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なぜ気絶と昭和99年はコンカフェと呼ばれることを頑なに否定しているのか2022

気絶も昭和99年も「うちはコンカフェじゃない」ってずっと言い張っていて、そのあたりの主張はこの記事にまとめてあります

この主張は今後も変わらないと思うんだけど『コンカフェ』を取り巻く事情が最近大きく変わってきており、それを加味して上記記事の最新補足をこのnoteで高らかに表明しておきます

『気絶がなぜコンカフェと呼ばれることを否定しているのか』、結論から言うと、最近のいわゆるコンカフェって働いている人たちを喜ばせる店であることが多いのでそういったお店と混同されたくない、というのが(最近の)一番大きな理由です

気絶・昭和99年は『お客さんを楽しませる店』を標榜していて、それを常に目指しているし、気絶メイドや99年コンパニオンにはそれを強く求めています

最近のコンカフェの惹句としてよく使われる、さみしいから会いたい、とか、シャンパン飲みたい、とか、フィリコで米炊きたい、とかは、完全にキャスト側の都合なんですよね。少なくとも言葉尻からはお客さんを楽しませようという気持ちは見えてこない

我ながら偏屈だとは思うけど、コンセプトってつまり美学だと思うんですよ

おれにとっては『お客さんを楽しませる』ということこそが美学なので今後もそこにこだわって行きたいし、コンカフェと呼ばれてしまうことで気絶・昭和99年のコンセプトが、まだ当店に訪れたことのないお客さんにブレて伝わってしまうと、それは本意ではないのです

おねだり主体のお店があってもいいし、そこで気前よくお金使ってキャストを喜ばせたいというお客さんがいてもいいと思う。ただ少なくとも気絶と昭和99年はそういうスタイルを目指していないので、今日も地道に「コンカフェではない」と言い続けていくのであります

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