理知を継ぐ者(54) 人権と経済②
こんばんは、カズノです。
【民主政治と経済】
政治制度が民主主義の地域では、もちろん民主教育が行われます。日本もそうです。だからそこで人権思想も教わります。「公共の福祉に反しない限り、人間は自由である」というやつですね。そのような教育を受けたひとはきっと、「自分の意思に基づいた、自分の行動が、公共の福祉に反していないかどうか?(要するに他人の迷惑や不利益になっていないか?)」を考えるでしょう。
民主主義とはそもそも人を「個人」という単位で考え、その「個人の主体性」に期待している思想ですから、「公共の福祉」と同時に「主体性」も人に求めます。だから民主教育を受けている人間は、「自分はいつも主体的であるべきだ」と考えます。
今風にいえば、「みんなの迷惑にならない範囲で『自分なり』をやってく、これが大事だってことだよね」というようなことです。
まあ政治制度が民主制じゃなくても、他人のことと自分のことをきちんと考えようとするのは人類にとって本然的なものなのですが、いちおう民主主義でもここらへんのヒトに固有の本然は踏襲しているということですね。
ただ、政治制度/民主教育がそういうものだとしても、経済は関係ありません。
経済とはこの場合なら、「民主教育でみんな『自分なり』をしたがってるようだから、その『自分なり』な価値観を満足させれば儲かるんだよな」という考え方をします。「あなた自身が快適で、なおかつこんなに静音なマシンなら、周りに文句を言われるわけでもないんだから、ほら、買いましょうよ! だってそれがあなたの欲求でしょう?」という風に。
そんな商品が流通していく世間を見れば、マスコミも便乗します。「今のあなたの『自分なり』はこれです!」「これからのあなたの『自分らしさ』はこれで決まり!」「うちの雑誌を読んでしっかり学んでね!」みたいなの。
そうして雑誌の通りに真似ていれば、なんとなく自分にも「自分なり」「自分らしさ」があるような気がするし、「主体的」な気もする。いえ、主体性とは縁もゆかりもないような一時的な欲求はそれで十分に適えられる。「あたしはお笑い番組が見たいの!」という欲求は必ず通るようになっている、それが今いる環境だからです。
そういう風に、周りの環境が「本人中心に回るように整えられてしまっている」から、「民主」も「個人」も「主体性」もよく分からないまま、いつのまにか「個人」にさせられてしまったのがどうも日本人だということです。
【天動説の人】
現代人について、橋本治は「天動説の人」という言い方をしています。つまりコペルニクスやガリレオ・ガリレイが地動説を説くまで、「地面(地球)が動いているのではなく、太陽や月や星のほうが動いているのだ」と信じてきたような人たち、という意味ですね。
もっと正確にいえば、「地面が動いている」という発想そのものがなく、目の前の月や星が動いていくのを見て、「星空が動いている」と一方的に思い込んでいた人たちのことだと。
簡単に置き換えると、「現代人は、世界は自分中心に回っていると思い込んでいて、しかも、そういう自分中心の考え方に気づいていない人になっている」ということです。
「そんなことはない! 自分は自分で他人とのあいだで生きていることを分かってる!」と思う人も多いとは思いますが、そういう人を含めて「自分中心になるしかないのが今の社会」だという話をしています。
テクノロジーと経済が発達しすぎて、本人の意思があまりに通りやすくなった。つまり他人との葛藤がなくなりすぎて、ややもすると当たり前に自己中心的になってしまう──というより自己中心に「させられてしまう」のが今だということですね。
よほど注意深く自分と他人、その関係を見ていないと、いかに自分が自己中心的に振る舞っているのか気付きづらくなっている。
大事なのはそこです。
そのいい例が前に話した「被害者の自分を品性下劣に言い立てて、かえって身近な人からたしなめられた。でもそう注意してくれた相手まで言い立てていた」ですよね。
最後には自分の自己中心ぶりに気づけたので、周囲の皆さまありがとうございますでしたでしょうが、こういう在り方を、ともすると自分にさせてしまうのが今の社会です。
同じことはオンライン署名にもいえるとは、前に話しました(連載22回~)。
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現実的な反対意見に接することができないオンライン署名とは、つまり「チャンネル争い」のような、現実の葛藤を生みません。
なので「うわー! 5万人も集まった!」という一方的な自己満足/自己完結を生みかねないものです。「やっぱり私の主張は正しいんだ! やっぱ相手が間違ってるんだ!」など。それで終わってしまう可能性がある。
仮にそうならこの人は、「世界は自分を中心に動いている」の天動説の人ですよね。オンラインじゃない署名を集めてみれば99人から無視されるというのに、そうと理解していない。いえ、実際オンラインでも99人から無視されてるんですけれど。
署名サイトは「○万人から賛同されました! キャンペーン成功です!」ではなく、「○万人から賛同されましたが、○十万人からはスルーされてます…、これキャンペーン成功?」と話したほうがいい気がしますが、もちろんネットも経済の産物です。経済によって個人的欲求がそのまま通る社会環境になっている、とはこういうものも含みます。
ただ繰り返し、これは民主制においては、「そうなるべきが人間」「個人と社会の関係」なんです。なんだそうです。なにしろ「自分の意思が通らないのはおかしい! 経済、なんとかしろ!」でやってきたのが民主制先進国の欧米ですから。
欧米由来の民主主義は産業革命なしには成り立たなかったわけですが、ずいぶんと情けない「主体性」です。
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