さらば宮台真司――脱「90年代」の思想(『現代の理論』2008年新春号)

はじめに

※投げ銭用に有料記事にしています

本稿は、2008年に発売された『現代の理論』2008年新春号に掲載された文章です。なお、転載にあたっては、『虚構と虚妄の「若者のリアル」(SNS叢書3巻)』をベースにしております。

1. 臨界点

ある程度は予想し得たこととはいえ、実物を見てしまうとその危機感を強めざるを得ない――「Voice」2007年9月号における、宮台真司と石原慎太郎との対談、「「守るべき日本」とは何か」を読んでの私の感想である。ここで語られていることは、宮台が若年層の「現実」を、「ニート」問題とインターネットに関する問題を肴に石原に「ご注進」するものであるが、いずれも全く根拠に乏しい「お話」に過ぎないものである。

例えば「ニート」については、《彼らはただの穀潰しだと思うね。要するに、抱えている家庭に余裕がなかったらあんな存在なんて成立しえないでしょう》(注1)と俗説を述べる石原に対し、宮台は《彼らが「反社会的」であれば「穀潰し」の批判が有効ですが、「脱社会的」なのです。問われるべきは若い世代から大規模に社会性が脱落した理由です》(注2)とこれまた俗説で返す。少なくとも本田由紀などが述べているとおり(注3)「ニート」はここ数年で爆発的に増えたわけではない。また「ニート」の職業観についても、例えば太郎丸博らの研究グループは、無職者と被雇用者の意識について、前者が後者に比して「一生の仕事をできるだけ早く見つけるべきだ」と考えるものが多いことを示しており(注4)、宮台の言うように、「ニート」と呼ばれるものたちが、そもそも上の世代に比して職業観そのものを共有していない、という批判はどう見ても成り立ちにくい。

また、多くのジャーナリストなどが記述しているとおり、少なくとも1985年の労働者派遣法の制定や、あるいは1995年の日経連(当時)の『新時代の「日本的経営」』が発表されて以降の我が国における労働環境の破壊は、明らかに「ニート」問題のかなり強い要因となっている。このような視点が既に多くの人によって提示されているにもかかわらず、今なお宮台は、青少年の精神、あるいは生活環境が問題だ(現に宮台と石原は、かつてのような「木密地域」がなくなったことが青少年問題の大きな原因であることについて合意している)、といっているのだ。

インターネットについての話はそれに輪をかけて滑稽である。宮台はオンライン上のゲームの一種である「セカンドライフ」を採り上げ、現実で成功できなくともそこで成功し、それで生活している「ニート」の若年が「いる」ことを指摘し、若年層から社会性が脱落していくこの社会において、そのような傾向は増えていくだろう、と指摘している。しかし、現実的に見ればこのような事例は極めてまれであり、社会的な事象全体を語ることはできないのではないか。

私はこの対談をブログ上で批判したが、これ以外にも、近年の宮台の言説においては、例えば2005年の衆院選の結果について、さも小泉純一郎のポピュリズムに動員された若年層が自民党の対象という結果をもたらしたかのように述べていたり(注5)、あるいは宮台の弟子にあたる鈴木弘輝、堀内進之介との鼎談(注6)においては、明確に自らの世代の権益を守るためのエリート教育の必要性を説いていたりと、かなり「保身」の色が強くなっているように見える。極めつけは、本田透やさらにその下の世代の「オタク」を批判する種々の論考で、その中でも宮台と宮台の仮想人格の少女「ミュウコ」との仮想対談(注7)においては、「オタク」論の名を借りた、ある年代以降の「オタク」に対する罵詈雑言集としか言いようがないものとなっている。

2. 主張

とはいえ、宮台の主張の根幹は、宮台がアカデミックな場を離れて、マーケティングやフィールドワークで活躍し始めた頃の著作と比較して、ほとんど変わっていない。例えば、1994年の『制服少女たちの選択』においては、当時から話題となっていた「ブルセラ」女子高生の行動の分析について、彼女たちが一部では道徳的な振る舞いを見せるにもかかわらず、それこそ「ブルセラ」やのちの「援助交際」のような逸脱的な行動をとってしまうのは、上の世代が道徳的だったからでなく、単に「世間」に縛られていたに過ぎず、その「世間」が解体されている故、彼女たちがそのような行動をとる、という見方(注8)は、1998年頃より宮台が連呼するようになる「脱社会的存在」(後述)なる言葉のルーツとなっているという見方もできなくもない。

