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時々、ふさぎ込みたくなる自分の話

 小さいころから、時たま何も手につかず、うっすらと一日を過ごしてしまうことがある。例えば、小学校の夏休み。中高のテスト前の土日。そういった日は何日も続くことがあって、人と会わずに無為に過ごし、夕方頃に絶望感に駆られることが主だった。また、そういったときはSNSも手につかなくなり、LINEは全く返せなくなる。今回もまた同じようにそういうタイミングが来て、いつものごとく、元々あまり高くない自己肯定感がごりごりに削られる予感があった。今回、東京へインターンをしに来ていて、平日は朝早くから夜遅くまでそこにかかりっきりになるから、LINEが溜まっているし、返さなきゃと思うのだが、ふさぎこんでいる自分は内容は確認できても返せないのが常だった。

 ところで、自分の今までのできごとを振り返って、自分自身には「発信力」や社会への「還元力」が足りていないと思っていた。そこで僕はいくつかの約束事を、自分とすることにしていた。以下は僕のスマホの待ち受けである。

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順に、
①LINEやメールはなるべく早く返す
➁共有やいいねをする
③行動は可視化する
④基本、「YES!」

というものである。

 「どうして、この4つを約束ごととしたのか」という話はまた今度するとして、今日もスマホを開いたとき、この文章が目に入ってきた。「LINEはどんな文章でも良いから、返信しないとな」と考えて、LINEを開くと3分前に、友人から「暇だからLINE電話しないか」という誘いのLINEが入っていた。話してみると、彼は大学院の試験のために大阪にいるという。進路の話や動くスタンプを今度作ろうなどと話して、電話を切った。その後、週に一度のゼミのzoomがあった。 メンバーの一人が卒業論文に関して着々と準備を進めている話を聞いた。このあたりから、自分の中で気持ちが持ち上がってくるのを感じた。

 LINEに返信する体力を取り戻したことを感じ、いくつかのLINEを開く。公園で一息をつく時間も必要だと過去にメッセージをくれた人や、自分が企画した大学1年生の子数人で行っていた談笑会への感謝のLINEが目に留まった。(大学1年生が大学に行けず、友達もできないというので、毎週木曜日に行っていた。計24時間話したこともあって面白い内容だったので、今度、その話もしたい。)

 それに加えて、自分が所属する花笠団体や就活支援団体、子ども食堂の活動報告を見た。僕の気持ちは完全に回復していた。そして夜中、そのままこのnoteを書いている。いつもは時間が解決してくれていたように思われたあの状態は、今回、人の力を借りながら恐らく史上最速で払拭できたように思う。

 自分自身、どういった要因があってふさぎ込んでしまうのか、まだわかってない。ただ今までの経験から、次のことが共通しているように感じた。

・自分なりに動き回って、一息ついたタイミングでやってくる
・その日1日が空いている、もしくは最悪休んでも大丈夫な場合が多い
・人と会う、もしくは話すと少し緩和される

最初は単に、自分のキャパオーバーなのではないか、と思っていた。しかし一息ついたころにやってくることからそれは違う気がする。考えるに、自分の中で「内省」が足りていないとき、やってくるのがこの期間なのだと思う。「行動」と「内省」は二項対立していて、行ったり来たりながら人は成長していくという個人的に好きな考え方があるのだが、それを例に出してみると分かりやすい。

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つまり、今自分は「行動」に過度に寄っていて、内省を促すための心理的反応としてふさぎ込むという状態が起こったのではないだろうか。言い換えれば、自分の現在地やしてきたこと・するべきことを確認する、地図を見るような時間が必要だったのかもしれない。まだ仮説段階ではあるが、個人的には有力な仮説であるように思われる。



おまけ

 さて、最後に一つ曲を紹介したいと思う。中島美嘉の「僕が死のうと思ったのは」という曲である。思わず後ずさりしてしまうような曲名であるが、救いがあるとても聞いていて心地の良い曲である。曲の中でこんな歌詞がある。「”死ぬことばかり考えてしまうのは きっと生きることに真面目すぎるから”」僕と同じように自己肯定感が低い人にはぜひ聞いて欲しい。

中島美嘉 『僕が死のうと思ったのは(MUSIC VIDEO short ver.)』

※YouTubeだとショートバージョンになるので、気になったらSpotifyなどで検索してもらいたい。


 ーーー今回の感謝ーーー

電話をくれた友人I
ゼミの友人Y
休む大切さを教えてくれた友人H
うれしい報告をしてくれた後輩H
花笠団体マツリイド
就活支援団体ゼロカツ
子ども食堂おかわり

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