理知を継ぐ者(62) 正義とは④
こんばんは、カズノです。
【遠山の金さん】
正義には二流と一流がある、一流の正義は笑顔を生む。これが橋本の「正義」観です。
そんな橋本が『チャンバラ講座』でもっとも力を入れている箇所(とおれには思える箇所)は、まあいくつもあるんですが、今の話題に調度いいのはこれです。『遠山の金さん』のエピソードです。
たいていのチャンバラ時代劇は、たいてい最後はチャンバラで終わります。悪の巣窟に正義の味方が乗り込んでいって、「やはり貴様ら、このような悪事を働いていたか! 許せん!」「月にかわってお仕置きよ!」とばかりに、ケンカ勝負になだれ込みます。なだれ込んで、ばったばったと○○剣法、ライダーキックでなぎ倒し、悪人は滅んで一件落着と相成ります。
そんな展開は今のヒーロー/ヒロインものと同じですし、こういった「悪事露見」「証拠の差し押さえ」シーンは『遠山の金さん』シリーズでも定番なんですが、けれど、このあとが『金さん』シリーズにはあります。
そのように「証拠の差し押さえ」を済ませたあとに裁判が始まります。
『金さん』シリーズは、腕力だのみのケンカ勝負ではなく、裁判という議論で決着をつけるんですね。
悪の巣窟からまんま連行してきたのに、あくまでシラを切ろうとする連中に、なんとか真実を述べさせ、改心させようと金さんは問い質します。
そんな下っ端をトカゲの尻尾切りにしようとしている悪の首魁──金さんより上役の政府高官なのがたいていですが、彼らを前にして、天下の御政道を任された人格者がこれでよいのかと説教をします。もちろん舞台は江戸期ですから、上役への説教などもってのほか、炎上どころか切腹覚悟です。
それが金さんだし、金さんの裁判です。
【言葉によるチャンバラ】
この遠山金四郎の裁きを、橋本は「言葉によるチャンバラ」だと言います。チャンバラ=刀を振り回す斬り合いは、切った張ったの真剣勝負ですが──つまり相手を殺してでも正義をなす所業ですが、金さんがしているのは「言葉によるチャンバラ」だと。
その「言葉によるチャンバラ」もまた真剣勝負なのだと橋本は言います。そこらへんの解説は『チャンバラ講座』に譲るとして、おれが興味を持ったのは、「言葉によるチャンバラなら誰も死なない」ということです。
つまり言葉によるチャンバラに負けても、その悪人はまだ生きているのだから、改心する機会があります。改心すれば、「あのとき金四郎に(言葉で)斬られてよかった。自分はこのように間違っていた。金四郎は、なんて嬉しいことをしてくれたんだろう」と思うかも知れません。思って、自分に苦笑し、金四郎にほくそ笑むかも知れません。「…まったく金四郎はたいしたやつだ、(それに比べて、まったくおれはダメダメだったなあ)、くっはっは」など。
まあ実際に、そういう展開を匂わせる作品も当時の金さん時代劇にはあるのですが、これが一流の正義です。だってみんな笑っているのだから。
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ケンカや戦争と違って、議論にはこういうことが出来ます、とは言いません。すでに議論/抗議が人を社会的に抹殺する、場合によっては本当に自殺に追い込むようになった現在では、ペンと剣に違いはありません。
いえまあ、元々違いはないんですけどね。
ペンはペンで人を殺してきた。言葉/思考/論理/言論で他者を抹殺してきた例なら枚挙にいとまがありません。剣はペンに意見を求め、ペンは剣の在り方を元にその先を考えてきたのも世界史です。
目指しているものはいつも一緒で、だから仲がよかったんでしょうが、お互いに求めているのは「世界征服」だという点では同じです。
剣が「自分の力で世界を統一する」を目指すように、ペンも「自分の考え方によって世界を統一する」を目指す。邪魔なものは排除する。
「ペンはペンで人を殺す」、そういう理解が広まったことは人類の進歩でしょう。
じゃあせっかくなのでその先を目指しましょうと、金さんの話はそういう話になるでしょうね。
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