ただし、当時と現在で根本的に違うのは、当時の言説においては、曲がりなりにも、宮台が主張することについて、漫画のようなテクストや、あるいはフィールドワークの事例などといったように、定量的、ないし定性的な根拠が示されていたことだ。とすると、私が問題にすべきなのは、当時から現在に至るまで、宮台の主張のどこが変わったか、という点よりも、元から宮台の根幹にあった主張の「使われ方」がどのように変わったか、ということと、その間に宮台に新たに加わったものは何か、ということを検討した方が有益であるように思われる。

3. 運動

それでは果たして、この間に、宮台に何があったのか。

冷戦体制崩壊後の我が国の「論壇」で起こったことは、「今時の若者」を肴に「「戦後」の悪弊」だの「後期近代」を語ることの流行であった。「冷戦」が崩壊して、それに取って代わられたものが、「オウム」や「酒鬼薔薇聖斗」を代表とする「若者」であり、なぜこのような「若者」が生まれてしまったのか、ということをめぐる解釈合戦が、左右対立となった。

宮台は、間違いなくその中のメインストリームに存在しており、そして宮台の言説が「左派」の代表的なものとなった。そして、その対極が「新しい歴史教科書をつくる会」(=「右派」)であったのは間違いないだろう。この当時の「左右対立」は、「今時の若者」の「異常行動」を、近代の学校システムの息苦しさから来るものと捉え、「学校化社会」の解体を目指した宮台のような存在が「左派」であり、他方、「今時の若者」の「異常行動」を戦後民主主義教育システムの生み出したなれの果てと捉え、「自虐史観」の克服により秩序を取り戻そうとした、「つくる会」や小林よしのりのような勢力が「右派」となった。

宮台の一つの転機として見逃せないのが、オウム真理教の事件に対する「回答」として出された、『終わりなき日常を生きろ』(1995年、文庫版は1998年)だろう。宮台はこの著作において、「オウム」と当時の「女子高生」を対置させ、後者に「終わりなき日常」を過ごすための「知恵」を見いだし、年長世代に対する退場を促していた。

「永久に輝きを失った世界」のなかで、「将来にわたって輝くことのありえない自分」を抱えながら、そこそこ腐らずに「まったりと」生きていくこと。そんなふうに生きられる知恵を見つけることこそが、必要なのではないか。……どうせ「まぶしい輝き」が必要な年寄りは、消えていくしかないんだから。(注9)

この頃より、宮台の言説は、それまでのほぼ正当に社会学の手法に従っていたものが、何らかの理想――偶像といってもいいかもしれないが――を掲げ、何らかの「生き方」を示し、そしてその実現のために倒すべき「敵」もまた同定する、という手法がとられるようになった。要するに、宮台の言説が「運動」へと変貌したのだ。

この傾向は、「酒鬼薔薇聖斗」事件以降加速するようになる。手短に説明すると、「酒鬼薔薇聖斗」事件直後の宮台は、この犯人の犯行声明における「透明な存在」なる言葉に共感する子供たちが多かったことから、事態はもはや危機的であるとし、そしてこれを《千載一遇のサルベージチャンス》(注10)として、早急に学校の「解体」や、「専業主婦廃止論」などの抜本的な改革を進めるべきだとした。

この時期の宮台の言説が「リベラル」に見えてしまうのは、既に当時から、この項で述べたような、「左右対立=「今時の若者」をめぐる解釈合戦」という構造ができあがっており、宮台は(典型的な)通俗的青少年言説の発信者としての「右派=保守オヤジ」をしきりに攻撃していたからであろう。だが、それはあくまでも「解釈」をめぐる対立であって、若年層の「異常性」についてはそれを否定する向きはなかった。「酒鬼薔薇聖斗」事件についても、犯人が青年だったらそれほど問題にはならなかったのではないか、と正しく述べていたのはせいぜい内藤朝雄くらいで、そして今に至るまで、宮台を含め、当時熱心に「教育」やら「青少年の現実」やらを語っていたものたちは、そのことを正しく認識するに至っていない。

