顔面偏差値って言葉死んでくんないかなー
コンセプトカフェに通う人たちの間でよく使われてる顔面偏差値って言葉が本当に嫌いで、この言葉使ってる人みるとそれだけで腹が立ってしまう…
顔に好みがあるのは当たり前で、好みの顔・好みじゃない顔っていうのは別に否定しないんだけど「偏差値」っていう言葉を使って本来主観的な価値観であるところの美醜を絶対的価値に置き換えてるのが気持ち悪くて悲しくなってしまうんだなぁ
デリカシーどこ行った
「気絶のメイドは顔面偏差値が高い」って評している人がいて、うちのメイドたちのことを褒めようと思ってくれたんだとは思うけど、その無遠慮さ無神経さにブチギレてしまったことあるんすなー
なんかさー、それがいかに失礼な発言かをほんのちょっと考えてほしいんすなー
気絶でメイドの採用する時には、容姿については一切考慮にいれてません。採用にあたっては作文などの自己プレゼンテーション資料を送ってもらってるんですが、その内容で合否の8割を決定しています。面接するまでその人の性別がわからなかったというケースもざらにあります
顔がどうでもいいとは言わないけど、ひとの好みは千差万別じゃないですか。おれという個人が考える美醜という価値観はおれだけの物。 同性異性問わずに、好みじゃないはずの人にいつの間にか心ひかれてるなんてざらにあるわけで、それを個人の感覚による美醜で可能性を絞ってしまうのはまったくもったいないことだと思うんですよねぇ
気絶のメイドがかわいく見えるなら、それは気絶がいい顔で働ける店だってことにしといてください
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