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会社名「Whoops」について

今回は、よくご質問をいただく、私の会社名の由来について書いてみます。

私の会社は、「Whoops」と書いて、「ウープス」と読みます。(社会保険の手続で年金事務所の担当者の方に何度も聞き返されて、申し訳ない気持ちになりました)

whoopsは、会社名であると同時に、プロジェクトの名前でもあり、この会社の器をつかって実現したい世界観、マニフェストの名前でもあります。

whoopsは、「おっと!」「しまった!」のようなニュアンスを持つ、英語の感動詞、感嘆詞、間投詞です。口語にのみ生き生きと生息するコエであり、呼気が声帯を震わせてうまれる身体の響きそのものです。オノマトペとしてみるならば、何かを落とすときや滑ったときの質感の表現かもしれない。シニフィアン=音の響きそのものが前景にあり、シニフィエ=軽い驚きや失敗の自覚、戸惑いなどの複雑な感情が、明確で具体的な言葉としてではなく、文脈に依存した心理的な反応として、もしくはその兆候として、ささやかに表現されています。

whoopsという音を人が発するとき、思いもよらない何かに出会ったときの驚きや戸惑い、期待から外れたときの失望などが入り混じった複雑な感情が確かにありつつ、同時に、概念としては未分化でとらえどころのない質感が、そのものとして感じられています。たった今、説明の便宜上「驚き」「戸惑い」「失望」という説明をくわえましたが、これらは後づけの意味にすぎないということです。whoopsのコエを実際に発しているその瞬間においては、まだ言葉になる以前の、概念化されていない、咀嚼される前の質感だけがあります。

おもうに、whoopsの対義語はeurekaです。eurekaは「そうか!」「わかった!」と訳されます。疑問が解けた瞬間の歓喜、達成感、開放感などが混じりあって一体化した未分化なコエであり、瞬間的に発露した質感そのものです。長いこと探究してきた問いの答えが突如として明らかになる瞬間がeurekaだとするならば、whoopsはその探究が始まる瞬間、起こりの瞬間を告げるものではないか。whoopsではじまり、eurekaで到達点を迎える一連のプロセスを探究と呼ぶとき、探究の起点と帰着点を表すふたつの言葉が、未分化の豊かな感触を表現していることは、とても示唆にとんでいます。whoopsとeurekaはおそらく表裏一体であり、whoopsがあってこそeurekaが生まれるし、ひとつのeurekaは次の新たなwhoops、つまり探究の起点となるのではないだろうか。

さて、whoopsな瞬間は、計画どおりに進まなかったプロジェクト、思いがけない人との出会い、予想外の結果をもたらした実験など、私たちの日常に溢れています。これらは決して心地よい感情ではない。はっきりいえば不快なものです。失敗や想定外はできれば避けたい。正しい答えや正しい結論に、なるべく少ない労力で、回り道をせずに、まっすぐにたどり着きたい。これは誰しもが思うことです。欲しい答えにいつでもなめらかにたどり着けるならば、どんなによいだろう。それゆえ、whoopsは過小評価されやすい。嫌われ者、邪魔者、のけ者。道路はすべてきれいに舗装されているべきで、ぬかるみは要らないというわけです。

しかし、実際のところ、空想の世界を別として、ぬかるみを首尾よく避けつづけられる人生なんてものは、そもそもありはしません。未来予測の精度をどこまでも高めたとしても、世界の不確かさはぽっかりと口をあけつづけています。どんな人にとっても、いやでもいつかは向き合わないといけないのが、whoopsです。そしてどうせ避けられないのであれば、もっと上手に付き合えた方がよい。もし仲良くなれたら、実はあなたの生涯を豊かにしてくれる心強い味方になってくれるかもしれません。

また、僕らは自己決定という呪縛に縛られています。「自分の頭で考えなさい」という教え。近代的自我の呪縛というのでしょうか。他人に支配されず個人としての自由を獲得するために、自律的に自己決定することが大切だと、私もわりと最近までは疑うことなく信じていました。しかし、ちょっと待ってほしい。あなたはそんなに賢いのですか。アウトプットは、煎じ詰めるとインプットの従属変数です。どんなに考え抜いたとしても、私たちは外部からのインプットの裏付けなしにはまともな意思決定をできません。ややこしいのは、自分がどこに行って何を経験し、どんなインプットをするのかの基本的な条件を決めているのもやはり自分自身なので、自分で決めるという戦略はそれ単独だときわめてぜい弱で、袋小路になりやすいのです。この袋小路を抜け出すのに有効な処方せんのひとつは、自分由来ではない経験であり、それをもたらすwhoopsとの出会いだと、私は考えています。

ここまでの議論をまとめます。

whoopsは、言葉以前の豊かな質感であり、探究の起点である。
不快だが、避けられるわけでもないし、せっかくならうまく味方につけることで人生を豊かにしたほうがよい。
自己決定の限界をこえて、新たな視点・新たな可能性を開いてくれるのがwhoopsである。

このwhoopsの価値を再発見するとともに、教育の分野を中心に、このwhoopsの社会実装を進めていきたいというのが、いま私が取り組みたいテーマです。

おまけ。この言葉はGmailが教えてくれました。僕は個人のGmailの表示設定を英語にしています。ある日曜日、まる一日、会社名をああでもないこうでもないと考えて疲れ果てながら、ふとGmailを開いたときに、"oops, your email failed to load"という英語の通知が目に飛び込んできて、「あ、これだ!」と直感したのでした。

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