4. 俗流化

さて、2008年、黒磯での事件を皮切りに、宮台をはじめとする「左派」言説は構造転換を迎えることとなる。この時期より、宮台は、「酒鬼薔薇聖斗」に共感した一部の少年の中には、人を殺すという所業そのものに共感を示すものがいると突如として喧伝した。そして、当時の子供たちの中に、もはや大人たちの想定するような「社会」を生きていないものが多数存在し(注11)、その中の一部が犯罪を起こしても日本は大変なことになる、とあおり立てた。具体的には、《自動販売機でコーヒー飲料を買いに行くような、あるいは煙草を買いに行くような気楽さで人を殺すような少年たちも、一部には出てきているわけです》(注12)という表現で、当時の子供たちの「不可解」さを煽るようになったのだ。そしてそこでキーワードになったのが、「脱社会的存在」なるフレーズである。

もちろん、過去の事例にあたれば、もし現在起これば宮台は「脱社会的」な犯罪とラベリングするだろう、という事件はいくらでもあり、またこのあと「脱社会的」な少年犯罪が頻発したという事実もない(少なくとも、殺人による少年の検挙人員数は、当時から今までほとんど横ばいである)。然るに宮台は、「脱社会的存在」なる概念を喧伝することによって、それまで若年層に対するイメージを「救済すべき対象」から「社会を脅かす存在」に急転させた。

もとより、オウム事件より宮台が擁護していたのは、「オウム信者」という記号に対置させた「女子高生」という「記号」に過ぎず、個々の事例や信頼性の高い統計データから得られた「実像」――それは初期の宮台の強みだったはずだ――ではなかった。「脱社会的存在」概念の創生によって、宮台が若年層に対する理解可能性を簡単に捨てることができたのも、結局は宮台が擁護していたもの、あるいは問題点を指摘していたものの実体がなかったからに他ならない。

「酒鬼薔薇聖斗」事件以降の宮台の教育言説においても、その暴力性の一端を垣間見ることができる。宮台の教育言説は、ただ「「酒鬼薔薇聖斗」に共感する(危険な)青年の救済」のみを目的としており、それによって行なわれようとしている「教育改革」なるものが、他の社会システムにもたらす影響が忖度された形跡はない。

宮台は、青少年の「理解者」として振る舞ったつもりであろうが、その実は、世間やマスコミに対して、危機的な青少年のイメージを与えていたという点においては、むしろ「新しい歴史教科書をつくる会」のような俗流右派よりも罪が大きいのではないか。そのような宮台が、「脱社会的存在」なる概念を創生して、「社会防衛」に向かったのは必然といえよう。

要するに、宮台の青少年言説は、「オウム信者」に対比して「女子高生」を語っていた時点から、「俗流化」に火が付き、「脱社会的存在」概念の創生によりそれが確定したものとなった。

宮台については、例えば2003年の大塚英志との対談で宮台の「まったり革命」の失敗を明言し「天皇制」を掲げたときや(注13)、などに左派から保守に「転向」したとするような向きが強い。だが、少なくとも私にとってすれば、宮台の「転向」は、1998年、すなわち「脱社会的存在」概念の創生であり、その基礎はオウム事件に関する言説の中で築かれていったのだ。近年になって宮台が振りかざすようになっている「天皇制」だの「亜細亜主義」だのといった概念は、後述するが、「脱社会的存在」なる言葉に代表される青少年に対する認識から派生した、空疎な運動のスローガンに他ならないのだ。

