映画「オッペンハイマー 」と日本の戦後
映画「オッペンハイマー 」を是非日本で上映して欲しいと願っています。2006年にピューリッツァー賞を受賞した、カイ・バード氏の「オッペンハイマー 、原爆の父とよばれた男の栄光と悲劇」がこの映画のタネ本なので、本の内容が正確に描かれているか否か検証し、更に、戦後、オッペンハイマーがなぜアメリカ政府から弾劾されたのかを知らなければなりません。残念なことに、この翻訳された書籍は今では絶版となっていて、現在は、アメリカで出版された「American Prometheus: The Triumph and Tragedy of J. Robert Oppenheimer」しか手に入りません。邦訳本の再販が望まれます。
以下は、著書「オッペンハイマー」に書かれている内容からは少し逸れますが、原爆投下と戦後のアメリカ軍による日本の統治について、私見を述べてみたいと思います。
真珠湾攻撃の報復として、既に降伏がほぼ決まっていた日本に、原爆を落とした目的は二つあると考えます。一つ目は、実際に人類初の原爆の威力を確かめ、更に、投下後の人体に及ぼす放射線障害の程度を検証する。二つ目は、ソ連を威嚇する目的がありました。
1945年7月の時点で、アメリカでは、原子爆弾は4つ製造されていました。1つは日本に落とす3週間前にトリニティ (プルトニウム型) をニューメキシコで実験、2つは日本の広島 (ウラニウム型)と長崎 (プルトニウム型) に落とし、最後の1つは、もし日本が降伏しなければ追加で落とす予定だったと言われています。4つ目の原爆の目標地点は、文化が集積していた、京都だったと思います。京都をアメリカが守ってくれたと考えるのは早計でしょう。なにしろ、初めから、京都が数少ない目標地点の一つに入っていました。オッペンハイマーは、原爆投下後、倫理感に苛まれ、主に水原の製造に反対したことにより、1954年4月12日に、事実上の公職追放の処分を受けました。
現在、アメリカでは、高校生に、原爆投下のおかげで戦争が早期に終結し、多数のアメリカ兵の命が救われたと教えていると聞いています。今だに、原爆投下に対し、アメリカ政府の謝罪は得られていません。オッペンハイマーが、原爆投下後に、次の水爆開発に執拗に反対した科学者の倫理観は、国民や政府に伝えられていないのが現実です。
アメリカ軍は原爆投下直後に、原爆の人体への影響を詳しく調べる目的で、原爆傷害調査委員会(ABCC)という研究機関を広島市の比治山の山頂に設立しました。ABCCが集めた被爆者の膨大な検査データは、決して被爆者治療の参考とする訳ではなく、占領中もしくは占領終了後、有用な戦略上の資料としてアメリカ本国に持ち帰られました。データ収集には、日本人の医師も多数協力しました。
現在でも、ロスアラモス国立研究所やローレンスリバモア国立研究所など全米数カ所で、莫大な予算を使い、数千人規模の研究者や職員を動員して、核兵器を研究開発していますが、手を休めることはできません。やらないと、やられるからです。同研究所では、2022年12月に史上初めて核融合反応の「点火」に成功しました。純粋な核融合爆弾製造に一方近づいた事になります。一方、日本では、「核兵器反対」と叫ぶことしか出来ません。
アメリカは、戦時に於ける米国本土の盾とするため、日本列島に、北海道から沖縄まで、130の米軍基地を設置してます。秋田県には、アジア最大の米軍情報収集基地である三沢安全保障センターがあります。このような多数の米軍基地を抱える敗戦国は、世界でも日本とドイツぐらいでしょう。フィリピンは敗戦国ではありませんが、つい最近、国から米軍基地を排除しました。
日本は、アメリカのみに頼らず、ヨーロッパの先進国と同様に、ある程度、自国で領土保全が可能になる道を模索せねばなりません。それには、外交努力と、国民全体の意識向上が必要不可欠です。今後公開される可能性がある映画「オッペンハイマー」が、単なる娯楽の粋を越えて、人々が日本の安全保障に目を向ける契機となることが期待されます。
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