現職の施設では京都新聞をとっています。
これはもちんご利用のために取られている新聞なんですが、バラバラにならないように、ホッチキスとめて、新聞を読むであろご利用者のところに持っていきます。
しかし、その夕刊は前日のものでしたので、廃棄の新聞を置いているところに持っていくために、そのへんにおいてありました。
そしてなんとなく、新聞を見ると「現代のことば」というコラム欄が目に止まりました。
読み始めた時は、「末っ子あるあるだ!」と思いどんどん読み始めました。
私は2人きょうだいなんですが、兄の育児記録はすべて、びっちり記載されていましたが、私のときは歯抜けで記録されており、その記録も「〇〇(兄)のやきもちが強くなったので、〇〇公園にお出かけしました」と、兄の記録でした(笑)。
アルバムも5歳ごろまでで、兄は2冊のアルバムの写真があり、私は1冊しかなく、写真もほぼ兄と写っています。
そして、齋藤亜矢さんのように、母に抗議したことがあります。
私の母も、齋藤亜矢さんのような返答だったように思います。
今思えば、近くに頼れる親や親戚もおらず、今で言うワンオペで2歳差の子供の育児をしていれば、私の育児記録を書く時間なんてなかったと思います。
それでも、私用の育児日記やアルバムを用意して、兄と同じようにしようと思って、できなかった母が一番後悔しているかもしれません。
私の抗議は、当時の母をとても悲しませたのかもしれませんね。
さて、コラムの話に戻りますが、齋藤亜矢さんが本を出刊したことをきっかけに、お母様と齋藤亜矢さんに当時の記憶がよみがえったんですね。
当時本を読むことが難しくなっていたお母様が、ふと読んだ内容でこの記憶が蘇って、抗議されたときは「3人も育てていたらこんなものよ」と、言っただけでした。
でも、その時の出来事もご自身の思いも不安も、日記に残していたことを思い出されたんですね。
そして、娘の齋藤亜矢さんに伝えなければと思われたんですかね。
「丈夫に育ってくれてありがとうネ」
そして、そのことからお母様が、自身の本を読んでくれたんだと、理解されるという、母子手帳の記録の出来事を知る、お2人にしかわからないやりとりですが、とても素敵なお話ですね。
また、すべての光景を思い浮かべることとができる文章や、感じとひらがなのバランスなど、とても勉強になるものでした。
こんな文章がかけるように、勉強しづづけたいと思います。
そして、私と母のエピソードも、齋藤さんのような素敵な文章で綴ることができる日が来ますように。