0518

大学がはじまってるなんて言われても実感の「じ」の字もない。

なんてキーボードに文字を打ちながら、この一文やたら「じ」が多いな、と思うくらいには今日も頭は退屈している。5月はもう折り返しているというのに。

今日は特に話すこともないので、自分に応援メッセージでも書くか。

大学4年生になるまでにゼミ以外の単位は全て回収する。       

「あそ文構」と揶揄され続けてきた文構生にとって、これはもはや大学生活においての至上命題だろう。ちなみにこれは「遊んでばかりいる文化構想学部の学生」の略語である。

(ちなみに「至上命題」という表現は誤用で、正しくは「至上命令」らしいのだが語感が好きなのであえてこのままでいく。)

僕の所属する文化構想学部は初めて聞いたら、少なくとも2回は聞き直してしまう何ともフワッとした名前の学部だ。文化という余りにも幅を効かせた言葉の通り、文学、芸術、サブカル、映画、ジェンダー、哲学等、他学部を圧倒するジャンルの多様さを持つ。

それにしてもなぜそんな不名誉な呼び名がついてしまったのか。

それが生まれた所以は、この学部の授業数の少なさと単位取得の容易さだ。数学や理科と違い、文キャンの授業の多くは暗記や計算をあまり必要としない。それよりも自分自身がどう考え、どう答えを導き出したかを問われる。つまり文句なしの満点は存在しない。けれど自分なりの答えは必ず見つかる。

そのため出席とレポートさえ出せばいちおう単位は貰えるのだ。一番苦労するのが大学一年時に履修する第二外国語で、それを乗り切ればほとんど必修科目はない。授業数も週に10コマあるかないかで、基本かなり少ない。

これらの要因が重なってか、文化構想学部=勉強しないで遊んでばかりいる、というイメージが大学全体に蔓延している。(ちなみに兄貴分でもある文学部も同列の扱いを受けている。)

「学問は脳、仕事は腕、身を動かすは足である」と謳った創始者の大隈重信もそれだけ聞いたら、きっと頭を抱えてしまうだろう。これだから近頃の若者は、と何処かのインテリマダムみたいに野次り出すかもしれない。

お気楽なところだな、実際3年前、当時大学1年だった僕もスカスカの時間割を眺めてはそんなことを吹聴し、若干の優越感と安心感に浸っていた。

しかし、よくよく考えてみる。

そして、周りを見渡してみる。

するとある瞬間に気づくのだ。

あれ?やばい、このままだと自分は空っぽのまま終わる、と。

好きな科目を、好きなように選び、受講できる。取得しないといけない単位数も多くないし、レポートもほどほどに書けば単位はもらえる。

これは裏を返せば、自分の行動次第でこの大学での4年間を全く無意味な時間にすることもできるし、はたまた他には代えられない知識や経験を得ることもできるということだ。

実際文化構想学部の授業には各方面のスペシャリストたちが揃っている。彼らは総じて変人ばかりだけれど、自分の研究分野に心酔し、没頭し、なにより生き生きとしている。その姿はどんな教科書や参考書よりも鮮明に記憶に残っている。大学ってようは、そういうところなんじゃないかな。

「大学生活は人生の夏休み」という言葉があるけれど、それは決してずっと休んでいられるという意味ではなく、どこまでも冒険して、どこまでも挑戦できる時間と機会がある、ということだと思う。宿題よりも自由研究の方が何倍も楽しいはずだ。

文句なしの満点は存在しない。けれど自分なりの答えは必ず見つかる。

今、ゼミ以外の単位を取り終えてしまった僕は残念ながら、コロナのせいで気になる授業にもぐったりすることが出来ない。ずっと寝て過ごす選択肢だってあるはずだ。けれど夏休みはもう終わりに差し掛かっているわけで。このスカスカの日程表にこれから何を刻むか。活かすも殺すも自分次第だ。

がんばれ!じぶん!!



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