5. ニセ科学

2001年から2004年頃までは、アメリカでの同時多発テロを発端とする外交政策の問い直しの他、憲法をめぐる問題にコミットしたり、あるいは映画評などのサブカルチャーの分野に専念したりと、青少年言説はあまり展開していない。が、宮台は2003年に博報堂の広報誌に掲載された「動物化する20代を人間に戻す時が来た」において、当時(≒現代)の若年層の生き方に対し、《人間の尊厳を捨てています》《ネタ(戯れ)とベタ(ひねりナシ)の区別が付かず、すべてベタに受け取る輩がたくさんいます》(注14)と批判している。しかしその根拠となる事例や調査が提示されているわけでもなく、ただ印象論を述べているばかりである。また、大衆、特に若年層に、自らの戦略の意図――「あえてする」態度――が伝わらなくなった、と嘆くのは、この時期の宮台の言説において少なくない分量を占めている。

そのほかにも、若年層の「生活世界」が崩壊し、若年層において異質なものに対する耐性がなくなり、あるいは教養の底が薄くなったと述べるのも、この時期の宮台においてはもはや日常茶飯事である。例えば、宮崎哲弥との対談においては、若年層において個室化が進んだせいで、頭のおかしい学生が急増したとか(注15)、あるいは宮崎の、現代の若年層がIT化によってものを考えなくなっていると考えるのは間違っていないか、という批判に対し、《感情的要因が絡んだ途端、ショートカットを起こしてコミュニケーションを台無しにする輩が増えた。「旧社会」の賢者なら感情的になったフリをして相手からゲインを引き出すのに、「新社会」の馬鹿は、感情的ショートカットで「気分スッキリで、墓穴を掘る」》(注16)と根拠もなく述べている。さらにそこから先の総選挙の「分析」にまで飛躍しているのが、何ともこの時期の宮台らしいところだ。

また鈴木弘輝、堀内進之介との鼎談『幸福論』の第1章においては、現代の若年層は、偏差値70以上の学生ですら学力は落ち、「人間力」なるものに至ってはさらにすごい勢いで落ちている、と述べているが(注17)、それを示すデータを宮台は示していない。ただ、自分のような育ち方をしなかったからだ、という一点張りである。そのほかにも、若年層の社会認識や、「オタク」についての俗説が余りにも多いのだが、それについて言及するのは省略しよう。

それでは、なぜ、宮台はこのようになってしまい、また、それにもかかわらず、今なお一部において支持を集めているのか。

近年菊池誠や田崎晴明、左巻健男らによって、「ニセ科学」に対する警戒の啓発と、疑うための啓蒙が進められている。これをめぐる言説は、なぜ宮台の言説が今なお一部において広い支持を集めているのか、ということを考える上で重要である。というのも、宮台の言説が無批判に受容される構造が、それこそ「ゲーム脳」や「水からの伝言」などといった「ニセ科学」が受容される構造に余りにも似通っていると私は見るからだ。

菊池は、「ニセ科学入門」と題された文章で、なぜ人は「ニセ科学」を信じるのか、ということについて、以下のように述べる。少々長くなるが引用しよう。曰く、

ニセ科学はどうか。プラスは悪く、マイナスはよいだとか、A型は几帳面だとか(略)とにかく小気味よくものごとに白黒をつけてくれる。この思い切りのよさは、決して本当の科学には期待できないものであるが、しかしそれこそが科学に期待されるものなのに違いない。「科学らしさ」に加えて、ニセ科学が受け入れられるもうひとつの理由として、「願望充足」を挙げておく。ニセ科学は、信じたいと願っていることを提示してくれる。一部の人にとっては「信じたい」と「信じる」がほぼイコールなのだろう。それは一種のニューエイジ思想だが、そこから市民運動とニセ科学の結びつきが生じる。(略)イデオロギーに合う説だけを受け入れるなら冒頭にも書いたようにルイセンコ事件の縮小再生産版みたいなものである。(注18)

この文章が扱っているのはあくまでも自然科学の分野での「ニセ科学」であるが、それを信じる構造については共通のものであろう。

また、宮台の言動を正当化するものとして、宮台は「あえて」やっている、という断りがある。だが、少なくとも私が見る限りでは、例えば「天皇制」や「亜細亜主義」などといった政治的な領域や、あるいは教育におけるパターナリズムの肯定などは「あえて」やっている可能性があるが、宮台の青少年言説の根幹を支えているような認識は、かなり確固としたものとしか言い様がない。それどころか、「脱社会的存在」という言葉に代表されるような宮台の青少年認識が、このような政治的なスローガンの根底を支える認識にすらなっている。

