浅い眠りの束の間の感傷にも似た振り返りと未来

言葉を書きたいと思うのは突然で、わたしの場合は感情が高まった時に起こる衝動だと思う。

これまでは恋愛で揺さぶられた感情の整理とか昇華の手段の一つ、そして覚書として書き留めた事しかなかったのだが、やっと違う事について、そして久々に何か言葉を書き留めたいという衝動がやってきた。

己れの変化の時、を感じる。

久々だからか、違うテーマだからか、思うようにスラスラと言葉が出てこない。

今日は奇跡の3人で夕食を共にした。奇跡の3人とは、よく顔を合わせるが個人として深く語り合ったことのない、Yという憧れの素敵なお姉さんと、Kという例え話の上手な、柔らかいものいいの男性で、一同に会する機会が思いもよらずやっと訪れたので、機が熟して奇跡的だと感じたことからそう話して笑い合った。

その同席した2人に、なんか安定したね!
と言われたことが今日の衝動のきっかけだ。
そしてそれは私にとっては大きな変化で、自分自身では気付き様のなかった新鮮な出来事で、よく噛み砕いて素通りしてはならない出来事だと思った。

この街に来てからもうすぐ丸2年が経つ。仕事も拠点も転々としてきた人生の中では、割と長く深く居させてもらっている街だ。転々としているようなわたしだから、ヤベェ奴、コワイ奴、ヘンな奴、ぶっ飛んでる奴、濃い奴、ちょっとましでも個性的な奴、という様に、それを好意的に捉えてくれる輩がいなくはなくても、これまでは異質の眼で見られることの方が多かった。他にも、不安定に見られたり、生き急いでいる様に見えると言われてきたが、真っ直ぐ生きているつもりの自分ではわかりようがなかったので、主観と客観の差には、時には病院や専門家に頼るほど悩まされてきた。しかしながら、悩むと同時にそんな自分を嫌ってもいなかった。そもそも一風変わった人に興味を持つことが多い。ヤバい奴万歳!

それが周りから、安定したね!と言われたのだ。以前はヤバかったけど安定したね!と言われたのだ。わたしにとっては事件だった。どうヤバかったのかは具体的に聞きそびれたが、変わったように見える訳は何かと聞いてみたら、仕事だった。

仕事が続いている。年齢にしては今の飲食の仕事はどちらも1年以上と経験は浅い。もっと長く続けた仕事だってある。今の仕事では、失敗して怒られる事も、逃げそうになった事も、頭を冷やすまで来なくていいと言われた事もあり、またアルバイトで低収入な事から、この先の生活の為にこのままではいけないとは思いながらも、ステップアップのための転職の青写真がうまく描けず、悩み焦っていた。ただ、今の仕事が続いているのは、単純に愛を以って大事に育ててもらっているからだ。

それが、仲間の安定したね!の一言で、もう少しこのままやろう!と腑に落ちたのだ。もちろん、ただ居るだけではなく、できることを増やして力を高めようとの意欲を持って。しばらく悩み、考え続けた人生の重要なテーマの1つに、当面の答が降って来た。答というものはいつも突然やって来るように感じるけれど、向き合ってきた結果だ。

いつも通りだが、お酒を飲んでいるので数時間眠って目が覚めた。そしたら何故だか急に、死ぬ時にはあっという間の人生だったと思う気がして怖かった。それくらい今日の出来事と感情は、印象的な出来事だった。もうすぐ丸2年を迎えるこの街の暮らしが気に入っている。心を許せる友だちも増え、いじられキャラ故のディスりも減り、自分に対する悪い話よりも良い話を聞くことの方が増えてきた。今はのびのびと安心して暮らしている毎日が楽しい。寂しい時も嫌な時も心を病む時もあったけれど、それを越えて過ごしてきたこの2年が心底愛おしい。死ぬ前には、このどうしようもなく愛おしい気持ちを覚えていられるだろうか?

感情、特にネガティブな感情に心を痛めて浸ることを感傷と呼ぶが、最愛の人に、わたしはすぐに感傷するとか、感傷は悪だと否定的によく言われる。それをわかるようでわからないでいた。忘れる事に対する恐怖心が強くて過去思考なのは事実だから、彼にとって感傷に見えるのだろう。しかしながら、わたしにとってはネガもポジも新たな出来事を噛み砕き、振り返り、感情を味わい、紐解き、未来に繋げる為に必要な過程なのだと今日確かに理解した。

さて、眠ろう。