生き心地の良い町

岡壇『生き心地の良い町』を読んだ。全国でも異色の自殺率の低さを誇る、徳島県旧海部町を丹念に調べたルポだ。著者が発見した、自殺を防止する数々の因子が紹介されていて、とても興味深かった。

日本は、世界的にみても、自殺で亡くなる人の数が多いらしい。交通事故の6倍ほどが自殺で亡くなっているということなので、衝撃的だ。

人が自殺をする原因のことを、自殺危険因子と呼ぶそうだ。たとえば、病気や貧困などは、その因子といえそうだ。海部町は、この自殺危険因子においては他の地域と大差はない。では、なにが違うかといえば、自殺予防因子という、自殺の危険を防ぐ側の要因だ。

詳細な内容については、興味ある方は実際に本を手にとっていただきたいが、特に印象に残っている箇所をかいつまんで紹介する。

海部町は、狭い土地に密集して家が建っている。そのため、隣家の話し声が聞こえるほどお互いの距離は近い。多くの家の外壁には、可動式の板がつけられていて、それを上下に開閉すると、即席の縁側がつくれる。そこで、かつてはものを売り、いまは座ってお茶とおしゃべりを楽しんでいる。この距離感で密度高く共存しており、他者に対する関心の程度はとても高いそうだ。

他人とのこの密接な距離感には窮屈な印象を持つ人がいるとおもうが、海部町の場合は、その一方で、ひとはひと自分は自分という感覚や、人を肩書きや年齢ではなく実力本位で評価する、多様性を認めるなど、田舎の気詰まりさとは正反対のドライな特徴もあって、興味深い。「関心は持つが監視はしない」「緩いつながり」といったキーワードが、記憶に残る。

もうひとつ興味深かったのは、町民へのアンケート調査において、自分のことをどのくらい幸せとおもうか?という質問項目に対し、海部町の方々の回答では、不幸せな人は予想どおり少なかったのと同時に、自身を幸せだという人も少なかった、ということだ。自殺が日本一少ない町なので幸せな人が多いのかと思いきや、そうではないのだ。

たとえば健康に深刻な問題を抱えていたとして、そんな自分は不幸せだと言葉にしてしまうと、それによってひとは自分を簡単に不幸にすることができてしまう。思い込みの力は大きい。このようなリスクを避けるために、では、自分は幸せだ、と無理に思い込めばよいかといえば、そうでもないだろう。自分で自分を偽り続けるのには限度がある。辛い現実はしっかりと直視しながらも、その一方で、今の状況のなかに明るい側面を見いだすこともできるという醒めた視点を持てることが、不幸をほんとうの意味で遠ざける秘けつなのではないか。そして、そんな冷静さは、幸せに対しても、醒めた感覚を持たせるのではないか。

そもそも、幸せか不幸せかという二分法的な分類は元々自己評価に馴染まないのかもしれない。静止した状態としてではなく、動的な変化するものとして、人生は捉えることができるし、そのような捉え方のほうが、よりリアルなのではないだろうか。

さて、海部町に住まない私たちは、自分の日々の生活に、本書をどう活かせるだろうか。これは、読み手ひとりひとりに対して開かれた問いだ。私はその点はとても楽観的だ。気負う必要はない。自分の半径数メートルの営みを真面目にやればそれでよいのだ。昨日書いた、マンションの共有スペースをつかってみるというのも、そのひとつといってよいだろう。

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