このような「ソーシャル・デザイナー」――宮台がよく用いる自称である――が手段として目指すのは、必然と「教育」となる。若年層における「問題」を勝手に規定し、そして自らの都合を押し通すためには「教育」を操縦することが最も適切だからだ(現に、『幸福論』では、パターナリズムを「あえて」肯定することにより若年層を正しく導くための教育プログラムの構築の必要性が訴えられている)。だが、「教育」による若年層の「矯正」だけで種々の青少年問題を解決できる、と考えるのはもはや夢想に過ぎない(そのような夢想をいまだに引きずっているのが、宮台であり、また教科書問題にこだわる一部の「保守」論壇人である)。

宮台は、間違いなく90年代中盤から現在に至るまでの青少年言説の先頭に立ってきた。然るに、その言説の内実は、少なくとも事実との整合性や根拠の強さという視点から見れば所詮は単なる「お話」に過ぎないものであった。ここ数年、青少年に関して実証的な視点からの研究が多く行なわれていたり、あるいは不利な状況におかれている当事者が声を上げるようになった。若年層の表層的なイメージを増幅して「運動」を煽ってきた宮台は、間違いなく退場しなければならないはずである。

若年層を事実に基づかないイデオロギーでもって解釈合戦を繰り広げることにより、結果として真に解決すべき課題の解決を後回しにしてしまうようなことが繰り広げられたのが、まさに90年代後半の若者論の状況であった。そしてその場だけの「癒し」に過ぎない「未来のヴィジョン」なるものを示さなければならない、と主張するものは、一部ではあるがまだ存在する。だが事態が混迷している状況であればこそ、まず事実に根ざした批判こそが必要なのではないか。

結語――葬送

「酒鬼薔薇聖斗」事件より10年が経過した。その前年にあたる2006年、「つくる会」は、西尾幹二の一派と八木秀次の一派に分裂し、そもそもその前から小林よしのりや西部邁らが離反し、「保守」派は分裂の様相を呈しつつある(とはいえ、「今時の若者」を肴に「戦後民主主義の堕落」だの「愛国心」だのを語るという姿勢だけは共通しているが)。そして宮台はというと、いまだに若者論の分野で少なくない影響力を持ち続けており、そして東京都の青少年問題協議会の委員として、石原と対談し、それが雑誌に載るくらいの勢力を持ち続けている。宮台は明らかに、この分野では(こういう表現を使っていいのかとは思うが)「勝ち組」である。

だが、本田由紀や湯浅誠などが正しく指摘するまで、若年層の「格差」や貧困をめぐる問題は、長らく若者論という領域に押しとどめられていた。宮台の影響を強く受けている論者(『「つながり」という危うい快楽』(筑摩書房)の速水由紀子と鈴木謙介はその典型である)は、今なお「格差」は経済的な問題ではないとか、コミュニケーションの問題であるなどと能書きを垂れている。本家の宮台に至っては2007年6月の段階でもこの様である。

宮台:物理的な貧困やコミュニケーションを剥奪されたワーキングプアの問題について、構造的な問題を解決しようという議論をしている政治学者や社会学者は、思想を問わずほとんどいないように思える。(注19)

《構造的な問題》というのはいったい何なのだろうか?少なくともそれを労働法制の問題としてみるならば、派遣法をめぐる議論で既に議論が尽くされているし、労働条件の問題であれば、雨宮処凜などが厳しく問い直している。学校から労働市場への移行であれば本田由紀などの教育社会学者の専門領域だ。平等感の喪失にしても佐藤俊樹によってつとに説明されており、コミュニケーションの問題すら湯浅誠によって整理されている。宮台の言うところの《構造的な問題》が、これらの問題ではないとしたら、行き着く先は実体とはかけ離れた「大きな物語」か、そうでなければ青少年の内面に関する問題でしかないのではなかろうか。

