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努力は裏切る

こんばんは!
今年も残りわずかですね。
ここ最近、ラクロスのシーズンが進み他の大学を見渡すと、最終戦を終えているチームも散見される状況です。そんな中でも、焦らず自分たちは目の前の置かれた状況に常に向き合い、小さなことでもできることをするだけだとつくづく感じています。
加えて、交流も深く、個人的にも刺激を与えてもらえる存在として、他大学のラクロス部の知り合い、横国野球部の引退などを見ていると自分も最後までやり切らなくてはと一層強い覚悟が芽生えているこの頃です。

中学の頃の印象的なあの言葉

さて、今日は「努力」について自分なりの考えを手短に綴ります。

自分は、小学1年から高校3年まで野球をやっていました。

上の写真は中学生の頃の写真で、サムネイルの写真は高校の最後の大会の開会式で中学の頃のチームメイトと撮った写真です。

中学の頃はシニアリーグと呼ばれる、中学硬式のクラブチームに属していました。一応、2年生の時に全国大会に出場しベンチにも入らせてもらいましたが、大した活躍ができず、チームに貢献できずに悔しい想いをした記憶しかありません。非常に練習がきつく、人生の中でもう一度やれと言われたら確実に真っ先に戻りたくないという時期です(笑)


野球の話はまたいつかするとして、当時のコーチに言われた言葉で非常に今でも記憶に残っている印象的な言葉があります。

努力は裏切る

当時中学生の自分には深い考えも無く、「努力」とはそういうものなのかと大した考えも無く、寒いグラウンドで「早くこの話終わらないかな・・」と思いながら、いかにも理解しているかのような顔をして頷いていた気がします。すみません。

ただ、その言葉には続きがありました。

努力は裏切る。但し、成功する可能性を必ず上げてくれる。

前句のパワーワードの悲観的な印象とは裏腹に、一気に自分の何かが奮い立たされたような気がした瞬間でした。

可能性を上げる

中学生の自分たちに対してなら、本来傾聴しやすい「もっと頑張れ」とか「もっと努力しろ」という言葉をかける大人が多いのではないかと感じます。ただ、そのコーチは当時10代半ばの自分たちに対して上記のような言葉をかけてくれました。

浅はかな「頑張れ」という言葉などより、非常に説得力があり理解しやすい、納得のいく言葉であったなと感じ、今でも強く印象に残っています。

「努力は必ず報われる」という考えを前提とする時、報われなかった時の感情は主に2つに分かれるのではないかと思います。

①報われる(成功する)ほど努力が足りなかった
②いくら努力しても報われない

①の感情を抱く人の場合、失敗や挫折のような壁が次の結果に対する努力の源泉となる、七転び八起き型の人間なので、努力が報われない経験は一層励みになるでしょう。

一方で、②の感情を抱くことが多い人の場合
「どーせ努力しても、うまくいかない」と物事に取り組む前に「努力の諦め」が習慣になってしまう可能性があります。
このケースの場合、努力が報われない経験以降の行動において、努力する機会や動機づけが困難になると思います。

②のような場合こそ、「努力は報われる」ではなく、「努力は可能性を必ず上げてくれる」という考え方をすることで、自身の報われなかった経験すらも「努力して頑張らなかったときよりも成功への可能性はあがったはず!」と受け入れることが可能になります。
そして、その経験以降の一層大きなチャンスに向けて前進することができると僕は考えます。

どれほど努力しても報われない瞬間はある。この経験も今までの人生の中でたくさんしてきた分、この言葉はいま回顧しても非常に納得がいく信頼のある言葉だと感じます。

部活動に取り組めるのも、学生として過ごすことができる期間もゴールテープが見えてきました。

限られた時間の中で、未来の結果に対する「可能性」を少しでもあげられるように、その姿勢を貫いてやっていきます!


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