#012_IDOL is LIFE / case.02_古川未鈴

第2弾。
今回は古川未鈴。

幼少期から踊ることが好きだった。
父親がよく聞いていたというメタルやクラシックに合わせて踊っていたという。
ちなみに、このクラシックの影響もあってか、高校時代まで吹奏楽部に所属することとなる。幼少期の音楽教育について考えさせられる。

父親が転勤族だった為、地元と呼べるような地元がなく、それ故「地元の友人」という概念も存在しない。
むしろ、引っ越すことが当たり前になっていたことで、人間関係を毎回リセットできるとすら考えていた。
そのため、毎回クラスに溶け込むことができず、馬鹿にされることでコミュニケーションを保つことをここで覚えてしまった。
※今でもでんぱ内でいじられ役なのはこの影響じゃないかと語っていた

そんな小学生時代から、PCという存在と向き合っていた。
中学に入ると、いじめられることが多くなった。
授業中や休み時間はずっと絵やポエムを書いていた。
※この時描いていた漫画の主人公のネズミを後にグッズに登場させたらしい。すごい。

それでも不登校になることはなかった。
5人しかいない吹奏楽部、そしてインターネット上のチャットが救いだったから。それがあったからこそ、逃げ道があったからこそ彼女は学校へ行くことができた。

そしてこの時出会った「SPEED」にハマったことが、アイドルになるキッカケのひとつでもあった。
初めて行ったSPEEDのライブ。

なんか、希望でしたね。「私もなれるんじゃないか」
「アイドルになったらみんなすごいと思うんじゃないか」みたいな。

そう語っていた。
プー・ルイとも近いものを感じたが、彼女もまた「見返したい」という反骨心から生まれるアイドル願望が初期衝動だったことは間違いない。

それから高校生になり、より救いを求める方向へ。
ゲームやインターネットに更にハマるようになり、学校も休みがちに。
ゲームについては、両親やおじさんがゲーム好きだった影響もあった。
そしてこの時から『ラグナロクオンライン』にハマり、完全にネットの世界の住人となっていった。※この時「最上もが」と出会っていたことは後に知る

彼女が偉かったのは、社会との接点を完全に断っていなかった事。
どこか頭の片隅にはアイドルのことがあって、それでもネトゲが楽しくてやめられなくて。
でも頭の片隅にあることで、アルバイトはずっと続けられた。
なんとなく、お金が必要だと思っていたから。
そして音楽が好きだったこともありゲーセンで音ゲーをやるようにもなっていった。

そして少しずつオタク文化への進行を深めていく。

ゲーセン仲間の薦めもあり、秋葉原のメイド喫茶で働くように。
アイドルになりたい気持ちはあったし、人前に出ることはわかっていたからいずれなれるかもしれないという気持ちとともに。

「未鈴というキャラクターがあることによって、こんなにスラスラと、冗談も交えつつしゃべれるんだ」と思って。未鈴じゃなくなったときは趣味の話しかできなくなっちゃうけど、未鈴だと何にでもなれるぞと思って。

アイドルへの憧れは強まり、モー娘。5期、AKB1期のオーディションを受けるも不合格。

メイドとしてお客さん(ファン)が少しずつ付いてくれたこともあり、路上でライブをするようになっていった。お客さんからのリクエストも多かったアニソンにどっぷりハマるキッカケでもあった。
この頃からセルフプロデュースの意識が強く、衣装なども自分で用意をしていた。

そこからついにディアステ。
歌ったり踊ったり好きならおいでよ、と誘われたのが始まり。

でも当時ディアステはアニソンを歌うことが主流だった。
古川未鈴はもふくちゃん(でんぱ組.incのP)にアイドルをやりたい、それもSPEEDのようなグループでやりたいと嘆願。
これがでんぱ組.incのはじまり。

そこからは大変だった。
不遇の時代が続いた。

メンバー全員引きこもりのだったこともあり、全員揃ってステージに立てたらすごい、みたいな底辺だった。

でんぱ組.incが変化を起こすキッカケになったのが2011年。
六本木のTSUTAYAで行われたファッションショーへの出演。
当時オタク文化に初めて触れる人も多く、電波ソングを歌うアイドルも珍しかった。「オタク、かっこいい」と言ってくれる人がいた。

そして、アイドル横丁杯でのファン投票1位、振付師yumiko先生の招致を経て少しずつ頭角を表すように。

このyumiko先生を招くエピソードもすごい。
振付師の方に来てほしくて、でもお金がなくて。
そのためにブルマ姿になって写真を売って、歌って踊ってお金を稼いだ。
もふくちゃんに「未鈴の本気を受け取った」と認めてもらい、迎え入れるように。

そして2013年のZepp Tokyo。
もふくちゃんから一人ひとりが話すコーナーを入れたいと言われた。
しかし古川未鈴はアイドルの素性に興味がなく、言う必要があるのかと考えていた。


「お涙ちょうだいみたいなのは一切いらないから、自分に言い聞かせる内容でいい」

より言いたくない気持ちはあった。
しかし、いざステージで話をしてみると、その後のファンの反応が変わった。
「僕も/私もそうだった」と言われるようになった。

もふくちゃんから言われたもう一つの言葉。

「未鈴、あんた言いたいことは全部言いなさい。それがいつか叶うから」

当時「こうなりたい」と自分から言うのは嫌いだった。
それでも「ゲームが好きです」というようになったらゲームのお仕事を貰えるようになったりと言霊の力を感じたという。

◇     ◇     ◇

ここまで振り返ってとても長くなってしまった。
オタクで引きこもりだったけれど、夢を諦めない気持ちと行動に移す姿、そして彼女自身の責任感の強さに感銘を受けた。
ファンから愛される理由もわかる。
彼女がいなければでんぱ組.incはなかったのだろう。

「ただのオタクがここまで来ましたよ」って。
「アイドルやってて良かったな」と思うんです。

でんぱ組.incを追っていたわけではないけれど、彼女の半生を振り返った後にこの言葉を聞くと、こみ上げるものがある。

そんな彼女がアイドルを続けられた理由。
それは、自らが始めた責任感と親孝行。
今まで仲があまり良くなかった両親は、でんぱ組.incのライブに招待するようになってから仲良くなってくれた。
いつか紅白にでて、親孝行したいと語っていた。

がんばれ、古川未鈴。

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