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山の端の梢

今日は高柳さんの命日なので、高柳さんに会いに行ってきました。

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私の考えでは、今日のように天気の良い日には、高柳さんに会うことができるのです。麓から遠く見上げる山の端で、ひわ色に揺れる梢のところを移ろいながら、高柳さんは無邪気に遊んでいます。それとも今日のところは、白い雲になったのかも知れません。

平成21年の5月、高柳好徳さんは、初めて、丸山にやってきました。その谷あいの集落は、新緑のひわ色に染められていました。

高柳さんはこの土地を気に入り、集落の人たちとも親しくなって、「ここで野菜を作りながらレストランをしたい」といつもの人懐っこい笑顔で言いました。そして同年10月、古民家の宿「集落丸山」の開業に合わせて、里山フレンチ「ひわの蔵」が開業します。改修工事が間に合わなくて、内覧会の前日に、高柳さんは自分で内装の土壁を塗っていました。スポンジケーキに生クリームを塗るのと同じ要領だからと言って笑っていました。

ひわの蔵の開業もあって、集落丸山の宿泊営業は当初から順調に推移しました。絵画のような一皿ひとさら、宝石のようなスイーツ。「そこの畑で作って、さっき採った野菜ですからね。美味しいですよ。」と言って、やはり高柳さんは笑っていました。

平成25年の5月、高柳さんは病を得ます。無菌室のベッドに繋がれて、身動きができないのに、一生懸命に上体を起こそうとしながら、ガラス越しに笑顔を送ってくる、そういう人でした。そして3年間の闘病を経て、平成28年の5月13日に高柳さんは逝ってしまいました。集落はひわ色の季節でした。レストランのカウンターテーブルには、女将の純子さんが飾った白い花がありました。

その後、村木シェフが高柳さんの遺志を継いで(神戸北野のジャン・ムーランで二人は兄弟弟子でした)、平成28年10月に「ひわの蔵」は営業を再開し、現在に至っています。絵画のような一皿ひとさら、宝石のようなスイーツは、そのまま変わりがありません。

ひわ料理

医者に見放されながら、久留米のお兄さん夫妻が必死の看病をして、一度は奇跡の快復を見せたのでした。集落の人たちは、3年のあいだ、帰ってくるのを信じて、ずっと待っていました。お兄さん夫妻は、今も集落丸山とひわの蔵に通って来られます。

魂や精霊に喩えるしか仕方がないものが、目には見えないけれども存在するものが、確かに、この世界にはあります。
そして、集落には、今年もひわ色の季節がやってくるのです。

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