理知を継ぐ者(9) 続・足りなさについて①
こんばんは、カズノpub. です。
【まえがき】
大学Aの講義で、企業Bから来ていた講師Cは、「生娘をシャブ漬けにする(ような経営戦略)」という言葉を口にしたそうです。それを問題視したのが受講生Dですが、ところで、おれはこの言葉がどう問題なのか、よく分かりません。
署名用の記事や、事件の経緯詳細を読むと、どうもこの「生娘をシャブ漬けにする」には差別的だったり、ハラスメント的だったりする性格があるようです。いえ、はっきり差別またはハラスメントだったと、大学Aも企業Bも認めたらしいと理解すべきなのかも知れません。AやBが相応の対応をとると約束したのなら、やはり問題があったということなのでしょう。
だとしても、おれはこの言葉のどこがどう問題なのか、今も分かりません。なぜ分からないかを話しますね。
【意味を決めるもの】
例えば、脚本家の新井一は「セリフは嘘をつく」と言っています。
「セリフは嘘をつく」──おれなりの理解でいえば、「セリフが辞書通りの意味になるかどうかは、状況によって変わる」という意味です。
いえ、もっとちゃんと言えば、「辞書とか慣用とかに関係なく、セリフの意味は状況/関係によってのみ決まる」ということです。
新井は「嫌い」というセリフ/言葉をよく例にしていました。「嫌い」とはもちろん嫌悪を表現する単語ですが(そう辞書には書いてありますし、一般的にもそう理解/使用されてますが)、でもこの言葉が、うまくいってる恋人どうしのあいだで語られたらどうなるでしょうか。たぶんそれは「好き」の裏返しです。
男、デートに遅れてくる。
女「もう、何してたの!」
男「ごめんごめん、君にあげようと思って花を買っていて」
女、でへでへしながら花束を受けとる。
女「んもう、あなたなんて嫌いよ!」
というドラマがあったとして(我ながらベタを通りこして化石ですが。すいません)、この場合の女のセリフ「嫌いよ!」は「んもう、大好き!」の意味です。よね。
だいたいそういうことを、新井は脚本/セリフについて話すことが多いのですが、これは正しいとおれは思います。
つまり、ある単語/センテンスの意味を決めるのは「前後の文脈」だということですね。もっと言えば、単語やセンテンスじたいは実は意味を持っていない、ということです。
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