「私、結婚するんだ…」向かい部屋の幼なじみは結婚直前婚約者に内緒で寝取り交わり堕ちる泥濘SEX   五十嵐なつ

「私、結婚するんだ…」向かい部屋の幼なじみは結婚直前婚約者に内緒で寝取り交わり堕ちる泥濘SEX  レビュー 敬称略

太宰珍歩×五十嵐なつのコンビによる今作。四作目では主観シチュ、五作目が初ドラマ演技、今作は本格的ドラマに領域に踏み込んだ五十嵐なつの演技が注目される。
主観であれだけリードできたのだからとも思うが、男優がいると呼吸の合わせ方や視線が重要ともいえ、いささかファンとしても緊張する。

男優は向理来。女性向けAV制作メーカーでの活躍や有料コンテンツへの進出などしているが、企画によってはメーカーをまたぎ、私達の観る(男性ユーザー用)AV作品にも出演する。今作の企画では幼馴染設定なので年齢も近く、スタイリッシュな向が選出されたと思われる。

冒頭、高校のブレザーを脱ぐ五十嵐。全裸で隣家の向に微笑みを残す。
結婚を機に実家に戻ってきたシンプルな会話。幼馴染ならではの会話のなかに制服を脱いだ高校時代の話題でいきなり向が「なっちゃん」から「なつ」と呼び捨てる。
何かがひっかかりつつも、これは期待大!と感じた。呼び方の違いで、お互いの過去の関係と現在の立ち位置のズレのかと思った。または昔に戻った瞬間のような…
ここを突き詰めていくと相部屋NTRなどの定番と異なる、幼馴染のちょっと複雑な感情に流される展開を期待した。


しかし、今作は厳しいことを言わざる得ない。違和感をもったのは「なつ」といきなり呼び捨てにしたことのが最初だが、「お花」という単語を使う男側のキャラの背景が見えないままいきなり使われていたり、学生時代の想いが忘れらず行為に及んでいる際、男優が画角を占めるスペースが多いにもかかわらず、細やかな演技をして抵抗しているのは五十嵐なつだけで、男優は何も発しない。
監督の演出なのだろうが、例えば各メーカー色で撮られている相部屋NTRなら仕事のミスや私生活関係のセクハラで問い詰められる、犯罪ベース作品なら本気の抵抗やその表情、絶望、諦念、完墜ちなど女優の演技の幅が問われる。その展開(犯罪ベースの場合、演技でもそんな推しを観るのが辛いユーザーも存在する)が個人の好みに合うかどうかにかかってくるわけだが、今作は「昔から好きだった2人の葛藤ドラマ」のキモがぎくしゃくしている。

幼馴染にどんな恋心はあったのか。久しぶりに会って心情に変化はあったのか。

婚約者を連れて帰省した女性は元々恋心があった。下記のような展開になるのは私の個人的一例。

ズレは小さなものでも引っかかる。隣家だからといってサンダルばきで部屋に忍び込んだり、幼馴染に頼まれてフェラ、口内射精した瞬間、家族が帰ってくれば逃げる。(ように女優が(台本どおり)けしかたのだが)
その女優は手のひらに吐き出した精液を見つめるなど、切ないだろうなという気持ちはなく、ずっと好きだった幼馴染に好き勝手にされているとユーザーは感じる。
少なくとも私はそうだった。
忍び込まれた女優が男優を部屋の死角に隠して「今、買い出し言ってますよ」「庭でじょうろ探してます」とでも庇ってあげるセリフがあれば幼馴染と親しい家族ぐるみの関係性が見えてくるのに、と思ってしまう。

本当はずっと好きだったことを、過去の回想シーンをワンシーン挟むだけで、2人の距離感が表現できるのにとも思う。

地元の友達の飲み会で初めて婚約者の名前を明かされる。すると酔った女優が幼馴染と間違えて「ショータ」と「タクミ」を間違える。
ここでも声を出せない状況というだけで幼馴染の関係性が演出されない。
おまけに男優が意地悪そうな笑みを浮かべて犯している。
冒頭の軽口を叩き合う心地よさとは全く別の作品のように見える。
泥濘とは真逆な即物的行為なのだ。

