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私と本 その5「傷つきやすい子どもたち」

私と本。5冊目は
宮崎龍太郎
『傷つきやすい子どもたち』

父のように慕っていた宮崎先生の最後の本。

私は今はさをり織りや農業やものづくりの人のような顔をしているけれど、もともと福祉大出身で、アウトロー福祉人だ。

18歳からずっと障がい児者の人と関わりながら生きている。これはさをり織りと並んで、私のライフワークだと思う。

宮崎先生は私が駆け出しの福祉職員をしている時に出会った。障がい児者教育の有名な先生。
とにかく厳しい言葉がバシバシ飛んで来るし、立ち振る舞いや言動一つひとつまで、先生の前では意識せざるを得ないほど、よく観察されていて、背筋がピンと伸びた。

先生の口癖は
「本物だけでええねん」

本物を教えてくれるべく、美味しいものよく食べに連れて行ってくれたなー。先生お気に入りの素敵な場所にも案内してくれた。
先生と一緒の時は、スケジュールを全部組んでくれるので、私はウキウキしながらついていくだけ。
若かった私にはいけないような料亭では「おかみさんの動きよー見ときや」「料理を運んでくるタイミング、雑談の切り上げる具合、器やお部屋のしつらい、お客様をどれだけ大事にしているかしっかり感じや」と全てが授業。粋を大事にされる人だった。

「障がい持った子ほど本物に出会わねばあかんのや。わからんと決めつけて偽物で誤魔化すなんて、どれだけ彼らをバカにしてるねん!」
と、障がいを持ったメンバーとの向き合い方を伝えてくれた。先生はいつも真剣。

でも私には大きくて柔らかくて。
時折「たまには美味しいもん食べて、気持ちのいいところに行って、気持ちを豊かにせなあかん」と煮詰まる私を連れ出してくれた。

熱くて曲げない人だったから、敵もとても多かったみたい。
でも、先生はそれを主張するだけの根拠集めと入念な準備とをしっかりされていた。それは仕事の範疇を大幅に超えて徹底的に。それ故にふわふわした見解には厳しかったんだけどね。
中途半端はないの何にでも。全てに丸ごとで向かいあってらした。
その背中を見て私の中の福祉人としてのベースができていった。宮崎龍太郎仕込みですもの。そりゃあちょっとやそっとじゃ逃げないめげないですよ(笑

先生からは多くのものをもらった。
「あんたやったら大丈夫や」
よくそう言って迷った時には背中を押してくれたお父さんのような存在。
先生に大丈夫と言って欲しくて、頑張ってると言って欲しくて、それでいいねんと言って欲しくて。私は走り続けてきたようにも思う。

いつも心の片隅にいて背中から見守ってくれる人。もう声をかけてもらえることはできないけれど、今も思い出が背中を押してくれる。

せんせ。
本物を見ます。
本当を見ます。
あきらめません。
向き合います。
時折
自分を許して緩めてあげます。
大事にされたもの
美しいもの
丁寧なもの
に触れるようにします。

せんせ。あのね。あのね。。。




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