瀬戸内海旅行の断片


自分としては三年前の開催に次いで、四国を訪れるのは二度目。
三年前の自分が、うまく運ばない諸々の状況を東京に置き去って、逃げるように、母に連れられて訪れた島々、そして−そのときはそうは思いもしなかったけれども−、今回また足を運ぶことになった島々から、幾らかの触発を受けることになった。

自動車、電車、飛行機のような交通技術の発展、ネット環境の充実、その他諸々の技術は今日の僕らを隙間なく取り巻いていて、僕らはかつてそれに必要だったような手続きをなくして、世界の各地を見、足を運ぶことができる。
それに伴って、当然に、各々の地域ごとの土着性、個別性、差異性といったものは際限なく減少している。世界中どこにいても、僕らの距離は無限に短縮され続けているし、それがグローバル化ということで目指されているものであるようにも思う。

そうして平板化された諸々の場所がそのアイデンティティーの最後の拠り所にするのが、その起源、一つの歴史・物語における、自らの現れの場なのだろう。


三年間という僕の歴史・物語について、ある種の起源を持つこの島々もまた、それ自身として現れの場を持っている。それでもその現れが、あくまで僕が僕自身の思い出として、それらの島々の固有の印象を平坦に均した上での再我有化、再固有化としての出来事であったということ、そしてそのたびごとに島々の固有性はその役目を終え、もはやそこからの呼び声は僕自身に届きもしなかったということ、そのようなことを忘れてはいけない。

尽きせぬ記憶の焼き直しは、そもそもの記憶の源泉たる島々のはじめの現れ、もっとも珍奇だった僕の世界への島々の闖入という出来事の出来事性を思い出から分離し続け、三年間という歳月を経て、もはやその出来事における過剰は、記憶の全体化の作用のなかで完全に剥ぎ取られていた。

おそらくそうした作業を通して、僕の記憶の歴史・物語は一つの完成した、しかしながら閉鎖的な、形状をなすに至っていたのだろう。そしてまさにそのために、今回僕がこの島々を訪れた際に感じた新鮮さのようなものは、僕に対しての、僕のこの三年間の記憶化の作用に対しての、異議申し立てであったのではないだろうか。

船の上から、以前に来た島が近づいてくるのを見た時、僕は全くそのように感じていた。目の前の島々は記憶の中のそれらの姿を覆し、再び僕の世界を転覆させた。記憶の中で剥ぎ取られた他性がまたその場を取り戻し、僕の意識の作用を包摂しながら限りなく激しく飽和した。

ひとがあまりにしばしば語る感動という出来事は、こういうふうに、自分自身の前に不意に現れる飽和した出来事の非所有の域を指していうのだと、ひしひしと感じることになった。



こうしてその思いをまとめながら、また僕は自分の意識の中で、あの島々を記憶化し、差異を無化し、平板化し、交換可能な言語の中に落とし込もうとしていることを感じずにはいられない。そしてもし、ひとがそういった記憶化を免れないものならば、もし、その歴史・物語化の作用によってのみ僕ら自身の「正気」を保つことが可能ならば、僕らには自我の限りない全体化の作用に抗うことはできないのかもしれない。

今はまだ、その可能性を考えるだけで精一杯な僕の頭は、それにしても、そうではないような可能性も見つめることができる。それはこの贈与にも似た一つの旅が教えてくれたこと、つまり場所の地位である。

場所は、僕らの尽きせぬ全体化に対する絶え間ない批判であり、異議申し立てであり続ける。僕らが立つこの場所は、僕らの所有できないものを明らかに含んでいる、他なるものであり続ける。


せめてこの先の人生の中で、僕自身がこのことをわすれないように。

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