不器用(わざと?)に作りすぎた晩御飯できっかけをつかみたい女優。しかし幼馴染にスルーされ、今度はスチール写真でもお気に入りとツイートしていた下着姿を見せつけると、ようやく「誘ったじゃん」と部屋にやってくる。冒頭の高校時代の伏線回収なのだろうが、エロが目的。(エロスではない)
自分の心情を吐露するのは五十嵐のみ。絡みに見応えがあっても納得されない。
終始、幼馴染の恋心が自分勝手なエロのみに変換される。

タイトルどおり『泥濘セックス』ならば、女優もエロに振り切ってスワンプ(沼地、湿地)、文字通り泥沼のように求め合うなら興奮もする。

NTRだから幼馴染設定をおろそかにしてもいいものなのか。

実はお互い好きだった、だから結婚するから実家に戻ったひと時だけでも……
そこでは儚い情緒も純愛もいらない、もっと泥濘、泥沼のような交わりをすれば五十嵐なつの強烈なエロスが発揮された作品になっただろう。

お互いが好きだった。でも婚約者のものになってしまうなら自分の欲望を叩きつけてやろうという地元に残った幼馴染と、都会で垢ぬけ、婚約者ができたのだけど忘れられない過去に踏ん切りをつけたい女性。

これならば納得させられる。淡い恋心がなかったのならば(重きを置かないのならば)、利害が一致するのだからもっと激しく求めあっていい。

たとえば2人で懐かしさで散歩に行く。その道すがら思い出の場所に赴いて気持ちが揺れてしまい(昔話やマリッジブルーなどの会話込みで)ホテルに駆け込む。幼馴染設定ならばそんなバックグラウンドでも、五十嵐、向の恋心は本物だと作品に没入できる。

私が考えすぎなのか、台本を指摘したようにちぐはぐなのか。

少なくともデビュー一年も経っていない女優はいい仕事をした。
冒頭の幼馴染との会話などリアリティがあり、3絡み目のエロスはエイトマン社長が絶句した抜きどころでもある絡みだった。

そこそこのAVユーザーならば専属でも最高の台本に恵まれない作が多々あると知っている。女優にぴったりの台本と出会い、女優の気持ちのノリの波長がマッチした時、キャリアハイの作品が生まれる。
名前を出すのははばかれるが、同事務所の先輩、鷲尾めいも自分が得意とするジャンルを把握しながら、様々な企画でユーザーを飽きさせないことも大切と配信で言っていた。
「色々なファンの人がいるからね」と。
だからこそ、似たようなシチュエーションでありがちな絡みでも決して手を抜かず全力でこなすと作品にバラつきがなくなり、ファンは離れない。
今作で五十嵐が手に入れた(提示した)のは、この目に見えない、今後も女優を続けるための持続力なのかもしれない。これはとても大きな収穫だと思う。

一方、ユーザーの性癖は皆、似通っているケースともいえるし、千差万別である事実。完成度を超えた好みというやつだ。

そうなると今作を絶賛するファンもいるはず。冒頭の会話のスムーズさ、ドラマに沿った絡みの緩急など五十嵐なつのドラマ女優の適正が確認できた作品でもあったからだ。
巻き戻すのが冒頭のドラマシーンや都会に出ても忘れられない人がいる健気な表情というのは少し寂しいが。

考え方次第では今作まで、それこそ好みはあれど、すべての作品で水準以上アベレージを保ち、SNS、配信、イベント、8woman選出と結果を残して意欲的だ。
私もイベントで途轍もない美貌と愛嬌に触れ、サインや写真、大切な思い出も増えた。

次作はパケ写初のめっちゃ笑顔、『お姉ちゃんの無防備な誘惑に負けて即ハメしたら豹変! 誘惑パンチラ全力アピールで勃起させられまくったボク。』
とAVど真ん中のドラマもの。サンプルでも期待できた。


繰り返すが、このレビューは「好み」の問題の側面を言及した。だからこそ五十嵐なつに読んでほしいかどうか悩ましいところなのである。

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