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推し文化への挑戦

※この文章は2020年11月4日に公開した文章の増補改訂版です(2023/05/26)


「推し」って言葉はAKB人気が台頭し始めたころから使われるようになったらしいけど、それがアイドルだけでなく、メイドカフェやコンセプトカフェのキャストにも使われるようになったのはいつ頃なんだろうか

これは個人的な話なんだけど、おれは飲食店のキャストを推すという文化はあんまり好きじゃない

おれにも個人的に気が合ったり、かわいいなと思うキャストはいるし、そういうコと話をするのはもちろん楽しいんだけど、なんかそういう楽しみ方に身を委ねてしまうと「店」という場を楽しむのではなく、そのキャスト「個人」と仲良くなりたい、という気持ちにスライドしちゃうんだよねぇ

それはその店・その場を盛り上げようとしているキャストのがんばり自体を否定しているような気がするんですよ。それがアイドルを推すこととキャストを推すことの最大の違いだと思う

『気絶はコンセプトカフェではない』と言い続けている理由の源流のひとつがここにあります。気絶は「場所・体験」を提供したいと思っているけどいわゆるコンカフェは「個人の魅力」を提供しようとしているように思えてならないので…。それって極論「店」はいらないじゃんって話なんだよな

気絶が目指しているのは「いつ来ても楽しく過ごせる場所」なので、特定のメイドが推されている=属人的な消費をされている状況は、店としては決して喜ばしい形ではないのです

といってもこれらはおれのこだわりだったり、気絶の方向性の話であり、特定の気絶メイドを推しているお客さんを否定しているわけではありません。ただ『誰かを推している』と表明することは『別の誰かを推していない』と宣言することとほぼ同義なので、アウトプットの仕方は配慮してほしいなあというのが、メイドをたくさん抱えている経営者としての本音ではあります

またそういう人たちに、メイド「個人」ではなく気絶という「場所」そのもののファンになってもらえるためには、どうしたらいいのかということは常に考えて続けているし、そこをあきらめるつもりはないのです

気絶のメイドたちに「主役になろうとしないで」と口癖のように言い続けているのも、その取り組みの一環だったりします。店という場においての主役はやっぱりお客さん(もしくは「場」そのもの)であるべきなので

「推す」という言葉は現状では肯定的な文脈で使われていることが多いので、このイメージを覆すのはまあ一筋縄では行かないだろうなぁ

まあのんびり気長に取り組んでいきますよ…!

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