大喜利は「おおぎり」か「おおきり」か?

大喜利はずっと「おおきり」と読むと思っていた。
ところが漢字変換では「おおぎり」と打たないと変換されない。

昔大喜利をテレビでは「おおきり」と読んでいた(と記憶する)。
先日とあるキツネが「おおぎり」と言っていたのですごい違和感があった。
気がつくとテレビでもやはり「おおぎり」と読んでいるようだ。
キツネ(隠れ共産党)の組織力があれば「おおきり」を「おおぎり」と言い換えさせることも簡単なのだろう。

追記:最初から辞書を引けばよかった。「喜」の音読みは「き」であって「ぎ」ではない。結論:よって大喜利は「おおきり」だ。

同じような話で「ご苦労さま」がある。
今から40年前は下から上のことばで「ご苦労さま」と言っていた。
ある日突然、「『ご苦労さま』は失礼だ」という話になった。
しかたがないから周りに合わせて、「お疲れさま」を使うようにしていた。
最近、ネット記事で「『ご苦労さま』は失礼ではない」と書いた記事があった。
やはりそうかと思ったので個人的に「ご苦労さま」を復活させようと密かに考えている。

そう言えばナイキが普及し始めた時もそうだった。
ナイキが売り出された時、「ナイキいいじゃん」と急に言いだすやつらがいた。
今思うと皆キツネ(隠れ共産党)だった。

話は変わるが、昔重箱読みのような音訓読みについて、「日本語として正しくないから、重箱読みを使わないようにしよう」という話があった。(今は言われないようだ)

なぜ重箱読みがあるかというと音訓読みでないと伝わりにくいからだと思う。
話し言葉で「市立」と「私立」を区別するのに「いちりつ」「わたくしりつ」と読む。伝えることを優先するならばこの読み方が親切だろう。
音訓が重箱読みと逆で訓音の准で湯桶(ゆとう)読みというそうだ。
個人的には、これは「ゆおけ」と読んでもらわないとおれには伝わらない。
将棋界では「悪手」は「あくしゅ」と読む。
しろうとにはどうしても「握手」と聞こえてしまう。以前は「『あくて』と読んだ方が直感的でわかりやすいよな」とか思ったが今はもう慣れてしまった。

話を大喜利に戻す。
おれはこれからも「大喜利は『おおきり』だ」と言い続ける。

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