、他社の面接でも「どうすればよかったと思う?」みたいな質問をよく受けたが、正直(知らぬ…)としか思えなかった。経営層以外誰も状況を知らされていない状態で1エンジニアとして出来ることはほぼなかったと思う。それでも前職のことはとても気に入っており、プロダクトも文化もエンジニアのレベルも最高だった。ただただサービス開始に至らず、売上がなかったことのリスクが顕在化しただけだったと思う。

個人としては、転職するつもりがなかったとしても常に転職準備はしておかないといけないということを痛感した。

Clojure

これまで8年間仕事で使ってきた。結果として離れることになったが、今でも最高の言語だと思っている。そして Clojure Developer という肩書は、転職活動においても非常に強力だった。ニッチであるが故に使っている企業に強力にアピールする。更に米国内では数え切れないほどの企業で使われており、求人として出ているものだけでも捌ききれないほどであった。機会があればまた仕事で使いたい。

永住権

 個人的にはいつか帰国したいと考えており、これまで永住権についてはあまり真剣に考えてこなかった。しかしキャリアと家族の将来を考えるともう少しいるべきだとも思うし、もう一度同じ目に遭った際に選択肢を持っておきたいので、実際に永住するかはさておき、永住権の取得は目指すことにした。

まとめ

なんとかなった。

自分は成り行き上いつの間にかアメリカに流れ着いたような人間で、これまで起こりうるリスクから目を背けて来たが、今回はその一つが顕在化してしまった。今回の体験で何を得たかと言われれば、ありきたりだが人生の大きなリスクに対する向き合い方だったと思う。自分の力でコントロールできない未来を過度に恐れ過ぎず、かつリスクを具体的に評価して、なんとかなると信じて出来ることを積み重ねていく。

人生でもこれだけ長い無職期間は初めてで、それがアメリカでのことになるとは思わなかったが、まあ、とにかくなんとかなった。

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