レーシングライダーの死生観

この記事は随分前から書き始めていた。

でもなかなか書き切れない。

オンライン上に乗せることもその最後のボタンを押すことが躊躇われる。

人はいつか死ぬ。

それはまだ母親のお腹の中で亡くなってしまうような短い命もあるし、100歳を超えても元気な命もある。

「いつか」というと永遠の親戚みたいに遠い存在に聞こえるけど、それはほんの数秒後かもしれない。

必ずその時は訪れる。

「バイクは危ない」という言葉。

一般的に多く聞く言葉。

しっかりとした装備をしていればとか、サーキットの安全性だとか、言いたいことはたくさんあるにしても

一方でその安全を担保できるとは言えず、その言葉を真っ向から否定することもできないのが事実である。

「一歩間違えれば」

その言葉は、誰しもが思う以上にすぐ近くに存在している言葉だと思う。

それは日々の生活の中での、突然飛び出してきた自転車だったり、黄色信号の交差点に突っ込まない一歩であったり、はたまた階段でつまづいた文字通りの一歩であったり。

「あの時もし…」とヒヤッとする瞬間は思った以上に日常の中にあり、それは常に死に直結するものではないかもしれないし、はたまたその先にまた「あと一歩間違えたら」があるのかもしれない。

日々生活の中でしていく小さな一つ一つの選択が、その一歩であり、生きている限り必ず死ぬのである。

なんらかの病気やアレルギーでもなければ今夜の晩御飯に何を食べるか考える時に「これが死につながるかもしれない」なんて考える人はほとんどいないだろう。

しかしいつ終わるかも分からない人生というスパンで考えていけば、それは一つ死に近付いていく最後の食事までのカウントを一つ進めているとも考えられる。

自分はレースやテストで家を離れる時。

なるべく家を生活感のない状態にして出掛けていく。

ある時改めて深く「死」を意識して自分がいなくなったらどうなるんだろうかと考えた時、「きっと自分にその時が来た時に自分の物を片付けるのは自分の家族だな」と。

そのとき「そこに居るべき人がもういない」となるべく感じないように、なるべく「そこには何も居なかった」状態しておけばその負担はたった少しばかりでも軽くなるんじゃないかと考えてから、家を離れる前の掃除が習慣になっている。

その一方で、バイクに乗っている時、サーキットにいる時には「死」に対する恐怖感、もしくはそれ自体の存在を表面上に否定しながら過ごしている。

「自分は大丈夫」と根拠もなく信じている。

その一方で「何か」あればそれはすぐ現れるということを理解している自分が、自分の中に存在している事も知っている。

自分のレースキャリアの中で死が自分のすぐ脇をすり抜けていったことがある。

それはいわゆる三途の河を見たとか、意識が飛んだとかではなく、いわゆる「一歩間違えていたら」の部類で、もしかしたらそういった経験のある人とは違う視点なのかもわからない。

そもそも死生観というもの自体が人それぞれだというのは承知の上…。

それこそ数え切れないほどの転倒を経験しているが、自分の場合転倒で意識を失った事は一度もない。

それ自体はすごくいい事であり、

幸運な事でもある。

しかし、残念ながらレーシングライダーとして、どの転倒も一つ一つ頭の中に残っているというのは必ずしも良い事だけとは言えない。

思い返して一番自分がそれに近づいたのはおそらく2016年全日本ロードレース最終戦鈴鹿だろうと思う。(目の前で見ていた人が多く覚えている人も多いと思う)

つい0コンマ数秒前まで自分のコントロール下にあったマシンから投げ出され、その現実を現実と思えないと思いながらも、宙を舞いながら「さてどう着地しようか」と考える。(そういう時は思いの外考える時間があるもの…)

とはいえ当然考えてどうにかなるものでもなく、地面にたどり着いたと思った瞬間からは訳も分からず、まるで巨大な洗濯機の中に放り込まれたような衝撃と、視界一杯に広がる縦や横にただただ流れ続ける景色。

時折視界の隅でバラバラになっていくマシンが見えて「ごめんなぁ〜」と「俺には当たるなよ」をごちゃ混ぜにした気持ちで、体に伝わる衝撃を現実に自分が受けているものとは思えないまま転がり続ける。