宮台は、オウム事件や「援助交際」をめぐる言説によって、青少年の「理解者」としての支持を集め、中高年世代に敵対する存在として振る舞ってきた。さらに「酒鬼薔薇聖斗」事件以降は、その「理解者」としての立場を、自らの理想とする「教育改革」のために「利用」した。

ところが1998年以降は、その地位をさらに「利用」して、青少年に対する巷の不安をさらに強い不安に置き換えつつ、他方ではそのニセ科学的とでも言うべき手法でもって権力に迎合し、また青少年言説や青少年政策において今なお弱くない影響力を持ち続けている。
だからこそ、宮台は批判されなければならない。彼の言説と客観的な事実との乖離の進行、そしてそれを「あえて」なる言葉で巧みに避け続ける彼の言説の不毛を。

そして、我々はこういわなければならない。

さらば、宮台真司。

謝辞

この文章は、筆者が本稿の冒頭で採り上げた宮台真司と石原慎太郎の対談を読み、宮台の青少年言説について長期的な視座に立った批判を行なったほうがいいと思い執筆したものである。そして、この原稿をいくつかの雑誌や編集者に送ったが、その中でも、「現代の理論」編集部の大野隆氏に、本稿を掲載したいとの連絡があった。私が身勝手にも投稿した文章に興味を示していただき、このように掲載の場を与えてくださった大野氏に感謝した。
また、本稿について重要なアドバイスをくださった、安原宏美、河村信(以上、フリー)、大内悟史(朝日新聞社)、岸山征寛(角川書店)の各氏にも、この場を借りてお礼を申し上げたい。

なお筆者は、宮台も含めた、1990年代中頃から現在に至るまでの青少年論者の言説を検証する本を執筆中であり、2008年初夏頃に角川書店より刊行する予定である(注20)。

1.宮台真司、石原慎太郎「「守るべき日本」とは何か」、(「Voice」2007年9月号、pp.80-89)p.80、PHP研究所、2007年8月
2.宮台、石原、前掲pp.80
3.本田由紀ほか『「ニート」って言うな!』光文社新書、2006年1月
4.亀山俊朗「フリーターの労働観 若者の労働観は未成熟か」、太郎丸博(編)『フリーターとニートの社会学』社会思想社、pp.144-167、2006年12月
5.宮台真司「ねじれた社会の現状と目指すべき第三の道」、(『バックラッシュ!』双風舎、pp.10-99)p.18、2006年6月
6.宮台真司、鈴木弘輝、堀内進之介『幸福論』NHKブックス、2007年3月
7.http://www.miyadai.com/index.php?itemid=360 など
8.宮台真司『制服少女たちの選択』朝日文庫、第2章、2006年12月、原著: 1994年11月
9.宮台真司『終わりなき日常を生きろ』ちくま文庫、pp.173-174、1998年3月、原著: 1995年7月
10.宮台真司『まぼろしの郊外』朝日文庫、p.264、2000年3月、原著: 1997年11月
11.宮台『終わりなき日常を生きろ』文庫版あとがき
12.宮台真司、藤井誠二『「脱社会化」と少年犯罪』創出版、p.7、2001年7月
13.宮台真司、大塚英志「歴史を忘却する装置としての象徴天皇制」、「新現実」第2号、pp.2-31、2003年3月
14.宮台真司「動物化する20代を人間に戻す時が来た」、(宮台真司『宮台真司interviews』世界書院、pp.321-323)pp.321-322、2005年2月、初出: 2003年4月
15.宮台真司、宮崎哲弥『M2 思考のロバストネス』インフォバーン、pp.138-159、2006年1月
16.宮台真司、宮崎哲弥『M2 ナショナリズムの作法』インフォバーン、pp.83-85、2007年4月
17.宮台、鈴木、堀内『幸福論』pp.35
18.http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/nisekagaku/nisekagaku_nyumon.html
19.http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20070731-01-0901.html
20. 『おまえが若者を語るな!』角川Oneテーマ21、2008年。

ここから先は

0字

¥ 100

期間限定!PayPayで支払うと抽選でお得

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?