ほんの一瞬のことだったような気もするし、永遠に終わらないと思えるほど長かった気もする。

止まった時、半ば無意識に自分の体に異常がないか確認する為にまず自分の手をグーパーしてみる。(それは体に異常がないかを確認しているのか、悪い夢でも見ているんじゃないかという確認なのかはどちらともいえない。)

多分目の前で見てしまった人はそれ自体が死へ直結していたと感じると思う。(実際に多くそんな声をいただいた)

ただ自分の経験した中では「転びながら」死を意識した事はない。

当然この時も例外ではなく、主観でいる間は意外に冷静で、スローに動いていく世界をコントロール下にあるとは言わないまでも

転倒後は「なぜ転んだのか」を考えながら割と冷静に状況を把握できているつもりでいた。

「あぁ。結構やばかったんだな」と感じるのは後からその状況を振り返ったり、映像に残っている時にはその映像を目の当たりにした時だ。

改めて俯瞰、外の視点から残酷にあっけなく過ぎる時間の中での、その転倒を見るとまるで自分の死を見てしまったような…。

不思議な気持ちという表現はあまりにも優しすぎる言葉かもしれないが、まるで他人事のように自分の死を目の当たりにする感覚だ。

ある時、その転倒以来にひさしぶりに鈴鹿に訪れて、自分の足は自然とグランドスタンドに向かい、改めてその場に立ち 観客側の視点から見た時。

「あそこで転んで…。あの辺で着地して…あの辺まで転がっていったんだ。」と

その目線からのその瞬間を想像した時に、なぜだか分からないが涙が出てきそうになった。

「あの時の自分はなぜ今生きているのだろうか?」としばらくの間自問自答していた。

「死んでもちっともおかしく無かったのに生きてる理由が何かあるんだろうか」とか「ホントは死んでるのかも」とか色々考えてやっぱり答えは出ないまま。

未だに話題に上がり当時の映像を見る事があると 心臓を直接掴まれるような、そんな感覚がある。

それは必死に自分の中で「覚悟」という言葉で、存在を知りながらも否定している自分の「死」に対する認識を鷲掴みに「ここにあるぞ」と言われているからなのかもしれない。

自分は楽しくてバイクに乗っている。

それは「バイクに乗りたい」と親にお願いしてミニバイクに乗らせてもらった頃から、

JSB1000ccのバイクでレースをする今も全く変わらない。

2020年8月10日

JSB1000クラスのレースを終え、プレスインタビューを一通り終えレザースーツをそろそろ脱ごうかとしていた時、近くでいつもサポートをしてくれている金丸さんと見覚えのない女性が話している。

「どこのチームの人だろう?」と考えながら、レザースーツを思うように脱げず、袖を引っ張ってもらおうと腕を差し伸ばそうかというタイミングで振り返った金丸さんから「…テツロウサンガナクナッタ」

という言葉が耳に入る。

「岩崎哲朗さんが亡くなった。」とちゃんとその言葉に変換され意味を理解した瞬間、握り潰された心臓から溢れ出るように涙は止まらなかった。

レーシングライダーの訃報はいつもあまりにも突然で、ざらついた気持ちが落ち着くにはまだまだ時間が必要。

RS-ITOHに所属した年、同じチームからST600に参戦していた哲朗さん。

見た目の迫力から最初は近寄り難いななんて思ってたけど、レース前に集中していくあの張り詰めた空気感を初めて感じた時、こんなにも真っ直ぐレースに向かって行く人がいるんだと圧倒され、その年には鈴鹿8耐にもペアライダーとして一緒に戦い、その人柄の優しさと強さを知りました。

その豪快なライディングに、どうやったらあんな走りできるんだろうなんていつも考えてたけど、

「一樹君すごいよ!」なんていつも褒めてくれるから、半分褒められに行ってたのになんでいなくなっちゃうんだか。

「何故?」なんて考えたところで答えが出てくるわけもないのも知っているけど、気が付くとそんな事で頭がいっぱいです。

またいつか一緒に走りましょう。

そんな言葉も気軽に言ってたのに、今はずいぶん遠く感じます。

こんなタイミングでこんな記事を上げてすみません。

言葉ってすごく難しいから、何が伝わるかわかりません。

でもきっと哲朗さんはあの真っ直ぐさそのまんまで今も突き進んでる気がします。

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